真剣 新陰流を創った男、上泉伊勢守信綱/海道龍一朗著

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真剣

「真剣 新陰流を創った男/上泉伊勢守信綱」
海道龍一朗(かいとうりゅういちろう)著  新潮文庫

 タイトルは見るからに「剣豪小説」であり、剣聖とうたわれた新陰流の祖、上泉伊勢守信綱が主人公、長い空白期間の末に、むかし読んだ柴田錬三郎や講談本が脳裏によみがえり、懐かしさ一辺倒の思いで本書を入手した。

 驚いたのは本書がいわゆる剣豪小説というにとどまらず、当時の上州(現群馬県周辺や長野県の一部)の戦国時代の背景をことこまかに描写し、それはそれでこれまで知らなかった歴史の一部に誘ってくれる功績とはなっているが、そのことが文全体を699ページにおよぶ分厚い作品にしたことの一因となったのであろう。

 長い時間を使い、資料や史実を渉猟したことで、解説や説明が冗長となり、その事実が真実味を希薄にさせ、正直いって、ときに退屈きわまりなく、本書を読破するまで、これほど難渋するとは予想外だった。

 解説が史実に忠実なのか創作なのか、あるいはどこまでが創作でどこまでが史実なのか判然としないことにも疑心暗鬼にかられはしたが、これが小説だといえば、返す言葉はない。

 宝蔵院流槍術の祖、法印覚禅坊と上泉伊勢守信綱との試合に、柳生但馬守が立会人になったことも、信綱の信の字が武田信玄から直にもらったという謂れも、あるいはまた、柳生と覚禅坊の二人が現代の大阪弁を16世紀に使っていたことなど、立証する資料があるのか判然としない。

 本書がデビュー作であり、作者はいわゆる時代小説を書く作家のなかでは若手に入り、まったくの新人であるにも拘わらず、出版社側の紹介によれば、この歴史時代小説が出版後にファンから絶賛を浴びたという。

 確かに、これまでに接した時代小説とは趣きが違って、この作者なりの工夫が隋所にみられることは事実だが、各々の場面を描写するために必要以上に多くの言葉を使い、ときにはダブった説明があったりもし、読者を引きずる独特の文章作法には結果的に読者による評価を必ずしも出版社の都合の良い方向へばかりは向かわせないのではないか。

 本書を作品化するまで長期間を要し、原稿持ち込みで各出版社を回ったというのも、いまどきたいした性根の持ち主だが、最終的に新潮社の編集長がこの作品を認めつつも、大幅な削除を求めたという「あとがき」を読んで、それでもなおかつ削除が足りなかったのではないかというのが読者としての個人的な評価であり、本音でもある。

 僭越ながらいわせてもらえば、行間から読者の想像力を鼓舞し、ひきしまった短い文章で書きあげていたら、少なくとも550ページもあれば充分だったのではないかと思われ、そうしていたら、読者もフアンももっともっと多かったのではないか。

 むろん、長いあいだ勉強し、調査し、資料を漁って、大切に書き上げた原稿というものは、ほんの一行を削られることにも身を切られるにも似た思いのあることは、作者の気持ちとしてよく理解できはするが。

 私が個人的にもっともエキサイトしたのは宝蔵院流の胤栄が当時の弓矢の名手、菊岡宗政と真剣勝負をする場面で、こればかりは、文字通り、真に迫るものがあった。

 ところで、剣豪小説には得てして創りものが多く、いったい誰がどのように強いのかが、実ははっきりしにくい世界で、塚原ト伝だという人もいるし、柳生石舟斉だという人もいるし、本書の主人公だという人もいる。むろん、宮本武蔵の名を挙げる人も少なくない。

 ところで、学んだこともある:

1) 当時、茶は宇治茶を筆頭に、栂ノ尾茶、そして静岡茶とあった。静岡茶は今川家が宇治茶を参考にしつつ育てたが、義元が桶狭間で非業の死を遂げてより、しばらくは茶の育成が止まったという。 今川は良質の茶を皇室に謹呈したかったというから、いかにも今川らしい所業としうしかない。

2) 戦では武を誇る者より、しばしば臆病者、小心な者のほうが生き残る。

 おもしろい本は世の中にたくさん存在するものの、近頃は若い世代が本を読まなくなったともいわれる。海道さんは、海道さんなりに、自分の新機軸を磨き、展開しながら、文章づくりに研鑽を積み、今後とも良質の佳本を世に送り出して欲しい。そして、若い読者を増やすことに努力して欲しい。


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