シチリア歴史紀行/小森谷慶子著

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シチリア歴史紀行

「シチリア歴史紀行」  小森谷慶子(こもりやけいこ/イタリア歴史研究家)著
帯広告:シチリアの歴史は地中海史を読み解く鍵
2003年 白水社より単行本
2009年10月30日 白水社よりU・Books化初版 ¥1300+税

 シチリアはシシリーとも呼ばれ、イタリア半島の長靴の爪先の向い側に浮かぶ島、現在は同国の特別自治州で、州都はパレルモ、独自の州政府と立法府が認められている。面積は日本の九州の3分の2弱で、それなりのサイズを擁している。

 一般にも、私の知識でも、シチリアといえばマフィアの島というイメージが強く、本書のように地中海文明における特殊な立場にあった島として、その歴史を書いたものに出遭ったことはなかった。アメリカで映画化された『ゴッド・ファーザー』もシチリア出身の移民だった。

 「島の地理的条件が周辺各国の征服欲を誘い、その豊穣さが侵入者を呼ぶこと後を絶たず、結果として言語はギリシャ語やアラビア語の混在した独特の言語に結実、文化も伝統も多面性をもって定着した」とは、本書冒頭の言葉だが、そう言われて改めて地図を見ると、地中海の東西を遮るように存在する立地そのものが価値を高めていることが理解される。ゲーテが「シチリアを知らずして、イタリアはもちろん地中海世界のことなど何も解らない」と言ったということにも納得がいく。

 日本よりはるかに長い歴史をもつシチリアを本書のような小型で薄い本をもって全貌を映し出せるのか疑問をもちながら接したが、作者が多くの言葉を割愛しつつ小編に纏め上げた苦労が偲ばれた。

 「シチリア島には、はるかな前世紀にシカニという名の先住民族が土着していて、イタリア半島から大挙して渡来したシクリ族により島の東部に追われ、南西部に移住させられた歴史が伝わっているが、本当はこの島で最も有名なエトナ火山の噴火を恐れたからというのが事実らしい。島の至るところから古代の墳墓、石器、土器、陶器、青銅器、金の指輪などが出土し、島の歴史の長さを暗示している」。

 「紀元前1100年頃には、シチリア西端にある小島、モツィアにフェニキア人が住み、外洋を航行可能な造船術と航海術を身にすると、キプロスをはじめ、アフリカ北岸、シチリア、サルデーニア、イベリア半島にまで進出、商業取引をし、前814年頃には、モツィアの目と鼻の先の北アフリカにカルタゴという植民地を建設した」

 「前8世紀頃から、ギリシャ人がシチリアに移住し、都市国家(ポリス)、シラクサを建設、このポリスが他のギリシャ都市を圧倒するほどに強大化したのが前5世紀の初頭」。

 「前480年、ギリシャ軍がモツィアを襲撃し、陥落させられたため、フェニキア人は基地を別の場所に移設」。

 「前3世紀末、シラクサはアルキメデスという科学、物理、数学に通暁した学者を得、兵器に改良を加えたり新しい武器を開発したりして、この島に侵攻してきたローマ軍の精鋭をも立ち往生させたが、ローマ軍はシラクサ城内の密通者と結託、奇襲をかけて市街戦を行い、攻略に成功、以後、ローマ帝国はローマ人長官を置き、直接統治する属州とした。ローマ独特の奴隷制度が持ち込まれ、シチリアは完膚なきまでに疲弊した」

 と、以上のように、シチリアの歴史が時系列を追って解りやすく書かれているが、ここにすべてを書いてしまうわけにはいかないのでやめておくが、以後もノルマン人、イスラム教徒、ビザンツ帝国、サラセンなどに蹂躙されたり、欧州の王家の支配を受けたり、ローマ教皇に侵害されたりしつつも、一時は一つの王国として認知されたこともあった。

 イタリアと合併されたのは19世紀初頭だが、イタリアの納税システムや徴兵制度に馴染めず、ために反乱が後を絶たないばかりか、慣れぬ徴兵や納税を嫌った人々の多くが外国に移民として流出、山賊化した男らのなかにはマフィアとして暗躍する現象も起こったが、それはイタリア政府の強圧下における僅かな選択の一つであったろう。

 同島には長い歴史を反映して、多くの文化遺産が存在し、現在は有数の観光地として名を馳せている。本書はそうした遺跡群についても多くのページを割いての説明があり、シチリアの手引としては絶好の一書であることを保証する。


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