フロイスの見た戦国日本/川崎桃太著

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フロイスの見た戦国日本

「フロイスの見た戦国日本」 川崎桃太著   中公文庫

 本書はフロイス(ポルトガル人宣教師)が本国に送った書簡を参照しつつ、時代背景や書簡だけでは不十分と思われる部分を他の文献をも参照しつつ、著者が補い、一冊の書にまとめたもの。

 16世紀だった事実、戦国という時代背景を考慮すれば、幕末に來日したハリスの書いた「日本滞在記」や、スェンソンの書いた「江戸幕末滞在記」に比べ、迫力の点でこれら二冊に比肩できる内容でないことはやむを得ないが、要するに、「宣教師らの日本における布教活動の実態」と「16世紀の日本社会」が西欧人の目にどう映ったか、一読の価値はある。

 フロイスは31歳のとき、1563年に來日し、およそ半世紀を布教に費やしたあと逝去、日本に骨を埋めた。

 本書を読んでみたくなった理由の一つに「なぜ、当時の人々(百姓、武家、豪族、大名)の多くがキリシタンになったのかという疑問がある。

 本書を読んだかぎりでの私の推論は、まず第一に戦国時代で社会全体が疲弊していたうえ、旱魃や飢饉も多発、貧困と飢餓死が隣り合わせに存在したこと、したがって、宣教師らがまるで現在の「NGO]や「海外協力隊」のような活動を余儀なくされ、人々を援助、救済に奔走したこと。

 一方で、神社仏閣を中心とする古来からの拠り所が頼りにならず人望を失っていたこと。仏僧らが横暴、横柄で、まるで現在の官僚の一部のように腐敗していたことである。

 そのことは、ときの為政者、ことに信長の口からも「僧侶どもは虚偽、虚言を弄し、かつは傲慢、僭越なり」との言葉があり、ときの武家一般から見ても、宗門をあずかる僧侶たちの堕落と見識のなさに辟易するような風潮があったのではと想像される。

 そうした環境のなかで宣教師らが懸命にかつ真摯に布教を進めつつ、人々の相談役をも担い、徐々に日本人の信頼を勝ち得ていったのではないか。むろん、白人そのものが珍しい存在であり、見世物的な存在でもあったことはまぎれもない事実で、そのことが人寄せを可能とし、説教の時間がもてたことも大きくあずかって力になったであろう。

 さらに、人々や武家らの宣教師の該博な知識に対する畏敬もあったはずだ。たとえば、僧侶にには説明のつかない「日蝕」「月蝕」「天体の運行」(地球の形「世界の地理」などを知識としてもっていたこと、説明できたこと)も、かれらの布教を援けたであろう。

 さらには、大名らの「交易による財の獲得」という欲望がある。宣教師らと親しくすることが利益を生むという考えは、とくに、南蛮船の渡来の機会が多かった九州地方の大名に根付いており、魅力的だったのではないか。

 次いで、私がかねがね疑問に思っていたことは宣教師らの目的で、背後にいるポルトガルやスペイン政府の、軍事的な侵略の意図の有無についてである。

 この件について、著者は「スペイン、ポルトガルはすでに衰退期に入っており、日本を侵略する意図も力もなかった」というが、宣教師らはその時代、ポルトガル、スペイン、オランダが東南アジアのみならず、南米、北米、豪州にも踏み込み、侵略と収奪、殺戮を犯していた事実を認識していたはずだ。日本にいた宣教師だけが別の人格者だったとみることには無理がある。背後の政府から与えられた任務のなかには「日本の実情と収奪対象の有無についての調査」が含まれていたに違いないと憶測する。

 日本が侵略を免れた最大の理由は、かれらが望む資源がなかったこと、山岳地帯が多い日本すべてを武力によって長期にわたり支配下に置けるかどうかに自信がもてなかったこと、ことに武装した武家集団が他の後進国とは明らかに異なる軍事力として配慮せざるを得なかったこと、さらに、東南アジアからはすでにかれらが欲しがっていた胡椒、シナモン、絹、陶磁器など入手できていたからではないか。

 フロイスは1569年に信長に面談、その折り、信長は「この世に神や仏はいない。霊魂が不滅だというのはまやかしであり、来世などもあり得ない」といい、「宇宙の創造主など存在しないし、礼拝すべき対象たるべきはこの我」と尊大な態度を示したという。が、フロイスの目に映った信長は「明晰、大胆、正義感、名誉心、即断即決、性急。人間に対しては、身分の上下、貴賎にこだわらず、能力に主眼を置いて接した」という。表面ではなく資質を観たということだろう。この時代に「世に神や仏などはいない」といい、「霊魂が不滅などはまやかしだ」と言い切れた信長の近代性、科学的思考に感嘆する。また、「人を能力で見た」という好例が藤吉郎、後の豊臣秀吉。

 フロイスの信長との面談は以後18回にも及んだというが、信長がキリスト教に興味をもったからではなく、フロイスと会話することにより信長の天性の志向、科学的なもののみならず、合理的なものへの憧憬心が満たされたからであろう。

