ポリアモリー 恋愛革命/デボラ・アナポール著

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「ポリアモリー 恋愛革命」 原題:Polyamory
デボラ・アナポール(Deborah Anapol/アメリカ人)著
堀千恵子訳 河出書房新社刊

 ポリーとは「複数」、アモリーとはイタリア語の「アモール」と同じ意味で「愛」を意味するが、要するに男女ともども相互に「1対複数」あるいは「1対多」の愛情関係が、「1対1」という現代まで続いてきた男女関係よりも、より人間的で普遍的な関係なのではないかという主張であり、本書はそれを肯定的に解説した案内書といっていい。

 いずれ、このような主張を展開する人物が出現するであろうことは想定内のことだったが、先進諸国(日本を含め)で現実に起き、増加し続けている「結婚」「離婚」「再婚」がくりかえされる現実は一夫一婦制度のもつ欠陥なのではないかとの疑問符であり、そこに「1対複数」という愛情関係が提案された理由がある。単婚だが、離婚、再婚をくりかえすのを、英語では「Serial Monogamy」というらしい。

 イギリスでは結婚している男の92%が、女の50%弱が婚姻後に他の異性と性的関係をもっているという統計があるが、アメリカではそのような男女関係がさらに増加しているという報告には真実味がある。むろん、わが国でも増加している。著者自身が結婚、離婚、再婚の経験者であり、現在は「ポリーアモリー」を社会的に認めさせようと先頭に立って運動、推進している女性。

 著者によれば、このような議論はすでに1970年代からなされているらしいが、読後感としては「新興宗教の宣伝」といったふうにも感じるし、「古代人類社会のグループ生活による雑婚に戻れ」といっているかにも思える。

 とはいえ、確かに、同じ男女が数十年間顔をつきあわせている一夫一婦制度の生活のなかで、双方に浮気や不倫におよぶ行為があっても人間として不思議はないし、行動するまでにいたらなくても、夫や妻以外の異性に心を惹かれることがまったくなかったというケースのほうが稀であることも事実であろう。

 が、かといって、長きにわたりほとんどの世界で一夫一婦制度に固執してきた背景にはそれなりの人間の知恵による裏打ちがあったに違いなく、イスラム教国のように一夫多妻主義をとる国は別にして、「1対複数」あるいは「複数の男女で構成されたグループでの生活」には問題も少なからず存在し、この主張をいきなり実現させることには相当の社会的混乱が伴うだろうことも予測される。

 最大の問題は人間心理というべきか、嫉妬心をどう抑制するかにある。自分の妻が他の男に抱かれている姿を隣のベッドで見ていられるかどうかという問題だ。著者は「禅」「武道」「ヨガ」「道教」などによる精神修養でこれを乗り越えることができると解説しているが、このあたりの議論には若干不可解なものを覚える。日本人ですら「武道」「禅」「道教」など、完璧に説明できる人は稀であるのに、この著者に理解できているのかという疑問が残る。

 ただ、グループ生活が経済的負担を軽減すること、出産、子育てにサポーターが存在すること、両親以外の男女が複数で同じ屋根の下に居住する事実が子供に社会性を育ませること、続けて出産してもケアしてくれる人が周囲に必ず存在するなどなど、生活全体の運営が破綻をきたすことなく運営されるかぎり、仰る通りだとは思う。いま、日本で問題となっている「少子化」も、こうした環境が無理なく存在していれば、かなりの程度まで解決されることも考えられる。 血の繋がりの有無に関係のない「大家族主義」ともいえ、核家族化した社会的弊害への反動といった風にもとれる。

 こうしたグループ生活を著者は「Expanded Family」、つまり「拡大家族」と呼んでいるが、非常に魅力的な言葉であり、老人の孤独死も激減するだろう。「1対複数」ではなく、「複数対複数」による雑婚形式で、一人の女や一人の男を奪い合う関係が生じなければ、家庭は円満、平穏に、セックスに飽きることもなく、長続きする可能性はあるように思われる。あとは、社会的な受容が得られるかどうかである。

 人間とは不思議な生物である。時代の変化につれ、社会的な習慣や風習も影響され、新しい「思想」や「考え方」が生まれる。ことに米国人は「何が自分にとって最も大切で、重要か」を考える、個人主義の徹底した国民だから、「社会にとっては?」という問題は次にしかこない。

 「多様性や複雑性で成立しているのが生態系ならば、人間社会にもそうした要素を加味した制度が存在して当然だ」という主張には、反論を受容しない激しさや強さが感じられ、その点に一読の甲斐があったと思わせるものがある。先般書評した「ヴァギナ」でも、ほとんどの哺乳類のメスが複数のオスと生殖行為を行う例が解説されていた。

 あえて難をいえば、「ポリーアモリー」の核心、主張を、他者の思惑など気にせず、傍若無人と捉えられてもいいから、アメリカ女性らしく、もっと激しく、もっと強靭な、迫力のある、説得力をもつ言葉で語って欲しかった。突拍子もないことを語っているという意識があるのか、言葉の使い方に遠慮を感ずる。


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