アメリカ歴史地図(パート3)/マーティン・ギルバート著

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アメリカ歴史地図

「アメリカ歴史地図」
マーティン・ギルバート(Martin Gilbert)著 池田智訳

備忘録パート3。

アメリカ地図
(アメリカ地図)

パナマ
(パナマの地図)

●アメリカとパナマ運河:

 1903年、ルーズヴェルト大統領の声がかりで始まったパナマ運河開発は、以前スエズ運河を水平式手法で開通させたヨーロッパ人が一度トライしたものの、多くの藪蚊媒体による疾病や、山岳地帯の切り開きに音をあげ、放棄した歴史がある。

 11年の歳月をかけ、3億7千万ドルもの建設費用をかけ、開通したのは1914年8月。コストの大半は山岳地帯の切り崩しへの労働力、切り崩した砂の運搬のための鉄道敷設、水平式開通が不可能なための水位変化式の考案と、それによる開通などに費やされた。

 これにより、それまで東海岸からサンフランシスコまで南米の南端、マゼラン海峡を回ってたた、21,016キロあった距離が、8,419キロに短縮され、ホノルルへは21,299キロあった距離が10,400キロに短縮、ニュージーランドへは18,102キロが16,635キロになった。

 また、パナマ政府には、半永久的に主権国家なみの運河地帯の保護、管理を行い、半永久的に所有する権利を獲得させ、その代わりに、パナマは年に1000万ドルの金貨を米国に支払うことを約束させた。その後、年に850万ドルと金額を減らしたが、パナマ運河は軍事上よりも商業上の利権が強く反映された。パナマ人は運河を持つことで、それなりの生活が保証されたのだとアメリカ側は考えている。

●1864年ー1912年 西部の幕開け:

 1850年にはカリフォルニアが、1859年にはオレゴンが、1864年にはネヴァダが、1876年にはコロラドが、1889年にはワシントン州とモンタナが、1890年にはアイダホとワイオミングが、1896年にはユタが、1912年にはアリゾナとニューメキシコが手中に収められた。(スペイン、メキシコの完全退去を意味する)。

 1914年、連邦銀行を設立、1990年ー1991年には女性に投票権を授与。

 禁酒法は1845年に成立したものの、イタリアマフィアの暗躍を許すだけの結果となり、1933年に廃止。(アール・カポネによる暗躍の時代を創り、映画のネタを提供しただけ)。

 1918年ー1940年、国内航空法が成立。国内線が次々に設置され、空港建設ラッシュが続く。

 

●1920年まで:

 1. 大陸横断鉄道すべてが完成。(最初の横断鉄道は東側からはアイルランド人が、西側からは中国人が労働力を提供した)。
 2. 1885年までに4本の大陸横断ルートが機能。
 3. 1870年、オハイオ州のスタンダード石油会社が組織された。
 4. 1873年、パスレハムの鉄鋼会社が操業開始。
 5. 1876年、ベルが電話を発明。
 6. 1880年、エジソンが電灯会社の操業を開始。
 7. 1896年、ヴィタスコープが初期の映像機の試作に成功。
 8. 1912年、自動車100万台が登録。
 9. 1913年、連邦準備銀行が設けられ、その他の銀行への「最後の貸し手」、つまり中央銀行としての機能を持った。
10. 1915年、ニューヨークとサンフランシスコが電話によって結ばれた。
11. 1916年、軽機関銃が発明、開発。
12. 1921年、最初の大陸横断航空事業が開始。

 

●1914年ー1945年までのアメリカ合衆国:(第一次大戦への対応を含む)

