侍/遠藤周作著

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侍

「侍」 遠藤周作 (1923-1996年)著
1980年 新潮社より単行本
新潮文庫 1986年 同社より文庫化初版

 久しぶりに一気読みをし、かつ感動した。

 1613年、伊達藩は宮城県の月の裏湾でスペイン宣教師や漂着者を利用してガリオン船をつくらせ、これに藩士、商人、水夫らを同行させて、太平洋を渡海、スペインによって殖民地化されたばかりのメキシコを横断したあと、再び船で大西洋を渡り、スペイン、ローマまで行かせた歴史がある。

 帰国は1620年。

 作者はこの史実をベースに(真実が百パーセント伝わってはいないが)、自身のカトリック教徒としての思いや心の構えなどを刻印するように、苦闘と苦難の旅を追いつつ、作品を仕上げている。

 言うまでもないが、この宮城からの遣欧使は、九州の少年を遣欧使として送った時代と同時代であり、異なるのは一方がキリシタン禁制前に帰国したこと、一方が禁制後に帰国したことだが、二つの歴史が二つとも明治に入って岩倉具視らが欧州視察に赴くまで日本史から消えていた事実は同列にある。

 主要な登場人物に、強烈な個性をもつスペイン宣教師のほか、寡黙な藩士とその下僕、同僚などを配し、それぞれに与えた性格が絶妙に響き合って、物語が紡がれ、本を手から離せなくなってしまう。

 心に響くのは「人間という煩悩を負った生き物は、なぜか、いつもそばにいてくれるもの、決して裏切らずに、離れずにいてくれるものを求めるところがあり、作者にとって、それがキリストである」という説明、さらには「信仰はあくまで自分の個人的なものだ」という、作者と信仰との距離感、一体感をありのままに曝し、読み手は作者の心情に触れることができる

 作者がカトリック信者だということはよく知られた事実だが、洗礼を少年時代に受けたのは周囲からの強制だったとは知らなかった。また、作者がそういう環境下にあって、成長するにつれ次第にキリストへの帰依心を確固たるものに育てていった過程が本書を読むことで想像された。

 人は生まれた土地の宗教、あるいは両親の宗教に自身の考えではなく、ほとんど強いられたように入信してしまうもので、私個人は神の存在など信じてもいない人が神社仏閣や先祖の墓の前で合掌しつつ、「健康でありますように」「事業がうまくいきますように」などと、ご利益主義だけで過ごす日本人の一般的な家庭に生まれたことを幸運だと思っている。

 旅の途中、メキシコでインディオの仲間として生きている一人の日本人男性(孤児だったのを宣教師に拾われ、ともにメキシコに渡る)と遭遇、その男から「自分にとってのイエスはわれわれ貧しき者とともに存在するものであって、豪華な教会や宮殿にいる宣教師が語るものではない」という言葉、そして、紙に拙い字で書いてくれたものを帰国後に開いてみる場面が印象的というばかりでなく、涙を誘う。

 「その人、われらの傍にまします」
 「その人、われらが苦患(くげん)に耳をかたむけ」
 「その人、われらとともに涙ぐまれ」
 「その人、われらに申さるるには、現世(うつせみ)に哭(な)く者は倖いなれ、その者、天の国(ハライソ)にて微笑まん」

 「神」という存在は、人間がその弱さのゆえに創造した架空のものに過ぎず、私自身は百パーセント無神論者ではあるが、それでも、この四行の言葉が執拗に胸に迫り、心が揺れ動くのを止めることができなかった。作者の本書構築の妙といってもいい。

 主人公らは帰国後2年して、旅の途中で洗礼を受けたかどで切腹を命ぜられる。下僕が「これからは私の代わりに、その人があなたとともにありましょう」という言葉も忘れがたい。

 宣教師が「日本の地図は見れば見るほど、トカゲの形に似ている。そして、トカゲがしばしば尾を切って、相手をごまかすところも日本人の性格との相似を感じる」という、初代アメリカ大使だったハリスが「日本人は狡猾だが恫喝に弱く、意志決定は常に合議制、無責任体制」などと日記に書いていたことを想起させた。

 私はかつて「フィリピンの地図は見れば見るほど、人間の骸骨に似ていて、地図そのものが人々の貧困ぶりを表現しているようだ」と言ったことがあるので、この宣教師の言葉には恐れ入ってしまったし、確かに「トカゲに似ている」とも思った。

 また、宣教師というものは性欲の抑制を金科玉条とし、夜寝るときは両手首を紐に縛りつけ、手がペニスに伸びて自慰行為をしないようにしたという話にも初めて接したが、現在のアメリカにおける教会牧師らの幼児虐待やホモセクシャルの話とにあまりの隔たりを感じ、唖然とした。

 この剛直な宣教師も、フィリピン総督の地位を棄て、再び日本への密入国を企てるが、官吏に捉えられ、最終的には長崎の火刑場で焼き殺される。

 本書に巡り合った幸運を噛みしめている。ただ、NHKの「その時、歴史が動いた」で採り上げた伊達政宗のスペインへの遣欧使の話とはかなり趣が違うことは事実だが、小説ならではの、というよりキリスト教に帰依する人ならではの虚構がストーリー展開をエキサイティングにしていることは否めない。


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