累犯障害者/山本譲司著

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累犯障害者

「累犯障害者」  山本譲司(1962年生)著
副題:獄の中の不条理
新潮社 単行本 2006年9月初版
2009年4月1日 新潮社より文庫化初版
¥476+税

 作者は元衆議院議員。2001年6月秘書給与詐取の罪で実刑判決を受け、433日を刑務所で過ごした。その間に刑務所で見聞した、とくに障害者の動向について深く考えることがあり、前非を悔いつつ、新しい分野への関心を強くした。なかでも知的障害者に関するこの国の扱いが不当であり、なぜ累犯に繋がっていくかについて、本書を通じ、その背景を克明に訴えている。

 日本社会の現状、ことに福祉関係の施策に関し、これほど踏み込んだルポ、ドキュメントは類書がないこともあり、本書はわが国の恥部に肉迫する内容に終始、大きな一石を投じた渾身の一書と評価したい。

出所した障害者の実態

 2004年に刑務所を出所した人の数はトータルで29、553人、うち社会福祉施設が帰住先となった出所者は僅かに24人。福祉の現場は前科が加わった障害者に対してきわめて冷淡。理由の一つは、メディアの障害者による事件に関する報道姿勢が挙げられる。日本のマスコミは障害に負けずに努力する障害者、パラリンピックを目指して汗するスポーツ障害者などは美談として採り上げるが、障害者の犯罪についてや、犯罪者の出所後の実態、福祉との関係などについて触れることはまったくない。

 (視聴率第一主義がTV会社自らの品性を歪め、貶(おとし)めている)。

 障害者には実刑判決が下り、刑務所生活が終了しても、身元引受人がいないのが通常のことで、したがっては、刑務所のほうが塀の外より暮らしやすい。だから、出所しても、再び軽犯罪を犯しては再び刑務所に帰ってくる例が後を絶たない。受刑者の一人は「おれたちは生まれたときから罰をうけているようなもの。罰を受ける場所はどこだっていい」という。この事実は、刑務所の一部が福祉施設の代替施設となっていることを示唆している。

 54年間の人生のうち50年間を刑務所を出たり入ったりで過ごしてきた男は、少年の頃に放火をし矯正施設への出入りを繰り返したのがきっかけで、大人になっても「放火イコール刑務所戻り」という考えが脳裡に印刻され、最近では、刑務所を出たが住むところがなく、男は区役所に相談に行ったものの相手にされず、下関までの切符をくれたので、下関駅で放火した。結果、4,000平方メートルを焼き尽くしてしまった。

 下関駅が焼けたことはニュースになったが、放火犯が知的障害者であることについて詳しく報道するメディアはなかった。公表すれば、知的障害者は犯罪を犯しやすいという、あらぬ誤解と偏見を社会に与えてしまう惧れがあり、また、障害者団体からは抗議の可能性もあるからだ。

 刑を解かれ、社会復帰した障害者のなかには、廃品回収業などに従事する者もいるが、回収する対象となる品物が回収してしまってよいものか、あるいは人が所有しているものかの区別がつかず、結果、人のものを盗んでしまったという例もあるが、このような場合なら精神鑑定すれば、「責任能力なし」で無罪放免される。

 知的障害者の場合、家族から見放された、あるいは家族と縁のない人間も少なからずいる。暴力団組織がそういう人間を狙って意図的に親子の養子縁組を行い、かれらのもつ障害者年金手帳を預かってしまい、年金を取り上げるだけでなく、かれらを働かせて、僅かな収入も取り上げてしまい、あるいはまた、かれらの名前を使って携帯電話を大量に購入し、法外な利子を取るサラ金業に売り渡したり、「振り込め詐欺」に利用させたり、自らがサラ金業を経営したりするケースもある。

 一方で、聴覚障害者がボスになって、他の聴覚障害者、知的障害者を集め、しかも聾唖者や知的障害者をターゲットとして金を借りさせたり、年金の横取りをさせたりというケースすら起こっている。

 障害者のなかで出所後、辛うじて再犯者にならずにすんでいるのは、路上生活者、ヤクザの三下、閉鎖病棟への入院、自殺、変死であり、多くの障害をもつ犯罪者が福祉と縁をもつことはない。

 (過酷な状況に置かれている現実を鑑みれば、わが国の福祉面でのいい加減さは欧州各国の実情との比較の上で、際立ってレベルが低い)。

警察、裁判所の障害者に対する扱い

 さらには、警察が、重度の知的障害を持つ男が平仮名の読み書きも、簡単な足し算引き算もできず、そのうえ片足に障害を抱える事実を、一見しただけで識別できるにも拘わらず、男を誘導しつつ自白にもっていき、犯人に仕立てあげてしまった例もある。

 裁判官も、こういう理解力のない人間に対して、あたかも健常者に対するように、手話通訳者を介して尋問するし、判決を言い渡すときは、一般の健常者ですら解りにくい専門用語をふんだんに使って主文から判決理由を延々30分にわたって読み上げる。相手を見て、言葉を選ぶなどの配慮はまったくされない。このような姿勢、態度には合点がいかないというだけでなく、裁判官自身の知能の程度を疑わざるを得なかった。

