ナポレオンと言語学者/ダニエル・メイヤーソン著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ナポレオンと言語学者

「ナポレオンと言語学者」 ダニエル・メイヤーソン著(Daniel Meyerson/アメリカ人)
副題:ロゼッタストーンが導いた天才たちの運命
原題:The Linguist And The Emperor
藤井留美訳 河出書房新社 単行本
2005年3月初版  ¥1、800

 コルシカ島(イタリア)出身の自己顕示欲の塊のような男がフランス軍隊に入り、めきめき頭角をあらわし、侵略戦争を始めたオーストリアを退け、参戦していたイタリアをも降伏させ、フランス革命直後の疲弊していたフランス国民を鼓舞、狂喜させた。その男こそがナポレオン・ポナパルト、唐突ともいえるスピードで頂点をきわめ、世界史の一ページを力づくで開いた。

 軍事の天才といわれた男であり、欧州史の突然変異のような男だが、最大の功績はエジプト遠征に167人もの学識者を同伴したことであろう。膨大な資料、文献、標本、スケッチ、地図を収集、フランスに持ちかえったこと、そして、世にその名を轟かすロゼッタ・ストーンを発見したことだ。ストーンそのものは戦争に敗れた相手国のイギリスに持ち去られたものの、石碑に「ヒエログリフ文字」で印刻された部分は写されていて、フランスに送られた。

 当時、エジプトの古代語「ヒエログリフ」を解読できる学者は不在。ササン朝ペルシャの遺跡ナクシュ・ルスタムの碑文を解読したシルヴェストル・ド・サシのような権威者でも、ヒエログリフの解読は不可能と結論づけていた。

 ナポレオンより21歳若い男、シャンポリオン・ジョン・フランソワはフランスの南西部の生まれ、学校に通うようになってから、他の教科にはまったく興味を示さなかったが、古代の言語に異常ともいえる憧憬心をもち、兄ジャックから言語について学ぶ機会を喜ぶという、いわば奇人、変人の類だった。 現実に、言語への執着心は、多くの言語の習得を可能にした。母国語はもとより、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、ペルシャ語、アラビア語、エチオピア語、アラブ語、さらにはエジプトの前世紀の言語であるコブト語にも造詣を深くし、2000ページにおよぶコブト語辞典を編纂すらした。

 (このあたり、トロイやミケーネの発掘にありあまる財産ををかけ、発掘に成功したシェリーマンも多種の言語を上手に操ったということに似ていなくもない)。

 学校では相手にされなかったフランソワの幸運は、物理学者であり、ナポレオンから県知事を委嘱されたフーリエとの邂逅によってもたらされる。 フーリエはナポレオン軍が持ち帰った膨大な資料類をベースに「エジプト誌」を執筆するよう依頼されていたため、フランソワの古代言語に関する知識を評価し、資料を提供した。

 エジプトを理解するうえで難解を極めた理由は、古代から続く王国がなんども外国の支配を受けたことにある。前525年にはペルシャによる抑圧の時代を迎え、前343年には一度は追い返したペルシャにふたたび支配され、前332年にはマケドニアのアレクサンドロス大王に征服されて、地中海に面するアレキサンドリアが当時世界最高の優美な港市としてエジプトに建設されたことも歴史に残っているが、プトレマイオス時代にはローマ帝国にも侵略を受けた。

 古代から伝わる文字、言語は数千年という歳月の経過のなかで、ギリシャ語を含め、多くの外国語が混入し、時代によっては一地方の方言だったコブト語が共通語となるなど、変遷をくりかえしたことが古代語の解読を一層むずかしいものにしていた。さらに、調査の過程で、ヒエログリフ語のあと、むろん紀元前だが、デモティックという新しい言語が使われていた時代の存在も明らかになる。

 ヒエログリフを解読することに成功したフランソワは次のように説明した。

 「ヒエログリフは複雑な文字体系をもつ。文や句のみならず、単語ひとつの場合でも、図像であると同時に象徴であり、音価を表す記号でもある。これらの異なる性質がおのおのの手段で概念の記録を補完しており、ヒエログリフはまさに暗号なのだ」と。

 あらゆる周辺各国の言語と古代語に精通していたフランソワのような人物は、変人であることは否定しないが、世界で最も古い国の歴史を読み解くために生まれてきたような天才的素質をもつ素材であったことは確か。なにしろ簡単な数学すら解からなかった男なのだから。

 フランソワは古代文字の解読に成功したあと、1832年、41歳の若さで逝去、そのあと兄のジャックが30年をかけ、弟の業績を整理し、刊行に専念した。本ブログで「黒澤明 VS. ハリウッド」を紹介したが、その折り、どえらいことをやってのける人間にテンカン体質の人間が少なくないという話が出てくるが、フランソワにもそういう体質があったのではないかと想像される場面が何度も出てくる。

 ナポレオンはセントヘレナ島に流されたあと、1821年失意のうちに亡くなった(砒素による毒殺説が強い)。本筋とは関係ないが、ナポレオンが愛したジョセフィーヌという女性が結婚したときすでに二人の子持ちだったこと、浮気をくりかえす淫蕩女であったことなども本書によって初めて知った。

 ロゼッタ・ストーンの解読はナポレオン・ポナパルトという軍事的天才がいて、学者を同行したうえでエジプト遠征を決行したことと、シャンポリオン・ジャン・フランソワという古代言語に憑かれた男が同時代に存在したことのニつの要因が重なって可能にした歴史的快挙だといえる。

 本書は上記の業績がどのような経緯と過程をへて可能だったかをノンフィクションで綴ったものだが、全体の構成や内容にしまりがなく、盛り上がりに欠ける部分のあることは指摘しておきたい。

 解説によれば、ナポレオンとフランソワは1815年に会っていると書いているが、本書のどこにもその場面は出てこない。

 作者は「歴史ノンフィクションを得意とする、コロンビア大学特別研究員」だとあるが、とすれば、よけい本書のノンフィクションとしての起承転結の運び方には納得がいかない。これは正直な感想であって、本書をけなす意図は毛頭もない。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