プーチン/池田元博著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

プーチン

「プーチン」 池田元博(1959年生/日本経済新聞記者、モスクワ市局勤務経験)著
帯広告:ロシアを牛耳る独裁者の素顔
2004年2月20日 新書初版
¥680+税

 プ-チンという男には、ゴルバチョフやエリツィンがたどったエリートとしての面影はなく、元KGB出身という暗いイメージと、ものが小さいといったイメージがあったが、プーチン時代を迎えて以後、前任者二人には思いも及ばなかった外交にも、国内経済の伸張にも、それまで関心を向けられなかった地下資源を海外に販売することで、むしろ優秀なビジネスマン的なイメージに変貌。が、一方では、メディアの支配はもとより、国外逃亡までした人間をイギリスにまで追いかけさせて暗殺まで断行する陰湿な性格をも持った不思議な人格、顔色一つ変えずに人を抹殺できる冷酷無比な男という嫌悪感が私の胸に巣くっている。

 以下は「  」内が作者の言葉、以外は私の個人的意見:

 「ソ連崩壊後、ロシアが大国としての自信と誇りを回復した時期は、プーチンが2000年に大統領になった時期と符号している」

 「プーチンは元々、ロシア国内で知られた存在ではなく、当時のロシアのマスコミですら、プーチンはかつてロシア皇帝一家にとりいった怪僧ラスプーチンの末裔ではないかと、その暗のイメージを揶揄された」。私には「暗」というばかりでなく、目的遂行のためには陰湿、酷薄、残忍に徹することができる、人間としての温かみのない人物に思えて仕方がない。

 「2000年、バレンツ海で原子力潜水艦『クラクス』が沈没したとき、ロシア海軍にはこれを救助する技術的パワーがなく、結局、相当の期間が経てから、ノルウェーの救助チームがハッチを開口し、艦内の全員(118人)の死亡を確認した。この事件のとき、プーチンは黒海沿岸で水上バイクを楽しんでいた。日本の森元総理にも同じようなことがあったが、すべてのマスコミは「政権の存亡」との見出しのもと批判したものの、遺族との集会で、時間をかけ、神妙に対応する姿がテレビで放映されるうち、非難の声は治まってしまった。」

 とはいえ、沈没した潜水艦一隻すら救助できなかったロシアの軍事力の凋落には目を覆うものがあり、それが世界のマスコミを駆け巡った記憶はなお消しがたい。

 「また、潜水艦『クルクス』はアメリカの原潜にぶつけられたという、ロシア軍部が無理やり捻り出したデマを今でも信じている市民も少なくない。以後、マスコミのプーチンへの対応はかつてより大きく変化し、失態を放映するようなことはなくなった」 つまりは、ロシアのマスコミはそれまでの自由な発言を控えるようになったということで、その意味ではなお発展途上国並みの、中国やインドネシアと同じレベルにあると言えるだろう。

 「ロシアの人口は1億4千5百万(日本の人口と大差がない)、百を超える民族が住む地域格差も常識を超えるレベル。ロシア市民は常に身分証明書の必携を義務づけられ、いつでも職務質問に対応できるように仕組まれている。とはいえ、人権は軽視され、個の安全も保障されていず、法治国家のレベルに達していない。」 身分証明書の必携を義務づける国は、一般に発展途上国に少なくない。

 「プーチンは特に地下資源をベースとした好調な経済力の伸長のおかげで、サミットにも参加するようになり堂々たる外交交渉を淡々とこなすようになっただけでなく、ときには中国と同じ歩調をとり、アメリカ、欧州の国際的な動きに反対の意思表示をするようになっている。

 「エリツィン時代、市場経済に移行したのはよいが、景気の良い企業としては必ずマフィアが乗り込んできて、金を要求し、断われば、暗殺に至るケースが多発。警察もマフィアと裏で手を結んでいるから何の役にも立たないし、信頼できない。これが拝金主義がはびこるロシア社会の一つの断面でもある」

 「年金生活者は全人口の4分の1、約3千5百万人は厳しい生活を余儀なくされている。プーチン政権になって、年金の支給額が徐々に引き上げられたが、普通の暮らしを保証するには足りない。ロシア社会には、世代間の断絶と、地域格差が重なっている」

 「ロシアの国民一人あたりの月間平均所得は2003年時点で、約54ルーブル(約2万円)で、最低生活水準未満の生活者は2001年時点で、5千万人と国民の3分の1、一方、最も所得の多い上位2%の層だけで、国民所得の33.5%を占めていた」 (いずこも同じ、秋の夕暮れ)という印象。

 「ゴルバチョフはブッシュの父親が大統領のときに会談を行い、冷戦体制の終結を高らかに共同声明した。1999年には、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの統一も容認された。ゴルバチョフの本音はソ連邦の歴史に幕を引くつもりは全くなく、ボタンの掛け違いで思わぬ破綻を招来した。その主な原因は反アルコール・キャンペーンにあり、冬季には酷寒の地となるロシア大陸ではウォッカをはじめとするアルコールの製造抑制は必然的に価格上昇を生み、密造酒を生み、価格上昇を招き、庶民の恨みをかうことになり、結果として、ゴルバチョフの退陣に繋がった」

 「この間、1989年にはルーマニアの大統領が銃によって処刑される場面がテレビ放映されるという事態を招いている。91年には、バルト三国を除く、ウクライナ、べラルーシュ、スラブが独立国家共同体へ加盟」

