敵兵を救助せよ!/惠隆之介著

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「敵兵を救助せよ!」 惠隆之介 (1954年生、沖縄出身、海上自衛隊勤務経験者)著
副題:英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」(いかづち)/感動の秘話・これが真の武士道だ
草思社 単行本2006年7月初版

 つい過日フジ系列のテレビで見たときに、本書を知り、さっそく取り寄せて読む気になったが、はっきりいってノンフィクションとしては饒舌すぎ、首題の迫力を殺いでる感が払拭できない。

 ただ、作者が元海上自衛隊の人間であったがゆえの思い入れが本書に込められていることも理解できなくはない。ために、現在の海上自衛隊と戦前の海軍、あるいは江田島にあった海軍兵学校との相違についてもできるだけ文献、資料を漁り、間違いのないところを本書にちりばめた過程が垣間見える気がするし、作者の意図が理解できないわけではないが、本来のテーマ以外の部分を書きすぎた感は否めない。そぎ落とすことで、本書はもっと読みやすく、評判も高いものになったであろう。

 シンガポール軍港を拠点としていたイギリス海軍の誇る戦艦「プリンス・オブ・ウェ-ルズ」(防弾装甲最大40センチ)が同伴していたのは巡洋戦艦「レパルス」、この二隻を日本海軍の航空隊が二時間十分で海の底に沈めてしまったという報が届く。日本海軍航空隊は、戦艦に随伴する駆逐艦がこの二隻から海に飛び込んだイギリス人兵士の救助に奔走する活動に対し、一切の妨害を慎んだ。

 (これを明治以降一貫して一等国を目指してきた日本軍人の矜持とみるか、武士の情とみるかは、意見の分かれるところ)。

 日本海軍の陣容は重巡洋艦2、護衛駆逐艦4、水雷戦隊は軽巡洋艦1、駆逐艦4、第四水雷戦隊は軽巡洋艦1、駆逐艦6に対し、敵戦力はイギリスが重巡洋艦1、駆逐艦1、アメリカが重巡洋艦1、駆逐艦1、オランダが軽巡洋艦1、駆逐艦2、オーストラリアが軽巡洋艦1、という四か国からなる守備隊で、敵はいわば「烏合の衆」だった。

 イギリスの「エグゼター」はじめ、オランダの旗艦「デ・ロイテル」、アメリカの「ヒューストン」、オーストラリアの「パース」などはインドネシアのスラバヤ沖での日本海軍戦艦との戦いに舐めてかかっていたとしか思えぬような負け方をする。このとき、撃沈した敵艦船から逃れ、漂流を余儀なくされた敵兵士を、日本の重巡洋艦を護衛しながら遊弋していた駆逐艦「雷」(いかずち)が400名を超える敵兵を救助することを決した官長、工藤の行動、対応が本書のクライマックスで、テレビではそこに焦点をあてたドラマ仕立ての放映をしたため、視聴者にとってはインパクトの強いものになっていた。

 この救助がなぜすごいことなのかは、海域にはまだ敵潜水艦が遊弋し、いつ攻撃を受けるかわからないという状況があり、同時に150名ほどしか載せられない船舶に400名以上の捕虜を収容することの度胸、結果的に甲板は立錐の余地のない状況となり、主砲の一つは使えない状態となる。

 しかも、逆に、日本の軍艦や輸送船が撃沈されて、日本兵が漂流のやむなきに至った場合、アメリカの策敵機や戦闘機などは機銃掃射を浴びせ、一人残らず殺してしまうし、そこに救助しようなどという温情はかけらもない。日本人を人間だとは思っていなかったからだ。だからこそ、この国にだけ2個の原爆を落としたのであり、(アメリカ人は原爆のおかげで、アメリカ兵の死が最少化され、ロシアの日本本土侵略を阻止したという理由でこの残虐行為をカモフラージュしているが)、大都会には無差別に絨毯爆撃を行なって無辜の市民を含め大量殺戮を平然と行なったことの言い訳にはなっていない。

 (尤も、そういう敵国と戦後70年間仲良くやっている日本という国が理解できないという国は多い)。

 むろん、真珠湾攻撃への報復もあっただろうが、日本への憎悪、復讐心には人種的な問題を含め、複雑なものがあったであろう。

 日本が海戦と同時に、シンガポールを落とし、ついで急遽インドネシアへの進攻をはかった理由は、いわずと知れた石油である。地下資源に恵まれぬ日本軍が本土から最も至近距離にある資源国、インドネシアを狙う意図は、連合国側が事前に判っていたからこそ、四国が連携してスラバヤの港を拠点にジャワを守っていたのだが、このときの海戦では日本があっさりと勝ちを収めた。しかも空軍力で。

