オスマン帝国/鈴木薫著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

オスマン帝国

「オスマン帝国」  鈴木薫著
副題:イスラム世界の柔らかい「柔らかい専制」
帯:多民族・多宗教の超大国を支えた「柔らかい専制」の秘密
講談社現代新書

 史書を読むことは「戦争の歴史」を読むことにほかならない。

 人類同士の殺しあいはいまもむかしも変わらずにあるし、地球上すべてが一瞬でも平和であったことはない。 それが「人類の宿命」「人類の業」と割り切っていたほうがショックが少ない。オスマン帝国は14世紀、モンゴルによる侵略が終わったあとに台頭する。現トルコ西方の一地域から興って、コンスタンチノーブル(現イスタンブール)を制覇。続いて、ビザンチン(ビザンツともいう)が占拠するバルカン半島を呑み、代々のスルタンによりトルコ(旧アナトリア)の東方、イラク、シリア、エジプト、イエメン、黒海、地中海東海域を併呑、当時西欧最強の国、ハプスブルグとハンガリーでわたりあい、西欧諸国を震撼させる。

 バルカン半島にはギリシャ人、ブルガリア人、セルビア人、クロアチア人、アルバニア人、ルーマニア人が割拠していたが、この地域にイスラム教を持ち込んだのはオスマン・トルコだった。(これらの国々の民族には現在祖国が存在する民族と存在しない民族とがある)

 ロシアとも地続きであるがゆえに何度も矛を交え、勝ったり負けたり。ピョートル大帝を破ったこともあるが、エカテリーナには敗れた。ロシアがアラスカを米国に売るにいたった経緯もクリミア戦争でロシアがオスマン・トルコに敗れたための賠償金の支払いがあったためといわれる。

 オスマン・トルコが強かったのは(1)常備軍の設置(2)火砲の整備(3)能力主義(4)併呑した全領土からの完璧な税徴収(5)宗教を別にする教徒の懐柔とコントロール。

 また、時間の経過とともに「戦士たちの国」から「官僚たちの国」への変身は、我国の江戸時代、「戦闘のために存在した武士の官僚化」と似ている。

 トルコと日本には相似点が幾つかある。ロシアを破ったことのある歴史、地震国、サッカーが好き(?)など。ことに織田信長の政略には酷似するものが多々ある。

 また、トルコ人の側にも日本人への親近感があると仄聞する。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