 信長を討った光秀は秀吉によって殺され(光秀の暴挙は当時の近衛家の指示を受けて、つまりは朝廷の信長への恐怖心があって決行されたという説もある)、天下の帰趨は秀吉の手に握られた。フロイスは光秀軍の兵士らの首が30も縄にぶら下げられて運ばれる光景を目にし、その悪臭に堪えられなかったという。

 フロイスの秀吉像は「優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが、見るからに醜悪な容貌をなし、気品に欠け、ちびで、片手には6本の指があり、目が飛び出して、まるで支那人のように髭が少なかった。「抜け目なき策略家」というイメージとともに、財の増加、軍事力の強化により、多くの悪癖と意地悪さをみせる。

 女漁りは万人の知るところで、淫蕩、獣欲に耽溺、200人以上の女を宮殿におき、さらに都と堺の市民と役人たちに未婚の娘、貴人の未亡人を所望した」とまでいっている。宣教師らには耐えられないほどの醜悪さだったのであろうが、育ちの悪さに原因があるだろう。

 秀吉は「布教の禁止」を言い出したものの、彼の周辺にはキリシタン大名である高山右近、小西行長、黒田官兵衛らが伺候し、その時点では、追放などにはされていない。

 「朝鮮征伐」と銘打っての戦争に関しても、フロイスは「あらかじめ侵略しようとする国に関する情報を得ようとする努力がない。朝鮮内陸部の地理すらなく、大海を越える船舶、航海の手段、技術すらもたなかった」と耄碌(もうろく)した太閤を批判している。

 太平洋戦争時の日本軍部のことをいわれているような気がするのは私だけではないだろう。

 著者は「当時、キリスト教に人々が惹かれた理由は、いかなる人間も神の前にあっては一介の被造物という点が上下関係に苦しむ、とくに貧しい人々の心を動かしたのではないか」という。また、「自己犠牲を強いる武士道と、身を律し、克己と抑制を旨とするキリシタンとのあいだには倫理面で、ある種の相似があり、共通点がある」との見方にはなるほどと思った。

 フロイスの「日本には貧困と気品、優雅と残忍が不思議に共存している。欠点とえいば、秘密を守るという点ではあまり信用できない国民であり、ときには陰湿で卑劣な手段を弄し、だまし討ちを行って平然としている」との話には、著者が「だまし討ちは当時の日本では常套手段だった」と弁明。おしゃべりは現代の日本人にも通ずる悪癖。

 「婦人の堕胎(間引き)や流産がけっこうあり、出産直後に窒息死させ、そういう赤子の死体を海岸でしばしば目にした。また、そういう赤子をむさぼり食う犬の姿も目にした」という言葉からは、当時の日本人が置かれていた貧窮、貧困のレベルが知れる。

 日本の大工の技術、繊細さ、技巧を絶賛する一方、「木造であるがゆえに、西欧の戦で使う大砲で撃てばあっというまに瓦解、崩壊するであろう」との当を得たコメントもある。「これは大砲を相手とする戦争をまったく念頭においてない城砦造りである」と。

 家康が天下人となったあと、キリシタン信徒は急激に増え、30万人を超えた。そこに、側近の本多正純の祐筆が南蛮船をめぐって贈収賄の密約を交わし、これが発覚という事件が起こる。「キリシタン禁制」はここに端を発した。その当時、フロイスはすでにこの世になく、残った宣教師らはマカオかマニラへ放逐、高山右近らも同じ船で海外へ島流し。黒田官兵衛だけは謹慎ですみ、以降、如水と名をあらためた。

 当時、幕府はポルトガル人をかなり嫌っていたふしがあり、その後、「キリシタン禁令はそのまま継続しつつ、平戸にオランダ館を開設、日本との交易の権利を与える。(ポルトガルが追い出された背景には、オランダによる中傷もあったかに聞く)。

 著者いわく。「もし、西欧人の世界観に宿る宗教心を理解しないなら、民主主義的価値観の共有ができないし、真の交流も期待できない」と。ならば、もし西欧人が仏教やイスラム教の宗教心を理解しないのなら、かれらには永遠にアジア諸国とアラブ諸国が理解できないということになる。もっというなら、キリスト教を軸とする西欧社会にだって、フランス革命にいたるまで、民主主義などというものはなかった。

 もう一ついいたいのは、そのキリスト教すら各派閥に分派、互いに相争うという醜さを露呈している。むろん、派閥抗争はキリスト教徒のみならず、イスラム教しかり、仏教しかり、共産主義しかり。西欧人の世界観のべースを理解すべきだといっても、単純な問題ではない。著者の仰ることはわかるけれども、人のことを理解することばかりに意を用いる日本人の精神が基本的に受身であり、これがグローバリズムを阻んでいるような気がしてならない。

 我々は、歴史上、キリスト教徒らが植民地を支配しつつ、世界中でどのくらい残虐と殺戮をくりかえしてきたかを知っている。同じ西欧の内部ですら、他教徒であるがゆえに迫害してきた歴史、カトリックがプロテスタントを迫害した歴史も知っている。日本が西欧の真似をして朝鮮半島、大陸に植民地的触手を伸ばし、横暴の限りを尽くしたことも事実。

 一神教の苛烈さ、残酷さは私たち日本人にはそぐわないと私は思っている。

 

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