ポンペイ・奇跡の町/ロベール・エティエンヌ著

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ポンペイ奇跡の町

「ポンペイ・奇跡の町」
ロベール・エティエンヌ(Robert Etienne)著
原題:Pompéi, la cité ensevelie(直訳すると「ポンペイ、埋もれた町」)
監修者:弓削達
訳者:阪田由美子&片岡純子
1991年9月1日 知の再発見双書10として初版 ¥1600+税

 アイスランドでの火山噴火の直後にこのような本を読むのも何かの縁かと思いつつ、目を通した。

 ポンペイという町はイタリア半島に存在したが、ごく平均的なイタリアの都市国家であった。人口約2万人、うち4千人くらいは奴隷、1万6千人のうちわけは時の流れによって異なったであろうが、ギリシャ人、エトルリア人、オスク人、ラテン人が混ざりあった。

 ポンペイを襲ったのはヴェスヴィオス火山で、現在でもイタリア最大の活火山といわれているが、爆発したのは紀元79年8月24日(およそ2千年前)、噴火があまりに唐突だったというだけでなく、溶岩の流れが速かったため、当日、逃げおおせた人はいなかった。結果、厚さ4メートルの火山灰の下に当時の市民生活がそのまま沈められ、温存された。

 初め、スペインのカルロス3世によって1748年に発掘が開始され、いったん中断はされたが、再び1754年から始まった。ポンペイの発掘は為政者、支配者、発掘者が変わるたびに、計画が変更され、目的も変えられ、初期の発掘での狙いは骨董的な価値のある、金銀財宝などに目がいくというレベルのものだった。

 責任者が変わるたびに発掘も組織化が図られるようになり、発掘の規模を拡大するようになったが、それは1924年から1961年に至ってからで、それまでの発掘で、ポンペイの遺跡が傷められたことは否めない。

 以後、優れた統率力を発揮して、ポンペイの歴史に細かな検討を加えた、本格的な、かつ学問的な発掘の時代を迎えている。

 外科用の医療器具などを見ると、針、鏡、メス、ピンセット、鋏、加熱器など、外科医療器具の種類の豊富さには驚かされるし、冶金技術にも唸らされる。

 話を変えるが、キケロ荘から見つかったモザイク画の占い師は老婆だが、その醜悪なルックスに唖然とさせられた。

 イタリアでは誰もが入浴を楽しみにしていたが、ポンペイでも同じだったし、円形劇場が在ったことも知られている。剣闘士らが命賭けで闘いを行なうときなど劇場には2万人の観客が押しかけたらしい。

 また、どの家にも絵画が飾ってあるが、ある家には、主人が下女に対し初夜権利を遂行している場面がある。(「初夜権利」は下女にとどまらず、地域によっては娘にも行使できたところもあった。この言葉自体が陰鬱な印象を放っている)。

 「ポンペイには淫猥や堕落の精神はなく、官能とモラルとの融和がある」とは作者の言葉。

 発掘されたなかでは、ティベリウス帝の凱旋行進を描いて加工された銀杯が、彫刻もきめ細かく、ことさら目を惹いた。


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