3つの真実/野口義則著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

三つの真実

「3つの真実」  
野口義則(メンタルマネージメント講師)著
副題:人生を変える”愛と幸せと豊かさの秘密”
帯広告:魂をゆさぶる感動の物語
ビジネス社  2008年5月 単行本初版

 作者にはかつて「鏡の法則」というミリオンセラーの著作がある。

 読み始めて、私を驚かせたのは、これほど文章が平易で、悪く言えば、軽薄な印象受けた書籍に出会ったことはなく、本の選択に再びミスをしたかと悔やんだほどだった。

 ところが、読み進めるうちに、平易に書くこと自体がむしろ難しく、内容は真面目で、決して軽薄短小の誹(そし)りを受けるべき対象ではなかった。むしろ、若年層にも読んで欲しい思いで、文全体の構成と、言葉の選択に腐心したのだと思え、ページを繰ることとなった。

 以下は、文章を多少変えてあるが、内容の骨子である。

 「人間の行動の動機は、突き詰めれば、愛と恐れしかない。社会的に認められたいという衝動も怖れからきている。社会から見限られることへの怖れ、社会との繋がりを失うことは自信喪失に結果する」

 「ビジネスで最も大切なことは社会への貢献(古くから言われているが)であり、従業員を喜ばせ、客を喜ばせ、取引先を喜ばせることから始まる。これこそは『愛』であり、幸せな家族を築くことも社会貢献の一形態」。

 「自分への評価は自分でする。他者に依存しない。充分な自信があれば、他人からの評価に一喜一憂せずにすむ。人を評価するときは、行動や結果だけを評価するのはかえって相手をダメにする。そうではなくて、相手の存在そのものが、かげがえのないものであることを強調する。つまり、一個の存在として評価する。ことに家庭であれば、どんなときの子供も、仮令(たとえ)成績が下がっても、大切に思っている、子供への愛情にはいささかの変化もないことを強調することで、子供から自信を失わせずにすむ」

 (どんな人間にも、必ず、その人らしさがあり、その人の個性、特性があり、それらは必ず評価の対象足り得る。つまり、人は誰もが何かしら一つや二つ、平均を上回る美質をもっている)。

 (いかにも日本人らしい穏やかな考え方であり、アメリカ方式の成果主義とは真っ向から衝突する思想だが、アメリカの自由市場で自由に行動し、成果次第で社会的格差が大幅に変容、勝ち組と負け組みをつくってしまう社会がサブ・プライムローンというような巨大な発想から、結果として巨大な損失を出した、投資が投機に変容していく社会のありように一考を要するタイミングに来ているようにも思われ、ここでは著者の言い分には素直に耳を傾けておきたい。とはいえ、「人間は誰であれ評価に値する対象がある」と言ってしまっては、間違いではないにせよ、人間だけがもつ強欲さ、同種同士の殺し合いなどが連綿と続いていることを否定するわけにはいかない)。

 「不登校の子にとって最も辛いのは学校に行けないことではない。学校に行けない自分はダメ人間だと思い込むことで劣等意識に苛まれること、自尊心を失うこと。子供の能力や行動力ではなく、子供の存在そのものを認めてやる、愛してやる、それだけで子供の意識も生活も一変する。不登校の子に頑張れ、頑張れと尻をたたくのは全くの逆効果しか生まない」。(確かな洞察といっていい。子供に勉強しろ、夢をもて、頑張れという言葉は子供にとってプレッシャー以外のなにものでもない)。

 「第一に、人間は肉体を超える存在であると考えれば、肉体のもつ弱小感、脆弱感を超えることができる。つまり、人間は宇宙の無限と繋がっている、すべての人間は意識の深いところで宇宙と繋がっていると考えることが重要」。

 「フロイトやユングの意識と無意識。自分では意識できない領域、それが潜在意識。人間の肉眼に見えない存在はこの世に幾らもある。電波、磁気、素粒子、分子などはどう頑張っても見えないが、現代の科学はそれらの存在を証明している。だから、五感から得られる世界だけが本来の世界ではない。人間が五感に頼っているから催眠術にもかかり易い。ヘレン・ケラーは、最もすばらしいものや、美しいものは目で見ることも手で触れることもできない。それは心が感じるものと明言している。」

