パニック・裸の王様/開高健著

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ぱにっく・はだかのおうさま

「パニック・裸の王様」 開高健(1930-1989)著
新潮文庫  1958年発表  1960年文庫化初版

 本書には首題の二編のほか「巨人と玩具」「流亡記」の二編が加えられ、いずれも1958から59年に発表されたもの、著者28歳から29歳時の初期作品である。

 本ブログに以前紹介した「夏の闇」や「知的な痴的な教養講座」に比べ、若さがみなぎってはいるが、肩肘張った文体が拙ない印象とも同居、力みを感ずる。とはいえ、作品群は後年に濃度を増す独特の諧謔性、灰汁の強い風刺、極端なものへの飽くなき好奇心の萌芽を匂わせてもいる。

 「パニック」はオーストラリアで起こったネズミの大発生の記録(大群となったネズミが地表を一直線に走り続け、最後には海に突っ込んですべて死滅する)から発想したもののような気がする。主人公である公務員の青年が120年に一度だけ実をつけるササの様子から、ネズミの大発生の可能性を指摘するが、上司をはじめ同僚も相手にしない。雪が溶けて、樹木の根が齧られて裸になっている状態を目にし、以降、雪解けとともにネズミが彼の予想通り、畑に、野に、人家にと大量にはびこる。

 異常事態のなかで、青年だけがいやに落ち着き払い、明快さに欠け、嘲笑的な言動に終始するところは、この作者らしい意図と面目が感じられる。

 「巨人と玩具」は大企業の宣伝合戦を描いたもので、格別な感想はない。

 「流亡記」は秦の始皇帝が紀元前3世紀に中国を統一、覇者となった後、全国から強制的に男を集め、万里の長城をつくらせる話だが、主人公に「壮大な徒労」といわしめる。13世紀に入ったとき、長城によって隔離したはずの遊牧民族、モンゴルに侵略され蹂躙(じゅうりん)されたあげく、漢民族が仕切ってきた国土に「元」という異民族による支配が成立する。モンゴル兵は万里の長城をいとも簡単に破壊し乗り越えてきたのだから、「壮大な徒労」との言葉は当たっていた。

 この短編のなかに「暗度」という言葉が出てくるが、「明度」という言葉はおなじみだが、「暗度」は知らなかった。

 作者は「壮大な徒労」という言葉を使ったが、私は世界にある巨大な墳墓、エジプトのピラミッド、中米の石を積み上げた墓、始皇帝の墓などなど、いずれも「壮大な無駄」だと思っている。確かに、それあるがゆえに遺跡が発見され、当時の時代背景や社会の仕組み、物事への考え方などが偲ばれはするが、それは世紀を隔てた人々が見るから墳墓に価値を見出すのに過ぎず、墳墓が建設されたのは、いずれも時の権力者が権威と軍事力を背景に人民の労働力を強制的に集中させて建設させたのであり、完成までにどのくらいの貧しい人々が死に至ったかには計り知れないものがある。目前で、人の死を見、墳墓を見たら、あるいは自分自身が労働させられる一人だったら、それが途方もない権威者のわがままだということが明らかではないか。

 (もっとも、古代エジプトでは、ナイル川の反乱時に、人民を救済する目的でピラミッドを創ったと専門家がいっているが、パラオが墳墓を創らせるにあたって、恒常的にそのような配慮がなされたとは思えない)。

 短編集のなかでは「芥川賞」をとった「裸の王様」が最も読みごたえがあった。絵画教室を開いている男の先生と子供の話だが、作者が子供の心理、その吸収力、容量、狡猾さ、飛躍の可能性などをよく理解していることを暗示して充分。