 1. 人口、1920年に1億571万人、1940年に1億3,140万人
 2. 自動車登録数:1900年に8000台、1912年に100万台、1930年に2,655万台、1951年に4,270万台。
 3. 交通事故が多発、全米で75万人が死亡。
 4. インフルエンザが流行、全米で55万人が死亡。
 5. 1939年、英仏はドイツに宣戦布告。ドイツはこれに先立ってポーランドに侵攻。ルーズヴェルトは一応中立の立場をとりつつも「全国民に対し中立のままでいることを求めることはできない」とも宣言。1941年ー1945年まで武器貸与を開始。資金貸与は連合国すべてに対し行われた。イギリスに313億6,500万ドル、ノルウェーに4,700万ドル、アイスランドに400万ドル、ロシアに109億8,200万ドル、ユーゴスラビアに3,200万ドル、イラクに100万ドル、イランに500万ドル、トルコに3,200万ドル、サウジアラビアに1,900万ドル、仏軍南アフリカに200万ドル、アフリカのアビシニアに500万ドル、コンゴに1億5,900万ドル、負担総計500億ドルに達した。
 6. 1940年、すでにドイツの支配下に置かれた国はポーランド、ノルウェー、デンマーク、オーストリア、フランス、ベルギー、オランダ、チェコ、ルーマニア、イタリア、ユーゴスラビアなど。
 7.ノルマンディ作戦:
 アメリカの実質的かつ実効的参戦。4,000隻の船舶を侵入させ、17万6,000人の将兵、600隻の戦艦、1万1000機の上空擁護機を準備。6月6日から7月2日のあいだに60万トンの物資、17万2000台の軍用トラックとジープを陸揚げ、9月5日までに200万人以上の将兵を上陸させ、300万トンの物資が運び込まれた。
 8. 日本との太平洋戦争の部分は割愛する。
 9. 朝鮮戦争:
 1950年、北朝鮮による韓国侵略がきっかけ。
 1950年6月から11月までに、連合軍は38度線を越え、平穣北部まで広範囲におよぶ地域を占領。
 1950年11月-1951年11月、中国軍が反撃を開始。アメリカが占領していた地域は、罠(わな)にはめ、国連軍をして撤退の余儀ない立場に追い込む。
 停戦とともに、38度線が決まり、戦後疲弊していた日本には特需という形で恵みがもたらされ、以後の経済成長に大きく寄与することになる。

 連合軍には、アメリカのほか、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、カナダ、フランス、オランダ、ベルギー、ボリビア、ギリシャ、トルコ、パナマ、フィリピン、タイ、台湾が協力。医療援助にはインド、イスラエル、デンマーク、スウェーデン、が、輸送活動にはノルウェーが、食料、経済援助にはチリー、コロンビア、キューバ、エクアドル、アイスランド、レバノン、リベリア、二カラグワ、パキスタン、ヴェネズエラが加わった。(現今の情勢からは考えられない組み合わせである)。

●マーシャルプラン:発展途上国や戦争で疲弊した国への経済援助という名目

 1848年ー1956年:アメリカは世界に金をばら撒いた。(イラクとの戦争まで、国際連合の維持費負担すらネグレクトしていた国とは思えぬほどの大盤振る舞い。共産化、赤化を懼れるあまりの援助と思われる)。

 イギリスへ                48億7,000万ドル
 フランスへ                36億1,270万ドル
 ベルギーおよびルクセンブルグへ      18億1,000万ドル
 スペインへ                11億1,300万ドル
 ポルトガルへ                3億7,800万ドル
 モロッコへ                 2億7,900万ドル
 チュニジアへ                2億1,100万ドル
 西ドイツへ                23億7,200万ドル
 イタリアへ                38億8,200万ドル
 ユーゴスラビアへ             12億7,100万ドル
 ギリシャへ                24億4,300万ドル
 日本へ                   9億2,300万ドル
 韓国へ                  46億4,800万ドル
 台湾へ                  41億9,400万ドル
 トルコへ                  39億0000万ドル
 ペルシャへ                13億1,700万ドル
 南ヴェトナムへ              18億6,800万ドル
 イスラエルへ                4億3,200万ドル
 インドへ                   22億100万ドル
 パキスタンへ               15億4,800万ドル
 フィリピンへ                6億1,500万ドル
 インドネシアへ               2億6,500万ドル
 エチオピアへ                1億8,800万ドル
 コンゴへ                  2億1,800万ドル
 ブラジルへ                 9億1,100万ドル
 ボリビアへ                 2億9,700万ドル
 チリーへ                  4億2,700万ドル
 メキシコへ                   5,800万ドル
 コロンビアへ                3億1,100万ドル
 ペルーへ                  2億0,300万ドル
 ヴェネズエラへ               1億4,100万ドル