 (シンガポールを先に攻めたのは、そこにイギリス軍が戦艦やトーチカをもって要塞を築いていたからで、「マレーの虎」こと山下奉文の戦略の勝利)。

 戦後、各国からクレームがつけられたのが日本の捕虜の扱いだった。東条英機が「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けず、死して、罪禍の汚名を遺すことなかれ」が、われわれが現在想像する以上に、当時の日本軍人の脳裡に刻み込まれ、したがっては、気楽に捕虜になってくる外国人の姿に唖然としただろうし、太平洋戦争がはじまったばかりのころ、各地における捕虜の数は敵国の数が大きく上回っていた事実に驚愕する。

 日本人兵士には平気で捕虜になる神経も理解できなかっただろうし、収容能力の問題のほか、食糧事情が逼迫している状況下、こちらの方が問題を多く抱えていたであろう。戦後、この食事問題で、「Hung」(絞首刑)の決定をGHQから言い渡された元日本人兵は少なくなかった。

 むしろ、アメリカ戦闘機乗りがやったように、捕虜などは皆殺しにしてしまった方が死人に口なしで、後日、戦犯会議において彼らから捕虜の扱いや食事について、ごちゃごちゃ言われずにすんだかも知れない。

 著者は肝心な部分は全体の4分の1ほどに抑え、戦前の海軍や海軍兵学校について、実態を知って欲しいという信念と、戦後、戦勝国が一方的に敗戦国に裁判の場で断を下す手法には納得しがたいものがあることを4分の3を使って強調している。

 こういう内容の事柄を沖縄出身の作者が力説するところに、私は歴史というものが固定的なものでないことを感ずるし、そうした意味でも、本書の価値が上がることはあっても下がることはないだろうと思われる。

 さらに、読んでいて、なるほどと思ってところ、初めて知ったことなど以下;

1.日本に米西岸を攻撃した男がいた。田中中佐は「伊25」潜水艦(1950トン)で岸に接近し、ブルキングズの森林地帯に焼夷弾を投下、山火事を起こした。また、田中は西岸でタンカー一隻、商船2隻、水上機母艦「ラングレー」を撃沈、コロンビア河口のアストリア兵舎を砲撃している。この男は米本土を爆撃、砲撃した唯一の日本人兵士である。

 (これまで、風船爆弾が一つだけ、アメリカ本土の山に落ちたという話は聞いたことがあるが、田中中佐がやったような米本土攻撃がもっと頻繁で効果的であったら、戦争の様相はどうなっていたか予断を許さない)。

2.戦前の学校別偏差値でいうと、ファーストランクは海軍兵学校、セカンドランクは陸軍士官学校、サードランクに旧制中学校(現在の東大、京大などの教養課程)ついで、大学の予科、そして専門学校といった順。当時は、裸眼で1.0以上の視力が求められ、ペーパーテストに合格しても、その後の身体検査に合格することが必須の条件だった。

3.当時、イギリスはダートマース、アメリカはアナポリス、日本は江田島が世界の最大海軍兵学校の代名詞だった。

4.海軍兵学校がパンを朝食に食わしたのは欧米式を気取ったように作者は書いているが、白米を常食することが日本人に多い脚気の原因であり、遠洋航海で多くの将兵が死んだ史実があり、小麦を使ったパンを食べることに慣れることが遠洋航海時の健康の維持に繋がるとの意図だったことは明らか。

5.日本がラジオ放送の全国網を完成したのは昭和3年(1928年)だった。

6.大正時代、関東に大震災があったが、マグニチュード7.9、行方不明者、死者あわせて14万2800人、損害額は当時の金額で65億円(国家予算の約4倍)、現在価格に直せば60兆円から100兆円に相当。死因の大半が火災旋風。

7.日、独、伊の三国同盟の本当の理由は、三国には植民地をもっていなかったという共通点があり、時代に遅れた国同士の嫉妬から出発した「傷の舐めあい」。当時の日本軍には過去の日本政府と同様の、情報への軽視が否定できない。精神論ばかりが先行して、情報をベースとした冷静な判断を下すという習慣そのものが欠けていた。東条英機の阿呆さ加減がこの戦争の負けを決定的にしているし、有為の人間を失う原因をなしている。近代戦を前にして、尤も非近代的な男があるべきでない立場に立ったということだ。

 本書にはときどき、よく判らない話が出てくる。たとえば、239ページに「イギリスのエンカウンターは妙高、足柄の主砲による集中攻撃で沈没」とあるのに、同じぺ-ジに「エンカウンターは航行続行」と書いてある。こういう時系列をはずした、どちらが真実なのか判らない書き方をされるとむかっとくるだけでなく、混乱する。もう一つ、はっきりいうが、肩や肘から力を抜いて、もう少し文章づくりに関し、こなれた書き方をして欲しい。


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