異色と意外の科学者列伝/佐藤文隆著

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移植と意外の科学者列伝

「異色と意外の科学者列伝」  佐藤文隆著
岩波書店 単行本 (岩波科学ライブラリー127)
2007年1月初版

 科学の歴史を現代の物理学的なスコープで見ると、視野の狭窄が起こり、それぞれの時代における全貌が鮮明には見えてこない。本書は科学史の伝記を別のアングルから見ることで、これまで知られていなかった人間ドラマを白日の下にさらすことを目的としている。

 俎上(そじょう)に載る科学者は、コペルニクス、フラウンホーファー、メビウス、グリーン、フリードマン、ヴォルタ、オーム、ファラデー、テスラ、ラザフォード、ケルヴィン、ネルンスト、オッペンハイマーの13人の学者。

 たとえば、コペルニクスについては、ポーランド人であること、天動説に関する書をライプニッツの本屋から上梓したが、その書籍がであがったとき、本人は死の間際で、70歳だった。宗教界には大きな波紋を残したが、科学を学ぶ者にとっては福音書であり、科学そのものにとっても発展への萌芽であった。

 ドイツ人のフラウンホーファーはただのガラス職人だったが、大陽の光の分光スペクトルに現れる暗線を発見、以降、「フラウンホーファー線」と呼ばれただけでなく、ドイツを世界一に導いたレンズ(カメラレンズのライカが有名)などの精密機器の基礎を築いた。

 「電池」というものの原形を創ったのはボルト(英語ではVoltage)を発見したイタリアのヴォルタ(Volta-1745年~1827年)で、電池の創造こそが静電気の枠からの脱出、飛躍を可能にし、電流革命を起こした。電磁誘導の発見を促し、発電に寄与し、送電、動力、電信、放送が可能となり、X線、電子、加速器、さらには原子核、素粒子の物理に繋がっていき、世界中が電流技術の改善による多種の電化製品や電気を使ったインフラを利用できるようになった。電圧というものの発見に招来された世界の広さも、ビジネス世界の占める分野も、携わる人間の数のみならず、そこに集中する資金も膨大で、半端ではなかった。

 電流と抵抗を掛けたものが電圧であり、これを「オームの法則」というとは義務教育で教えられるが、オームがドイツ人で、Ohmとスペリングされ、1789年に生まれ1854年に逝去。アンペアはフランス人のアンぺール(André-Marie Ampère-1775年~1836年)による発見によるとは本書により新たに学んだ。

 ドイツは物理学者を多く輩出した国だが、1820年まで遡(さかのぼ)ると、フランスとイギリスの後塵を拝していた。ドイツの物理学の黄金時代は1870年から1935年までを指すが、1935年以降はナチス誕生による学者の亡命によって人材が払底した。ほとんどの頭脳流出は、その価値に適切に対応するアメリカへと向かった。

 19世紀のドイツは大学も学会もアカデミーも行政の一環にあり、学者はその業績を行政官に訴えるしかなかった。大学の教授がゲーテとヘーゲルを尊ぶ啓蒙主義一色の時代で、こうした社会が新しい学者の新しい業績をまっとうに評価し得ず、上記のオームもその犠牲者の一人、業績との比較上、酷な待遇に長いこと忍耐させられ、60歳になるまで大学教授にすらなれなかった。(ドイツ人は変に偏屈なところがある)。

 1870年に大学教育制度の改革がなされ、世界の模範となった。プロシアの威信回復の向上とも連動、ドイツ流の国民教育の科学の興隆のなかで重要な位置を占めていたのが算数、数学であり、そういう背景のなかで純粋数学が培養された。ドイツがあらたに形作った教育制度、教育内容を今度はイギリス、フランスが学び、採り入れることになり、日本の新政府もこれに倣った。

 ベルリン大学へは各国から留学生が来訪した。その後、イギリスはロンドンのみならず、マンチェスター、バーミンガム、グラスゴーなどにドイツ流の教育を施すべく高等教育と大学の役割を負わせるようになる。

 ニュートン以降、ケンブリッジ大学が知的活動の巣窟であったことは事実だが、物理学の先端であったように捉えると間違える。また、当時のフランスは、とくにナポレオン以後、国づくりの専門人材養成という現代的シナリオ(土木、鉱山、化学工業など)の専門家が育成されていた。(例えば、スエズ運河の開通もフランス人の壮挙であり、エジプトのロゼッタストーンの解読に成功したのも、ナポレオンに従ってエジプトまで足を運んだフランス人学者だった)。

 経緯度の設定と時間(時差)の問題は1675年のグリニッチ天文台が設置されたあと、航海術に役立てる使命を帯び、時計を製作したハリソン親子が世界の海を航行しつつ確かめ、0.5度の差が2分に相当することをつき止め、何十年もかかって時計の精度を上げ、大陸間の移動で目的地まで48秒と狂わなくなった。ハリソン親子の努力は天文学と精密機械工業との関係、さらに海運技術の向上と海運国としてのイギリスに奉仕する結果となった。

 1884年、ワシントンに25か国が集まり、うち22か国がイギリスのグリニッチ方式による時間を採用し、これを国際的経緯度座標、計時システムにする条約に賛成した。当時の日本は遠くから見ているだけの存在だった。

 ただし、時間の問題はそれまで天体現象にとらわれてきたが、精度をよく調べてみると、地球の自転も公転も等時的でないことが判り、現在ではセシウム原子の超微細構造のレベル差の遷移で出るマイクロ波が91億9236万1770回、振動する時間が1秒であることが判明している。また、1メートルの単位も、真空中を光が2億9979万2458分の1秒のあいだに進む距離となっている。

 「エレクトロ」の語源は摩擦で静電気を起こしやすい琥珀(こはく)であり、「マグネ」は磁石を産出するギリシャのマグネシアという地名が語源。「マグネ」は英語のMagnet(磁石)である。

 国際度量衡の名称変更の歴史:

  ミリバール → ヘクトパスカル

  サイクル  → ヘルツ(周波数)

  カロリー  → ジュール

  オングストローム  →  ナノメートル

  ガウス   → テスラ(磁場)

 上記のテスラはエジソンの直流に対抗して交流を開発、ナイアガラ瀑布の水力を利用した発電機開発に成功している。

 もっとも、国際度量衡は国際会議で決められたことで、各国がこれに倣うことが約束されたはずだが、イギリスもアメリカも、分野によって倣ったり、従来の使い方に固執したり、いまだにややこいしい換算を強いられるのは、その都度不快感を拭えない。せめて、フィート、マイル、ポンド、オンス、ヤード、ガロンはやめて欲しい。

 以上は面白いと思った箇所をピックアップしただけだが、詳細に興味ある方は本書を手にとることをお奨めする。


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