 「宇宙には意志がある。宇宙に意志がないことを証明した学者は世界中にいない」という論理は(それ自体が破綻していると私は思う。なぜなら、宇宙に意志があることを証明した学者もいないからだ。とはいえ、「科学的に証明できぬものはまだ幾らもありながら、我々は過去との比較により、現代の知見が最先端だと短絡するが、数世紀後の人間は2008年を顧みて、未開を多く秘めた社会、文明以前の時代と評する可能性もある」との言葉を全否定はできない。ただ、過去に人間の知識範囲外にあった事象が科学的に解明されてきたことは僅かな事象ではない)。

 「人間は誰もが自分が遺伝子の総指揮をしているという自覚はない。遺伝子を総指揮しているのは、全生命体だが、その生命体は宇宙の意志、宇宙の叡智、宇宙のパワーと繋がっている。我々は宇宙に生まれていると考えるのが妥当。地球上のあらゆる生態系を養っているのも宇宙」。(宇宙における太陽系の一惑星、地球の特異性が生態系を維持するデバイスになっていることは事実だし、宇宙のちょっとした偶然が地球にアミノ酸を運んできて、人類を含む生物を誕生させたのも事実)。

 「自分の心臓に手を置いて心臓の絶妙な動きを知ること、それが宇宙に繋がっていることの価値であり、人間も宇宙もその本質は愛である」というのは宗教に近い。「自分がここに存在していることは奇跡なのだ。おまえと同じ人間は数百万年の歴史のなかでおまえ以外に存在しない」とは、古くから言い習わされている。

 「人生は自分の心を映し出す鏡である。自分が幸せだと自己認識しながら、同時に不幸を感ずることはない。自分が幸せであることを認識したとき、ますます幸せな出来事が頻発する。人生で起こる出来事は、良かれ悪しかれ、自分が成長するためのヒントを含むものであり、軌道修正をするために起きている。だから、出来事が起きたとき、仮令(たとえ)それが不幸な出来事であっても怒ってはいけない。ありのままに認め、それを起こす原因となったのが人間であれば、その人を憎まず、ありのままに認め、受け容れ、自分を顧みるヒントにする」。

 「感情がネガティブであろうが、アクティブであろうが、感情それ自体に善悪はない。悲しみや不安や憎しみを悪い感情だと思えば抑圧しようとする。自分の心のなかで、感じたままをポジティブであろうがアクティブであろうが、そのまま味わえばいい。幸福感だけを追い求めるのは不自然であり、ネガティブな感情に触れることから逃避し、アクティブな幸福感を追い求めれば、刹那的な快楽に落ち込んで、結局は虚しいものだけが残る」

 「家族の感じていることを尊重することは、相手の存在を尊重するのと同列であり、相手の自尊心を満たすことになり、家族間を愛で満たし得、自身も人間として成長する」

 「キング牧師の言葉に、後世に残る世界的な悲劇は悪しき人間の暴力や侵害ではなく、善意の人による沈黙と無関心であるというのがある」 (戦前、戦中を通じ、日本の識者の中には、戦争がいかに無謀かを声高に発言した人も少なくはないが、そういう人は例外なく憲兵に捉えられ、刑務所に送られたり暗殺されたりした。なにしろ、大朝日新聞までが批判的な論調を全くしなかったのだから、沈黙するのが人間として当然の姿勢であったろう。美しい言葉を並べるだけなら、誰にでもできる。とはいっても、発言することが死に近づくことになると判っているとき、あえて発言するのはバカである)。

 「家族間でも、企業のなかでも、充実した愛に満たされていれば、愛に囲まれて生きることになる。これこそ、真の豊かさが実現した姿である」

 作者の言い分をまとめてみると、これはもう小さな宗教とも称すべきもので、文中、この作者も「前世、後世」に拘泥している。そんなもの、ありはしないのに。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