イースター島の謎/カテリーヌ・オルリアック&ミシェル・オルリアック著

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「イースター島の謎」 カテリーヌ・オルリアック&ミシェル・オルリアック(フランス人)共著
監修:猪熊兼勝  訳者:藤崎京子
1995年12月20日 創元社より単行本初版
¥1600+税

 モアイ像で有名なイースター島はチリに所属するが、チリの海岸からも南太平洋に浮かぶタヒチ島からも4千3百キロ、同距離に存在する孤島。交通はチリの首都サンチャゴからタヒチ経由となり、チリからはむしろ遠い。

 イースター島へのポリネシア人の移植は起源3-4世紀頃のこと。1隻の船に140人前後を収容し、風と潮を読みながら太平洋を縦横に行き来する技術には卓越したものがあった。

 島全体はまるで納骨堂、人骨にぶつからずに歩くことはできない。餓死の恐怖から部族間に戦いが起こり、人肉食の習慣が広まったといわれる。

 島で最も高い山が560メートルだが、火山のラノ・ララクの近くに火口湖が一つあり、ここから石が切り出された。ペルーやボリビアのインカに伝わる石積み技術との類似性が指摘されている。

 西欧人がこの島を発見したのは大航海時代で、西欧人による虐殺がここでも繰り返され、以降、島人のほとんどはキリスト教への改宗とタヒチ島への移植が強いられた。本書が出版された頃の人口は2千人前後。

 モアイ像には圧倒的な威厳があり、高さ3.5メートルから5.5メートルというサイズが最も多く、大きなものでは高さ10メートル、重量8トンものモアイもある。製造されたのは8世紀に始まり、14-5世紀までと考えられている。

 アルフレッド・メトローが現地でモアイ像を初めて見たときの感想に、「我々はたくさんの石像に囲まれ、それらを日光のもとで眺め、月明かりのなかで眺め、嵐の夜にも眺めた。眺めるたびに初めて見た日と同じ衝撃と不安とを覚えた。並外れた大きさにもまして、あの謎めいた表情に胸をしめつけられた」とあるが、巨石文明はほかにも存在するが、イースター島のモアイ像には格別の雰囲気とオーラがあり、メトローの感想は判るような気がする。

 運搬方法にも諸説ある。かの有名なクック船長が当時「12メートルくらいのテコを何本か用意して、その上を100人ほどの男の力で作業すれば、石像を滑らせることができる」と言った由。

 日本の考古学者も1991年に現地を訪れ、クレーンを操作し倒れているモアイ像を立て直すことを提案、1993年に成功との報道があった。最近のTV放映によれば、モアイ像に材木で仕掛けをして、ロープをかけ、男たちが引っ張ると上半分と下半分とが交互に引かれ、あたかも自ら前進しているような動きをする図が見られたが、大昔にこれと同じ手法で石像を運んだか否かは判らない。

 考古学者によれば、西暦3-5世紀にポリネシア人の同島への移植が始まった頃の島にはかなりの樹木が生い茂っていたという。過去に本ブログで書評した文献には、島が乾燥し、水を失い、飲食に飢えたのは過度の伐採が原因との説が紹介されていた。

 スウェーデンの花粉学者により、元々の植生であるトロミロという樹の苗が育てられ、最初は2本の苗が現地に送られ、順調に生育していると本書にある以上、現時点では相当に繁茂していると想像される。

 この「知の再発見双書」シリーズはどのタイトルでも、多くのカラー写真が理解を援けてくれる。


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