アメリカ歴史地図(パート2)/マーティン・ギルバート著

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アメリカ歴史地図

「アメリカ歴史地図」
マーティン・ギルバート(Martin Gilbert)著 池田智訳

アラスカ
(アラスカ)

備忘録パート2。

●1810年から1938年までの南米各国の動きと経緯:

1.パナマ 1811年から21年、対スペイン戦争。1831年から1831年まで内乱。1903年、パナマ分離。
2.エクアドル 1822年、コロンビアと合併、1830年エクアドルとして独立。
3.ヴェネズエラ 1811年ー21年、スペインと抗争。
4.ペルー  1821年、スペインから独立し、64年ー66年、再びスペインと戦争。
5.ボリヴィア 1809年から25年、スペイン戦争。1825年に独立。1879年ー83年まで隣国、チリと戦争状態。
6.チリ  1890年ー18年、内乱。1818年独立。
7.ブラジル 1820年、ポルトガルの支配に対し、革命を起こし、1822年独立に成功。1865年ー1870年にわたりパラグアイと戦争状態に入り、1888年、70万人の奴隷を解放する。1889年、共和国となる。
8.パラグアイ 1811年にスペインから独立。
9.アルゼンチン 1810年、スペインから独立。1863年ー51年、対ウルグワイ戦争。1865年ー70年、再びウルグアイと戦争。
10.ウルグアイ 1810年、スペインから独立。対ポルトガル戦争。1843年ー51年、アルゼンチンがモンテヴィデオを包囲したが、抵抗し、これを奪い返す。
11.南米北部のトリニダードは英国領。同地域のギアナは英国、オランダ、フランスが三分割統治。
12.南米南端、フォークランド諸島は1833年英国領。アルゼンチンが領有権を主張するも、これを拒否、現在に至っている。

●北米大陸における1784年ー1820年にわたる先住民の戦闘と割譲の歴史:

 1778年から1810年にかけ、先住民との闘いに明け暮れながら、先住民に土地の割譲を強要し、アメリカとしての支配地域は次第に拡大、ミシシッピーを越え、ミズリーにまで及んだ。先住民は西へ西へと追いたてられた。なかでも、4,000人のチェロキー族は何千マイルという距離を「涙の旅路」と称し、多くが途次で命を落とした。

 1840年には、ミズリー州を越えて、開拓が進む。

 1845年には、テキサス、ニューハンプシャーを掌中にする。

 1846年から1848年までは対メキシコ戦争に明け暮れ、互いに死傷者を出しつつも、メキシコはテキサス、カリフォルニア、ニューメキシコ、トータルで258万平方キロメートル以上の土地をアメリカに明け渡した。

 1830年ー1851年、モルモン教徒がイギリスのリヴァプールを出、西海岸近くのソルトレークシティ、ラスヴェガス、ニューメキシコ、サンディエゴを包括する地域を8万人のモルモン教徒による治世下に置くと主張するも、最終的にはソルトレークシティに絞られる。

 1860年までには、東部各地に鉄道を敷設。 また、現在のアメリカ領土とほぼ同じ地域がアメリカ合衆国となった。

 
●奴隷の問題:

 1860年までに、南部人口1、200万人のうち400万人が奴隷として扱われていた。一方、1786年-1860年、大都会に地下鉄道の配備がなされた。

 1861年南北戦争が勃発、1865年に北軍の勝利に終わるまで、北部連合軍死者11万人、南部軍死者9万4千人。

 
●解放直後の奴隷人口:

 1871年から1877年にかけて:
 ミズーリに437,000人、ケンタッキーに225,000人、デラウェアに1,808人、メアリーランドに90,000人、ヴァージニアに472,000人、ノースカロライナに331,000人、サウスカロライナに402,000人、ジョージアに462,000人、アラバマに435,000人、フロリダに62,000人、ミシシッピーに437,000人、アーカンソーに111,000人、ルイジアナに332,000人、テネシーに276,000人。
 (以上の数値からは、綿の栽培地である南部に奴隷人口が集中していた実態がうかがえる)。

 1788年ー1890年: 先住民への配慮として、市民権が与えられ、1934年の先住民組織法によって土地保有権が保証されたが、すべてアメリカにとってどうでもよい荒れた地域であり、居留地に押し込められる形となった。

 1784年に入って、ロシアがアラスカに入植したが、1867年ロシアがクリミア戦争で敗北したため戦後賠償金をトルコに支払うため、720万ドルでアラスカをアメリカに売却。(ちなみに、アラスカの最高峰はマッキンレーで、6、194M、北側はツンドラ地帯ながら、金の試掘が盛んに行われ、現在、日本企業も投資している。ただ、アラスカを買うことを決した時の大統領はバカ呼ばわりされたが、名誉が挽回された時点では、当人は逝去していた)。

 (当時、アラスカの価値をロシア側もアメリカ側も認識していなかった。地下資源に恵まれた土地であることを知っていたら、さらには将来東西冷戦が幕開けすることが予測されていたら、ロシアもアメリカにたった720万ドルで売り渡しはしなかったであろう。むろん、買い取った当時のアメリカ大統領もそこまでは読んでいなかっただろう)。

 1876年-1932年、全国的に労働への不満がストライキを勃発させた。

 1898年、スペインとの戦争の結果、キューバ、プエルトリコを占領、太平洋のフィリピン、グァムも併呑、太平洋におけるスペイン艦船の主導権、支配権に終止符を打つ。以後、ミッドウェー島、ハワイ諸島、ジョンストン島、パルミラ島、トゥトウイラ島、サモア島、ハウランド島、ウェーク島などを手中にし、それぞれに太平洋全体を睨む戦略的海軍基地を建設。

 1921年、移民法を厳しくし、重荷になりそうな人間の移民を拒絶、移民を許可する総数も年間に357,000人に制限。

 
●1820年ー1920年までの移民の実態:

 スウェーデンから100万人、ロシア居住のユダヤ人が200万人、ドイツから550万人、ポーランド、チェコ、セルビア、オーストリア、ハンガリーから、5か国トータル370万人、スロヴェニア、クロアティア、イタリア、3国合計419万人、イギリス250万人、アイルランド410万人、ウェールズ7万5千人、オランダ25万人、ベルギー14万人、フランス53万人、スイス25万6千人、スペイン13万人、ポルトガル21万人、ギリシャ35万人、ルーマニア8万人、ブルガリア6万人、トルコ32万人、ノルウェー73万人、デンマーク30万人。メキシコ30万人、中国34万6千人、日本24万人、合計で、2,300万人が移民した。


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One Response to “アメリカ歴史地図(パート2)/マーティン・ギルバート著”

  1. NJWindow より:

    モルモン教の部分、数行転載させていただきました。事後ですがご承諾くださればありがたいです。
    モルモン教関連の書籍リスト(bibliography) を作成しています。(・_・;)

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