ハリス日本滞在記/タウンゼント・ハリス著

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ハリスにほんたいざいき

「ハリス日本滞在記」
タウンゼント・ハリス(Townsend Harris/アメリカ人)著
坂田精一訳  岩波文庫

 本書には上、中、下と三巻あるが、「上」はタイ滞在日記で、「中」と「下」が日本滞在記。

 ハリス下田着1856年8月、江戸入りまで1年以上待たされて57年11月、修好条約締結が58年7月、日本退去61年5月。滞在したのは明治維新まであと10年、7年間という、あわただしくも騒然とした世相の時代だが、これほどおもしろい本には久しぶりに出遭った。

 以下は記憶に残った部分。

1)一般の日本人は正直、勤勉で、身分の上下、富裕の差にかかわりなく質素で華美に走らない。大君(将軍)ですら住居は簡素、衣服は粗末だった。宝石や金銀で飾る風習がまったくない。ハリスが面会した将軍は第13代将軍、家定。(タイに滞在中にタイの王様と面会しているから、金銀、宝石で飾られた宮殿や風姿とのあまりのギャップに驚嘆した様子が想像できる。もし、日光の東照宮や京都の金閣寺などを見せていたら、どのような感想を持ったかは判らない。

2)シーボルト同様、日本の動植物に関心が高く、下田に常駐しつつも観察したものを記している。

3)当時の徳川政権下の世情が混沌としていた事実についての知識が欠落していたからか、幕府との交渉に介在した武家役人を「嘘つき」「二枚舌」「底なしの虚言癖」と酷評、「奸智」「狡猾」「姑息」などの厳しい言葉がしばしば。ハリスは一貫して疑心暗鬼にかられたようだ。

 副使節だったヒュースケン(イギリス人)が薩摩大名行列の前を馬で横切り、ために薩摩武士の兇刃に倒れ、所謂「薩英戦争」を引き起こした史実もあり、「将軍に会わせろ」とのハリスの強要に対し、役人が嘘を混ぜながら交渉引き延ばし戦術に出た裏舞台は想像できる。

 ただ、役人の言動には今日の官僚システムの原型を見る思いがあるし、またかれらが幕府とのあいだで慌てふためき、幕府は幕府で大大名に気を遣ってうろちょろする姿には江戸末期の徳川政権の体質がいかに脆弱になっていたかを推察させるに充分。言葉を換えれば、徳川政権の瓦解が始まっていた時期だった。

4)将軍との謁見を経た後、国際関係にも経済にも無知だった交渉介在者(当時の大老を含め)に対し、ハリスは教師としての役目をにない、とくに経済学については言葉の概念から教えたという。

5)「日本人は恐怖なしには譲歩せず。力の誇示と示威が交渉を成功させる」との言葉は、ペリーの言動や、戦後のマッカーサーの威嚇的な態度に出た手法を想起させる。外圧に弱く、過剰反応する体質は今日も変わらない。北朝鮮のテポドン一発に慌てふためくのも、そうした日本人の性質の一端であろう。また、一方、アメリカが日本を庇護する点も、当時と戦後は酷似している。

6)江戸入りには350人もが行列に加わった。ハリスは用意された籠には乗らず、大名が乗る「籠」を称して「狭くて脚腰が伸ばせず、息が詰まる」といって忌避。「日本の大名や貴族はよくこんな乗り物に我慢ができる」などの感想を漏らしている。籠の代わりに、ハリスは馬に騎乗、威風堂々と下田から天城を越え、江戸に入った。要するに、当時、下田半島には海岸線を歩く道路がなかったということだ。とはいえ、貴人が籠に乗る意味は顔を民衆に曝さないことを目的としていたから、同行した役人はもとより、市井の民にとっても馬上の白人の姿は驚愕の景色だったに違いない。

 沿道、とくに東海道に入って以後は幕府官僚の肝煎りで、人払いがなされ、平静だった。天城を越え、三島あたりに出たとき、富士山の威容には一驚を喫している。

7)江戸の女も「人類の母、イブ」と同様に好奇心のかたまりで、出窓の奥に幾つも顔が重なり、ハリスを見物したとの記述は想像に訴える。

8)下田到着以来、地震をなんどか経験した。東海、南海、江戸とペリー来航以降三度あった安政大地震のうち一度か二度はハリス滞在中に起こった可能性がある。津波も経験したかも知れない。

9)当時の日本人児童は生まれてから20歳に達することのできる割合がたったの3割だったことが交渉に介在した官僚から説明されている。ハシカ、疱瘡などのワクチンを当時の日本人は知らなかったという事情がある。

10)江戸宿泊所では故意にキリスト教の祈祷書を声高にとなえてみせ、幕府の「キリシタン禁制」を批判。デモンストレーションを行った。(切支丹禁制が解かれたのは明治に入ってからで、岩倉具視がアメリカ大統領に面会し、帰朝した後であったが、結果的にキリスト教徒が急増することはなかった)

11)日本人の馬の扱いをみて大笑いしている。日本人は馬をしつけるのではなく、馬にお願いしながら動いてもらおうとすると。また、日本は馬を駆って走るための広く平坦な土地に恵まれていないとも。(武家の馬調練は別らしいが)

12)遣欧使節、遣米使節を可能ならしめたのはハリスの手柄。(「ハリスが初代アメリカ大使だったことは日本にとって幸運だった」との解説には同感)

 再び強調したいのは、これほど面白い本にはなかなかお目にかかれない。もっともっと読まれてよい本だ。ハリスが自分の六感を使って受け取ったものを、正直にそのまま、いささかの世辞もなく記しているところに価値がある。たとえ、記述の内容に多少の誤解、誇張、侮蔑があるにせよ。


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