 「裸の王様」はアンデルセンの書いた童話だが、絵画教室を開いている先生のもとに一人の子供が入ってくるが、絵を描かず、周囲の子とも融和できず、おどおどするばかりで、自分を表出しない。原因は両親にあり、父親は絵画を描く道具の製造販売会社の社長で、家庭をほとんど顧みず社業に専念、母親が死んだあと、若い継母に育てられるが、継母は夫から満たされぬ心情と経験のない子育てとに精神的に平穏で正常な姿勢が保てず、子供に対しても他人行儀な言動が多く、そうした家庭環境のなかで殻に閉じこもったまま自己主張しない性格が形成される。先生は原因を知ると、その子を野や山や川に連れ出し、一緒に遊び、話しかけるうち、子供の心は徐々に開き、絵を描くようになる。

 クライマックスは先生がアンデルセンを生んだデンマークへ手紙を書き、双方の子供らにアンデルセンの童話をイメージした絵を描かせて相互に送るという企画を提案し、受け容れられる最終場面。

 問題の子供の父親も偶然同じことを考案し、立場を利用、文部省から案を認められ、画家として名をなした人物たちに評価を依頼、大使館を通じデンマークに連絡したところ、同じ案が別の日本人から先着しているので、その人物と話し合って欲しいといわれて驚愕。先生は呼び出され、協力を依頼される。社会的な立場の違い、子供を預かり、画用紙や絵の具をもらっている立場もあり、反対はできず、渋々同意。

 全国の小学校に企画を流し、結果的にかなりの数の絵画が集まる。その間、主人公の子供はちょんまげ姿の男がお堀端をふんどし一枚で歩く姿を描き、子供はそれを、「将軍だ」と説明、先生はこの子の発想に狂喜する。集まった絵は有名画家が集まってデンマークに送って恥ずかしくない絵を選び出す作業となるが、選ばれた絵は平凡なトランプの裏の絵のようなものばかり、先生が子供の描いた「将軍の裸の絵」を名を伏せて画家たちに見せると、画家だけでなく、父親である社長も嘲笑するばかり。最後に、先生は社長が姿を消したところで、「この絵は社長の息子が描いたものだ」と明言する。画家たちは言葉もなく、顔を引きつらせて帰っていき、先生は溜飲を下げるところで、この短編は終わる。

 私が作者だったら、その絵に「The figure before the stone wall of the castle is the tycoon governing all over Japan in Edo era from 17th to 19th century」(石垣の前の人物は17世紀から19世紀まで日本を支配した将軍である)と説明をつけて、デンマークに送ってしまい、後日、デンマーク側からその絵がデンマークの子供たちには最高に受けたこと、デンマークとしてはこの絵に一等賞を贈呈したい旨の連絡が入るところで幕切れとしただろう。そのほうが衝撃的だし、感動的だと思う。

 そうように発想した理由は、音楽の世界でも、絵画の世界でも、無名だった新人が海外で表彰されると、とたんに、日本の専門家からの評価を高めるという傾向がむかしからある。わが国では、音楽界でも、画壇でも、およそ芸術というものに対して評価する目も力もないのか、あるいは、新しい才能を認めたがらないのか、日本人芸術家がコンプレックスの塊なのか、そうした風潮があると私はかねがね思っている。

 作者がこの作品を書いたときは現在よりそうした雰囲気が強かった。「私が作者だったら」の部分はそういう欠陥ないしは疑惑への批判と風刺にもなるのではないかと思ったからで、余計だったかも知れない。

 ただ、数年前だったか、すでに十年以上経過したのか、かつてTVがギターを持つ少年を映像で流し、少年が描いた絵を強調するようにクローズアップした。猛りたった赤い牛の様子が見事に描かれていて、「この子は天才だ」と即断した。その絵のことが忘れられず、「裸の王様」を読みながら、そのあまりにも早くこの世を去った少年と絵がしきりに脳裡に去来した。

 この作者には社会的な強者と弱者を登場、対比させて、辛辣な場面を描写することに一種の喜悦を感じていたのではないかと、本短編集を読みながら憶測した。

 作者は59歳という若さで逝去してしまったが、せめて70歳まで生きてもらい、美味きわまりない諧謔と風刺をもっと味わいたかった。惜しい人を失った想いが強い。


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