脱出記/スラヴィミール・ラウイッツ著

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脱出記

「脱出記」 原題 [The Long Walk] 
スラヴォミール・ラウイッツ(Slavomir Rawicz)著
海津正彦訳
初出 イギリス版1956年
日本語による初出2005年 ソニーマガジン刊

 ノンフィクションはやっぱりすごい。そう思わせるに充分なものが本書にはある。

 著者自身は「似たような話はほかにいくらもある」と謙遜するが、その言葉は著者の真摯さと九死に一生を得た者としての安堵と謙譲を含んでいる。

 現に、著者をふくめた男たちはロシア、ヤク-ツクの南西にある酷寒の収容所に送られ、そこから脱出、インドに向かい6500キロを、地図ももたずに、追っ手に怯えつつ、徒歩で移動し続けたのだから。1941年の4月から1942年の3月下旬まで、およそ12か月間、歩く方向は太陽だけが頼り、ただただ陽の光を頼りに南をめざす。

 収容地から東のカムチャツカを目指すのが最短距離ではあるが、逃亡者の大半はその方向に逃避をはかるケースが多いから容易に行方が知れてしまうし、官憲に追尾、捕縛される可能性が高い。そうした知識が彼らを南に向かわせた。

 ユーラシア大陸の広大さ、壮大さは想像を超えている。

 文章は訳書に特有のぎこちなさや、たどたどしさのあることは否めないが、移動中に遭遇する稀有のあれこれに引きずられつつ、読者はだれもが吐息に溜息を交ぜながら、読み通してしまうだろう。

 シベリアの酷寒、モンゴルの大草原、ゴビの砂嵐と熱暑、ヒマラヤ山系の崖あり谷ありの激しい起伏、そして、雪、豪雨、シラミ、高山病、浮腫、腹痛、さらには、継続する飢餓と渇き。

 脱出途次での18歳の少女との出遭いには「地獄に観音菩薩」といったイメージがあり、中国敦煌の壁に彫られた天女を想起させる。それゆえに、少女がゴビで死んだとき、言葉による説明はわずかだが、読む者の胸に響き、心をえぐられ、哀切きわまりなく、それが本書の意図せざる彩りとなっている。

 モンゴル人父子との遭遇、同伴者の死などなど、それぞれのエピソードにも胸が詰まる。同行者唯一のアメリカ人、スミスの冷静沈着さにも感動する。

 この脱走者たちに遭遇し、食事や飲み物を与え、屋根の下で熟睡の機会を提供したモンゴル人、チベット人たちにとっても彼らとの出遭いは驚愕以外のなにものでもなかったに違いなく、コーカソイドとの出遭いそのものが初めで最後の経験だったろう。その話を生涯にわたって、妻や子や孫に語ったであろう。

 シベリアは吉村昭作の「大黒屋光太夫」や椎名誠の「シベリア追跡」、そしてテレビドラマで見た「日本人のシベリア抑留者の実態」を、ゴビは自分がウルムチ、タクラマカン、トルファンまで旅した経験を、ヒマラヤはジョン・クラカワーの「空へ」と篠田節子の「ゴサインタン」を思い浮かべ、あわせて自分の登山経験を踏まえつつ、読んだ。

 本書はスターリン治下時代の専制政治の匂いを背景に、多くの男たちがシベリアの収容所に送られる場面から始まるが、シベリア抑留者のなかには多くの元日本兵や民間人もいた。

 捕虜の移送中の話:

(1)貨車で移送されるとき、一つの車両に60人が立ったまま身動きできず、大小便をそのまま垂れ流す。(2)人が死ぬと、衣服を剥ぎ取り、死体はレールの近くに置いて雪をかけるだけ。(3)目的地に着くまでに10-15%が死んだが、貨車のなかで死んだ場合は、貨車のドアが開くまで死んだことにだれも気づかない。

 などなど、移送中の話だけでも感想の言葉が思い浮かばない場面が連続する。

 脱出中に出遭ったモンゴロイド(オスチャ-ク族)の容貌について、「目は細いが鋭く輝き、つぼまって、横一線の筋となり、いかにも世界一の悪天候のなかで危険に直面しながら生きてきたといった顔」というのもなかなかの表現。

 チベットからインドへの道程には世界に冠たる峰々がそびえていたはずだが、コンパスも地図もない彼らには海抜すら想像を超えていたのであろう。ために、どのくらいの高度を歩いたのかすら記していない。そのこともまた本書がフィクションでないことを雄弁に物語っている。

 これ以上書くのはやめよう。ぜひ、本書を手にとっていただきたい。おもしろいというだけではない。必ずや何かを得るだろう。私としては、この種のノンフィクションが相次いで世に出ることを期待する。


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