※1955年ー1968年に至る「ヴェトナム戦争」に関しては割愛する。

 

●1948年ー1965年までに人口が百万を超えた都市:
 ニューヨーク、フィラデルフィア、ボルティモア、ロスアンゼルス、ヒューストンの5都市。

 

●人口の推移:

 1950年  1億5069万7000人
 1960年  1億7932万3175人
 1965年  1億9000万人
 1970年  2億221万926人
 1980年  2億2650万4825人
 1995年  2億4870万887人
 2000年  2億8142万1906人
 2002年  2億8993万2252人(中国、インドに次いで、世界で3番目に人口の多い国となっている。ちなみに4番目はインドネシア)

 

●1965年までの主要な移民集団:

 ドイツ    75万4192人
 カナダ     70万1059人
 メキシコ    53万5143人
 イタリア    31万449人
 アイルランド 20万6860人

 

●1963年ー1983年における移民希望国の推移と数:

 ジャマイカ       267、474人
 トリニダードトバコ    90、691
 ガイアナ         61、483
 メキシコ      1、181、760
 グワテマラ         48、930
 エルサルバドル      67、565
 ホンジュラス       35、363
 ニカラグア        25、877
 コスタリカ        29、158
 パナマ          45、562
 コロンビア       158、218
 ペルー          50、246
 アルゼンチン       69、499
 ヴェトナム        300、000
 インドネシア       226、582
 オーストラリア      225、388
 フィリピン       505、592
 台湾          325、025
 韓国          341、416
 イスラエル         93、051
 ハンガリー         29、445
 ポーランド        121、631
 西ドイツ        272、251
 エジプト         46、050
 ユーゴスラビア      90、317
 イタリア          92、254
 ポルトガル        192、940
 アイルランド       57、427
 イギリス        360、900
 ソ連(ユダヤ人)      75、000
 カナダ         412、603
 キューバ         544、241
 ハイチ          102、925
 ドミニカ         260、000

 1984年から1988年までの冷戦時代は宇宙への衛星の飛ばし合いのほか、それぞれの同盟国への資金提供と武器輸出に尽きていた。

 

●1981年の犯罪:
 ・1年間に2万6551人が殺害された。
 ・レイプ被害届による数が10万7017件に昇った。
 ・押し込み強盗、強奪は70万8535件
 ・盗難車の数は168万768台。

●1992年のエイズ死亡者: 17万人

●人種が多彩な都市:
 デトロイト、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDC、シカゴ、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ヒューストン、アトランタなどで、これらの都市の特徴は黒人が多く住んでいること。また、タルサ、オクラホマシティ、サンアントニオ、フェニックスなども多人種が居住する地域だが、黒人は少ない。(現在ではフロリダのマイアミもその中に入っているだろう)。

●2000年のアメリカによる原油の輸入:

 カナダから 4億9300万バーレル
 メキシコから 4億、8000万バーレル
 イギリスから 1億600万バーレル
 ノルウェーから 1億1100万バーレル
 サウジアラビアから 5億5800万バーレル
 ナイジェリアから 3億2000万バーレル
 ガボンから 5120万バーレル
 イラクから 1億2700万バーレル
 クェートから 9600万バーレル
 インドネシアから 1300万バーレル
 マレーシアから 1100万バーレル
 トリニダードトバコから 2000万バーレル
 エクアドルから 4600万バーレル
 ヴェネズエラから 4億4800バーレル
 メキシコから 4億8000万バーレル

 

 正直な感想としては、米国は自国のアラスカ、テキサス、コロラドから出る石油はできるだけ温存しているように思われる。「最後に生き残るのがアメリカ」という志向が察せられる。

 実は、本書はすんでのところで廃棄処分を受けるところを、私の弟が「ぜひ、譲って欲しい。兄が喜びそうな本だから」といってもらってきたという経緯がある。

 本書から多くを学んだ。知りたかったことの70%は本ブログに記録できた。


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