 だいたい、手話の通訳を入れないと相互に意志交換ができない場合、時間がかかるだけでなく、誤解や誤審に導かれる可能性すらある。手話というものは、中途聾唖者や健常者用に創られた交信手段であり、生まれたときから聴覚に障害のある人間には手を動かすだけでは感情や思いが伝わらず、かれらは手を使いながらも、本能的に、顎を上下させ、体を使い、頭を左右に振り、唇をとがらせ、視線を変え、眉を上下させ、瞼を開閉するなどといった動作が加わってはじめて会話が成立するといわれ、たとえば、NHKの3チャンネルが放映するときに手話を交えるが、彼らにはほとんど理解されていないという。

 だから、警察や検察の取調べにおける手話通訳者には間違いや誤解が少なくないと、聴覚障害者は等しく訴える。(歩道に視覚障害者が持つ杖の先端が触れる凹凸を刻んだ部分が連続しているのを目にするが、最近のTVで知ったことだが、電車のプラットホームにも同じ刻みがあるにも拘わらず、視覚障害者二人のうち一人はホームから落ちた経験を持つという話には絶句した)。

知的障害者と売春との関係性

 知的障害者と売春との関係には根深いものがある。それも、暴力団組織にからめとられ、身体を売らせることで組織が生計を立てるという図式で、女性らが知的障害者であるため、組織を内部告発したり、組織からの逃亡などはほとんど起こらない。

 1957年に売春防止法が施行され、知的障害の多くの女性が保護施設に入所させられた。その折りの調べによれば、収容者の知能程度はIQ100以下が89%、70以下(精神薄弱者)が37%だった。とはいえ、こうした内情が表に出ることは滅多になく、むしろタブー視されていた。むろん、メディアも決して触れようとはしない社会の裏面。

 婦人保護施設というものが全国に50か所ある。保護を要する婦人とは、性行為または売春を行なう恐れのある女子と定義づけられている。また、2001年からは配偶者からの暴力から逃れるための避難所としても使われるようにもなった。実態として、この施設には知的障害者が多く入居している。

 売春経験のあるTさん(33歳)は母親(62歳)と息子(10歳)との三人暮らしだが、母親は重度の知的障害者で、息子は軽度の知的障害者。母と娘は二代にわたって売春で生活をしてきた。この家庭に行政による福祉の手は伸びていなかった。別のケースでは、母親と結婚していた男はまったく働かず、友人を呼んで知的障害者である娘を男たちに輪姦させていたという。

 知的障害女性は異常なほど異性への執着をもつ。たぶん、それが、人間としての最も基本期な自己確認の手段なのであろう。とはいえ、健常者の男との恋愛関係は成立しないケースが多く、必然的に、売春へと走る。善悪判断よりも、自分の性を確かめたい、性的な願望を充足させたいという欲求が強く、これを抑制できない障害者が多い。売春をしてお金を稼ぐ」というビジネス感覚よりも、「男と寝ることで自分の性を確認する」「男と寝ることで官能的快楽を得る」という単純な理由。福祉施設に世話になって売春から身を引いたある女性に「いまのあたしって本当に人間なの?」と訊かれたときは、返答に詰まったという。(ここにも、セックスボランティアが必要なのかも知れない)。

聾唖者と聾唖者への政策の実態

 かつて、「聴覚障害者が犯罪を犯した場合、1995年に刑法が改正されるまでは、「聾唖者の行為は之を罰せず、又はその刑を軽減す」とあった。このおかしな法律は1880年(明治23年)に制度化されていたもので、1995年以前に刑務所生活を送り、「塀のなかの懲りない面々」を書いた安部譲二氏は刑務所で聾唖者に会ったことはないと明言している。放擲されたままになっている改正すべき法律は他にも幾らもあるが、この国の政治家も官僚も手をつけようとしない。経済大国を動かしている官僚と政治家の程度の低さがあらためて浮き彫りにされ、かつ問われている。

 聾唖者にとって携帯電話が世の中に出てから、社会生活が一変。困難だった屋外での待ち合わせが可能になったし、それまで頻繁に利用したファックスと違ってプライバシーが守られるもする。行動範囲も、交際範囲も格段に広がった。かれらにとって携帯メールの出現は一般社会人にとってよりも、はるかに大きな生活上の変化、変革を喚起した。だから、メールアドレスの交換などは聾唖者同士にとってはむしろ当たり前、必須のことである。

 聾唖者にはハンディキャップ上、一般の健常者に比べ、社会常識でも、ごく基本的な教育でも、自分のものにするのに相当の努力と時間が必要であり、場合によっては、かれらの理解を超える事項も少なくない。ある意味で、人にもよるが、知的障害者と似た部分がある。デフ・コミュニティ(Deaf Community)には独特の特異性を感じさせる部分があり、聾唖者への教育もまっとうになされているのかどうかという疑問が常に頭から去らない。正直なところを言えば、聾唖者も知的レベルは9歳のレベルで、これを「9歳の壁」と専門家は呼称する。

