耳で考える/養老孟司 vs 久石譲対談

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耳でかんがえる

「耳で考える」  養老孟司(1937年生)vs 久石譲(1950年生)対談
副題:脳は名曲を欲する
裏表紙:野生の感覚を取り戻せ、失われた世界が見えてくる
帯広告:脳よりも耳を使え/音楽にはまだ知られざる力がある
2009年9月10日 角川書店Oneテーマ21より初版 ¥705+税

 養老孟司氏は解剖学者でありながら、昆虫採集という趣味、というより新発見の虫を論文で学会に紹介するほどのレベルであり、活動するフィールドが広く、日本の知性を代表する一人。一方、久石譲氏は音楽家で、北野武(ビートたけし)の「Hanabi」、宮崎駿の「となりのトトロ」、滝田洋二郎の「おくりびと」などの映画音楽を担当した、名実ともに日本の音楽界の第一人者。

 私は高校時代、友人に一見ガサツな男がいて、その友人の家に赴くと、いつでもクラシックを聞いている姿に、普段の言動とのギャップにおかしみを覚えたものだが、人それぞれ音楽というものとの相性には格別のものがあるような気がした。

 私はといえば、学生時代にクラシックギターに熱を入れ、「アルハンブラの思い出」「禁じられた遊び」などのほか、古賀メロディの「影を慕いて」などを夢中で弾いた。とはいえ、聴くほうは一般のクラシックならセミ・クラ程度といったレベルで、基本はジャズ一本槍、コルトレーンのサックス、ハービー・ハンコックのピアノによる「カメレオン」、マイルス・デイビスのトランペットによる「死刑台のエレベーター」に痺れた経験をもっているし、むろん今でもジャズは手放さず、常に300人以上のジャズメンの音楽が聴ける状態を維持している。

 本書を読んで、本書のテーマとは外れるかも知れないが、私の胸にぐっときた箇所を拾って、以下列記する。

*聴覚は時間を、視覚は空間を捉えているため、「時空」が言葉を生んだ。

*人間は見て感動するより、聴いて感動することのほうがよっぽど多い。視覚は明晰な美しさ、均整といったものを、聴覚は音の強弱、明暗で感動する。

*リズムは時を刻むが、ハーモニーは響きで瞬間、瞬間を輪切りで捉える空間把握、メロディーは時間と空間の記憶装置。

*「百聞は一見に如かず」は目の主張だが、実は論理性のあるのは「百聞する耳」。(人間による目撃証言にはミスが避けられない)。

*安全性、耐久性だけの構築物は人間が触れることを拒否する。一方、木の文化は人間に優しい。

*皇居の石垣は何度も地震に遭っているのに崩れたことがなく、その理由が未だに解らない。今、同じような石垣をつくれといっても、だれにも積めない。

*無臭、無菌の環境では、生物は生きられない。

*プロ仕様のレコーディング機材はイギリス製で、日本の機材をはるかに凌ぐ音質がある。

 (楽器とそれぞれの国との相性は、平均気温、湿度などが関係するため、地域によって齟齬をきたす例は避けられない。たとえば、スペイン製のギターをそのまま日本にもってきても、スペインで耳にした音質は得られない)。

*アルファベッドの世界で有限な文字を組み合わせ、組み替えをしても、それは全世界を表現するデジタル思考であり、そこに構築性がある。漢字文化の世界にはそれが欠落し、アナグロになっている。

*西欧の音楽には形式をベースにした構築性があるが、アジアの音楽にはそれがなく、代わりに情緒性を内包するメロディーだけで、人の情感に訴えるという特徴をもつ。

*環境が感性を変える。面白いものは舗装道路を歩いても出遭えない。アクシデントとの出遭いが、ときに面白い可能性を生む。(あるがままの自然との触れあいこそが人間を人間らしくする)。

*少子化のなかで、家族間のコミュニケーションが希薄になり、自然との接触も僅かになると、子供にとっては学校での人間関係の比重が昔の子供に比べて、二倍、三倍になっている。そういう環境下で「死ね」などというメールが入ったら、そのインパクトも大人たちが考える強さをはるかに上回ることになり、精神的ダメージも増幅され、深刻さも計り知れない。むかしは、自然との接触が解毒剤でもあった。(多人数で構成される家族メンバー同士のコミュニケーションも。また、インターネットを悪用すれば、同じクラスの他人になりすまして、ものが書けてしまい、場合によっては二度と立ち上がれないない悪意に満ちたこともされかねない)。

*誰もが認める日本人の美点は「時間通り来る」、「言った通りやる」ことだ。
 (時間を守るのは韓国人も日本人並みだという。日本国内での例外は沖縄の人)。

*動物と人間の違いは、相手の立場に立って考えることができること。
 (同種で殺しあえることも人間の特質)。

*鳥は絶対音感の持ち主。
 (真似をしても、音程を外したら、鳥には見向きもされない。猫屋江戸八を継いだ息子の野鳥の鳴き真似は明らかに亡くなった父親に比べ、レベルが低い)。

*日本人は鳥の声も虫の声も歌として聴いてきたが、アングルサクソンにとって、鳥の声は歌であっても、虫の声はノイズに過ぎない。北欧にはセミが生息していないからかも知れない。

*クジラを獲って食べるイヌイットは唱和できるが、カリブーの肉を食うイヌイットは唱和できない。クジラは仲間が力を合わせないと捕獲できないが、カリブーは個人でも捕れるからだ。

*ムッソリーニとヒットラーはタバコを吸わず、チャーチル、ルーズヴェルト、スターリンは喫煙者だった。

 (こういう物言いはJTを喜ばすだけ、解剖学者が受動喫煙についての医学的なダメージについて楽観的なのは論外)。

*人間はポルノビデオを見て興奮する。(女は男が興奮するほどは興奮しないし、第一、見たいという欲望そのものが男と違って希薄であることを見逃している)。

*人間は肥大化した脳の使い方を間違えてはいけない。(すでに間違って使っているのでは?)

*個性的すぎるものは一般性がなく、共感が得られない。(オリジナリティの限界?)。とはいえ、共感性を追うばかりの作品に人は感動しない。

*組織にいる人間は常識的で、そのことに疑問をもたず、それが常態化するのはきわめて危険。人生が尽まらなくなり、鬱病になって、死にたくなる。

 (現時点で、自殺者が多いのは組織にガードされている人ではなく、仕事にありつけない人、馘首された人、レイオフされた人、目標を失った若者に絞られる。終身雇用制度は基本的に日本人の感覚、感性に合致しているのではないかと私は思う。職種にもよるが、組織にいても個性的であることは可能だし、周囲の追随を許さない仕事をするのも可能)。

*人間の一生は作品。そう思えば、だれも怠けない。(愚にもつかない、醜い生涯も、悪行を重ねた人間の一生もそれなりに作品ではあろうが、評価は千差万別)。

*一年のうち2、3か月を田舎で暮らす「二居住性」をつくって、自然との接触の機会を増やすことで、より人間的な生活が可能になる。(いいアイディアだが、実現の運びとはなかなかならないだろう)。

 結果的に、音楽の話より、養老氏の人生訓の話のほうがより関心を惹いた。

 「絶対音感」については、2007年2月12日に本ブログで書評しているが、そのなかに「音響は最大の謎」という言葉があったことを思い起こした。


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