ユングの心理学/秋山さと子著

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ユングの心理学

「ユングの心理学」 秋山さと子(1923-1992)著
講談社現代新書

 ユングは1875年(日本の明治8年)、スイスの寒村に生まれ、心理学者として有名なフロイトと同時代を生きたが、両者は対立的な思想、考え方を世に示しつつ、いずれも人間の心理について多くを示唆する研究成果を遺した。

 著者はスイスの「ユング研究所」に長年留学した経験を生かし本書を著わしたそうだが、読後、ユングという人物の、異常なほどの神経過敏、感受性の強さと豊かさ、夢判断への執拗な没頭を感じた。これはユングの家系的な影響もあったかに窺える。彼の家族にはいわゆる霊能者的な存在が少なくなかった。

 人間心理の謎、意識世界と無意識世界の存在と心の二重性などを解き明かすことに精力を傾け、そのことに成功するが、ユング自身の心に平均的な人間にない柔らかさがあったから可能だったのだと思えたし、現代盛んに取りざたされる「多重人格」も、彼になら解明できたかも知れない。

 一般人にも理解できるような、たとえば、「心は苦悩や苦悶の源泉でありながら、同時に愉悦や快楽の源泉でもある複雑な、不可視のもの」とか、「人間ならばだれにも心の内に矛盾するもの、相克するものをもち、葛藤するが、裏面に在るものはしばしば悪であったりする」など、必ずしも人間を美化しない構えも解りやすいし納得もできる。

 ただ、「近親相姦は死と再生にかかわる霊的なもので、多かれ少なかれ、だれの心にも潜んでいて、健康で普遍的なものである」との理論は、人により評価が分かれ、多くの友人を失うきっかけとなったらしい。フロイトとの交友も、この理論以降うまくいかなくなる。現代は「幼女にしか性欲を感じない男」がいたり、それも三歳から四歳で、ことが終われば殺してしまうというにおよんでは、このような実態を目に、ユングはどのような考えを披瀝するのだろうか。

 とはいえ、ユングの人間心理の研究は後世に多くの示唆を残している。

 学んだことの例を以下に挙げる:

1. 表面の意識的態度の背景に、その対極にある無意識の人格が存在する。たとえば、外交的な人格には現実的で、社会との折り合いも上手だが、無意識下では幼稚で自己中心的な欲求が強い。反対に内向型の人格は主観的な考えを重視、自分の見方、考え方をしっかりもっているが、社会に対し必ずしも迎合的ではなく、意固地な面がある。弱さゆえに自分の周囲に壁をつくる。

2. 「近いものほど自由にならない」。たとえば、自分の心、自分の肉親。肉体の器官は自然現象と同じように動いているだけで、本人の意思の自由にはならない。

3. 人が社会で生きるうえで必要なものは一種の仮面である。仮面とは別の言葉でいえば、他人との間合いをはかりつつ無意識に行う構え、姿勢である。第三者に見られる姿、人格をだれもがそれぞれに創って生きている。結果として、これが人間関係の潤滑油ともなっている。人間は真っ裸では人前に出られないし、本性剥き出しのままでは社会と融合できないからだ。

 一方で、他人が評価する自分に拘泥するあまり、肩書重視の姿勢が生まれ、それが失われたとき人格破綻も崩壊も起こる。

4. 人はだれもが影を背負って生きている。海中のクラゲのように触手を出して生きているのに、本人はそれに気づかない場合が多く、他者がその触手に引っかかり、喧嘩、闘争を惹き起こすことがある。これが民族間、国家間に起こると内乱、戦争となる。

5. 男の子がある程度の年齢になって女の子を好きになり、その女性へ走るのは、ある意味でマザコンからの脱却であり、ひいては母への反逆、裏切りである。男の子はみなマザコンであり、マザコンを振り切ることで大人としての伴侶の選択が可能になる。男にとって母親は第一の恋人であり、母親からの卒業は必然。マザコンから脱却できない子どもは大人になれない。

6. 一方、子どもの母親への信頼は絶大であり、途方もなく厚い。それはしばしば母親にとって重圧にも重荷にもなる。解放される日のくること、母親も一人の生身の女であることを認められる日がくることが望ましい。

7. 女は娘であることと母親であることを永遠にくりかえす。夫を伴侶として選んだつもりが、次第に母の目で見はじめ、夫への支配と干渉をはじめる。夫は妻をときに母と同一視するようになり、妻は夫にとって第二の母親となる。その過程がうまくクリアできなければ、妻は外に男を求め不倫に走る。

8. むかしの子どもはみずから遊びを工夫し、創造した。いまの子どもは与えられたもので遊び、それが習い性となっている。子どもの世界は本来、宇宙にまでひろがる無限の可能性を潜在させ、そこに新発見があったり、夢やファンタジーの発露があったりする。

 「想像の枯渇はなにものをも生まない」との言葉は現代の教育レベルの低下を暗示しているように思われる。想像力は創造力のベースとなり、想像力は知識の集積からはじまる。想像力をた高めたり、ヒントを与えたりするものは常に書物であり、読書することがときに壮大な直観を生み、偉大な発見や発明に結果する。

 本書で知ったことをもう一つ書き加える。

 かの有名な哲学者、カントは自分が生まれて育った村を生涯一歩も出たことがなかった。


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