 これが真実なら、(映画「座頭市」はまったくのフィクションであることが判るだけでなく)、行政も、官僚も、それに見合った福祉行政を考えるべきなのだが、福祉施設自体が障害者へのかかわりを敬遠するのは福祉行政の「障害」に対する見方からきているという。日本行政は障害者への給付金を算定するにあたって障害程度を日常生活動作という尺度でしか判断しないからで、行政が定めた基準からすれば、食事介助や入浴介助が必要のない聾唖者や知的障害者には算定が厳しくなる。そこで、更生保護施設は身元引受人がない受刑者たちの出所後の受け入れ施設として全国に101箇所あるにも拘わらず、福祉的なスキルに習熟していないという事情もあり、どの福祉施設も引き受けることに積極姿勢を示さない。これでは、障害者とか年寄りの受刑者はまた刑務所に戻れといっているのと同じことになる。

国が把握している障害者数は果たして正しいのか

 内閣府調べの障害者白書の平成18年版によれば、「現在、日本全国の障害者数は約655万9000人だが、うち身体障害者は約351万6000人(聴覚障害者は約34万6000人、視覚障害者は約30万1000人)、精神障害者が約258万4000人で、知的障害者が約45万9000人になる。

 欧米ではそれぞれの国で、知的障害者の割合は2-3%といわれる。45万9000人が本当だとすると、たったの0.36%にしかならない。「日本人には知的障害者が生まれにくい」という医学的データはない。要するに、45万9000人というのは障害者手帳所有者の数なのだ。本来なら、全国に240万から360万の知的障害者がいても不思議はなく、この事実はわが国のこの方面に関する後進性、無関心、無知を表しているというしかない。

最後に。そして、作者について

 つい先日、TVで紹介された報道によると、雇用にありつけない人や、ホームレスとなった人が続々と名古屋に足を向けるという。居住している市町村の役所に赴くと、なけなしの金を与え、「ほかの土地で保護してもらえ」と言って、突き放すからだという理由。名古屋では、ボランティアが個々の事情を聞いてくれ、かつ炊き出しまで行なってそうした社会的弱者を救済している。むろん、これが継続すれば、名古屋だってパンクすることは目に見えているが、全国で名古屋だけがこうした弱者救済に力を入れているという現状は、先進国一般から見たら、日本という国のイメージが百パーセント変化してしまうだろう。むろん、みじめな国として。

 霞ヶ関が過去に使ってきた無駄な出費を抑制し、各市町村の余裕のあるところが本腰をあげて弱者救済に向かったら、わが国の福祉行政も多少は良化するのではないだろうか。世界の貧民にばら撒く金があるのなら、まず自国の貧民をケアするのが本筋というものだ。

 地方分権に力を注ぐのなら、過去に何度も言っていることだが、この小さな国を1都1道2府43県などという細切れにする必要はなく、ある政治家が言った「州にまとめる案」も注目に値する一案だと思う。これだけでも、多くの人、金、物の節約が図れるはずだし、さらには国会議員の数も減らせるのではないだろうか。議員にもリストラがあって然るべきだ。

 将来に希望を感じさせる計画もある。2008年10月を目処に開設予定の「PFI(プライベート・ファイナンス・イ二シアティブ)刑務所」の第一号が島根県に建設される。精神障害者、知的障害者、身体障害者の収容ユニットを設ける計画。福祉的スキルをもった専門家による生活訓練も予定されている。かれらの社会復帰の一助になることを願いたい。

 この作者は自分が衆議院議員という公職にありながら、秘書給与を詐取(他の議員にもいたが)、それが契機となって、刑務所における、とくに障害者がどう扱われているかに関心を払い、出所後も、この問題に固執し、まるでルポライターのように取材を継続し、すでに3冊も同じ趣旨の作品を上梓している。

 文章もまともで、明らかに物事の善悪を判断するに支障のある人物ではなく、秘書給与の詐取という刑罰を負った事実には信じられぬ思いがつきまとい、本人も情けなさと痛恨の思いが胸を覆っているであろうことが窺われる。とはいえ、刑務所生活を送ることで、あるいは拘置所生活を送ることで、これだけ多くの問題点を浮き彫りにした為政者側に立つ人間ははじめてのケースであり、ロシアにハウスをつくった男に比べたら、雲泥の差を感ずる。

 また、自分の犯した罪について一切言い訳せずに、本書が訴える問題一つに絞って、真摯に立ち向かった姿勢は漢(おとこ)であり、涼とするに値する。政界には、秘書給与詐取などという瑣末な犯罪をはるかに超える悪事を平然と、かつひた隠しにして議員ヅラをしている人間が幾らもいるし、同じ秘書給与の詐取を行いながら、再び代議士の資格を得、鉄面皮ぶりを発揮している議員もいる。

 最近の議員は世襲制かと思うほど、おぼっちゃん、おじょうちゃんが多く、庶民感覚とはあらゆる面で相当のずれが生じている。この際、全議員に数か月の刑務所生活を経験させることを義務づけてやりたいものだ。


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