哲学者とオオカミ/マーク・ローランズ著 (その2)

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哲学者とオオカミ

「哲学者とオオカミ」  マーク・ローランズ(1962年ウェールズ生まれ/哲学者)著

書評その1はこちら

 以下はなるほどと思った点:

*幸運に恵まれたオオカミでも、一年に一度か二度しかセックスの機会はない。私たち人間はセックスは自然で健康であり、いつでもしたいと思っている。そう思うのは私たちがサルだからである。サルはセックス依存症。オオカミの交尾欲は遺伝的な衝動に動機づけられているのであって、交尾から生じる快楽のためではない。

*実家(アイルランド)の母親がチーズで何かを料理していると、ブレーニンは部屋から動かず、吠え声と遠吠えの中間のような声を出した。それまで与えていた牛肉よりもはるかに気に入ったようで、ついには母が冷蔵庫のそばにいるだけでそばを動こうとはしなくなった。

*契約というものは私たちサルにとって期待される利益のために払う意図的な犠牲でしかない。わたしたちの奥深くにある何かを成文化したものにほかならない。道徳は一種の計算、計算こそ私たちサルの得意とするところ。

*なぜ私たちは犬が好きか。オオカミの魂は幸福が計算の中に見出せないことを知っている。私たちはサル的になる前にはオオカミのような魂をもっていたのではないか。

*あるとき、ブレーニン(体重・68キロ、体高88.5センチ)がシボレーのブレザー(大型)に衝突された。ブレーニンは暫く動けなかった。ブレーニンは数秒後、横たわったまま遠吠えをあげ、体を起こし、道路わきの林に入った。一時間をかけてようやくブレーニンを発見したとき、ブレーニンはすでに回復していた。彼の肉体的な傷は数日で治った。

 ブレザーが私にぶつかっていたら、私が死んでいただろうが、ブレザーの受けた被害のほうがブレーニンより大きかった。

 以後、ブレーニンが道路ですれちがう車に僅かでも恐怖を示すことはなかった。そのブレーニンが、牛が出られないようにつくられた電気柵に触れたとき、ヤケドした猫のようにとびはねし、3キロも離れた場所に止めてあった車まで走って逃げたのには驚いたが、ブレーニンはよっぽど電気が嫌いで、恐ろしいものに感じたらしい。

 本書はオオカミや犬のみならず、各種動物の特性にまで踏み込んで、サルを内に秘める私たち人間に迫ろうという意図をもった作品であり、そのように理解して読むかぎり、面白い本である。

 言い換えれば、内容の本筋は哲学的思索に貫かれているということだ。

 本書を読んで以来、TVを見ていても、読書をしていても、つい「こいつもサルだな」などと思うことが多くなった。


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