 「エリツィンはアルコール中毒で、体を壊し、手術をし、以後、入退院をくりかえし、国政には部下を使って関与する以外に手がなかった。ただ、大統領の権力の安定、増幅、強化には邁進し、プーチンもその恩恵を蒙ることになる」。

 「1999年、エリツィンはプーチンを首相に据え、大統領の後継候補にすると公言。とはいえ、この当時にプーチンの名を知るロシア人は少なかった」

 「2003年3月の選挙で、プーチンは正式に大統領に就任、以後、地下資源(主に石油と天然ガス)が世界的に高騰していたため、その波に助けられ経済的にも安定してきた。エリツィン統治で疲弊した国民にとってプーチン政権は新鮮に映った」

 「プーチン政権を支えたのは(1)旧エリツィン・ファミリーの寡占資本家による資金援助、(2)旧KGBと軍部による武力を背景としたバックアップ、(3)サンクトベルグのリベラル官僚グループによる知的協力。このうち(1)に入る寡占資本家は過去の違法を咎められ、検察庁に逮捕、勾留され、結局はその執拗さに音をあげ、国外に逃亡するトップマネージメントが少なからず出た。ファミリー派の最後の砦と目された、大統領府長官だったウオロシンでさえ、ユースコ(大石油会社)のトップだったボドルコフスキー(金融、メディアなども掌握していた)が逮捕されたとき、辞表を提出、その後任に後の大統領、べトベージェフを据えた」

 「2001年の9・11テロがアメリカで起こったとき、真っ先に電話をし、哀悼の辞を述べ、あわせて協力を惜しまない旨を言明したのはプーチンで、むろん、プーチンの脳裏にはこれまで国際社会から理解を得らなかったチェチェン問題があったであろう。以後、米ロ関係の飛躍的改善がなされ、国際舞台でのプレゼンスが強まっていく。また、一方で、急遽北朝鮮の金正日にも直接会談し、両国関係を外交カードに利用しようとする腹のうちが見える。要するに、プーチンの外交は徹頭徹尾、実利主義にベースしている」 元KGBの官僚らしい陰惨さの上に、緻密で、冷静なテクノクラートといったイメージがつきまとう。

 「プ-チンは大統領に当選後、3年間のうちに海外35か国を訪れ、65都市を訪問した。自らがビジネストップセールスマンとしても言動する。同時に、チェチェンのテロ行為に対し断固とした態度をとり、大軍をチェチェンに送り込み、あっという間に領土全土を制圧、プーチンの名はロシア国内で一層高まっただけでなく、国民の信頼をも得た」

 「民間のTV局でプーチンの批判をくりかえしていたメディア王といわれ人物(元エリツィンのファミリー派)が当局の検察庁に呼び出しを受け、事情聴取され、三日間の勾留で釈放されたが、明らかなメディア支配への意志を露骨に示し、その実現に着手したことを暗示していた。半官半民の『ロシア公共テレビ』の経営権も同じ拘束を受け、二人のトップともに国外逃亡。政府は国営TVを併せ三局を支配下におき、社会の抵抗勢力は悉く排除した」

 寡占資本家として逸早く業界を牛耳った人物のなかにはユダヤ系ロシア人が多い。

 「2002年の2月10日、モスクワの劇場に独立を目指すチェチェン共和国のイスラム武装集団40人がなだれ込んで劇場を占拠、観客、スタッフあわせて2900人を人質にとる事件が発生した。プーチンは武装勢力が要求するすべてを撥ねつけ、特殊部隊に特殊ガスの使用を許可、強行突入させた。結果、犠牲者は129人に昇り、しかも大多数の死因は強行突入に使った特殊ガスだった。」 日本でなら、延々と話し合いに終始、いつまで経っても収拾のつかない事態になっていたかも知れない。白人社会では、ジャックされた人はアンラッキーという考え方があり、強行突破するのが平均的手法。日本の政治家も警察官もこうした危機に対処するに際し、決して強行しないのが通例。

 周辺の民族が独立を認められているのに、なぜチェチェンだけが目の仇にされるのかについて、本書は触れていないが、石油パイプの敷設ルートにチェチェンが入ってしまうために独立を許されないのではないかと私は思う。

 プーチンにとっての最大のメリットはエリツィンが早世してくれたおかげで、大統領として指名された後、院政を敷かれるような状況に陥らずのすんだことだが、プーチン自身は8年間の2期大統領の座を終ええるや、ベジョノーべフに譲りながら、しっかり手綱を握り、隠然たるパワーを背景にロシアの将来を見据えているし、べジョノーベフの4年後の退任時(2012年)、再び大統領に復帰することを考えていると言われる。大統領の最長任期は二期8年だが、一期を過ぎれば、つて大統領だった人間も選挙に立候補できるように法改正がすでになされている。これには賛否両論が国民の間にある。

 米ロの軍縮会議(とくに核弾頭ミサイル)は、今後、オバマ政権とべジョノーベフ政権のあいだで、これまでよりはるかに具体的に、かつ真剣に討議され、実質的な共同声明に達すると推測している。プーチン自身がその意向を持っている。

 2009年3月31日に書評した大前研一の「ロシアショック」に「ロシア人は日本人が思っている以上に日本に親近感をもつ人間は多く、ことに日本製の自動車や電化製品には絶大の信頼を置いている」という話も、本書には出てくる。とはいえ、プーチンが日本への北方四島の返還問題に快く応ずるとは思えない。二島なら返還してもいいという提案はロシア側から出てはいるが、日本側がその案を呑むと仮定して、今となってはそれすら実現する可能性は希薄。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