砂の海 風の国へ/椎名誠著

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「砂の海 風の国へ」 椎名誠(1944年生)著
集英社 2008年12月20日 文庫化初版 ¥571

 本書はシルクロードの二度にわたる旅行記だが、過去に二社から単行本として上梓され、そのうえ二冊ともそれぞれ文庫化されたものを一冊の文庫にあらためて収めたという、あまり例のない履歴をもつ。

 1990年以前のシルクロード体験記は、観光化され簡単に訪問できるようなった現在との比較において、ある意味で希少価値を高めており、このような珍しい出版となったように思われる。文章は44歳時のときのもので、比喩や駄洒落や擬音語が頻発するのは、それが著者の持ち味ではあるが、スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」を少年の頃に読んで以来の憧れの土地だったために、興奮状態に陥ったからかも知れない。

 具体的には、1988年に訪れたときの著作「砂の海、楼蘭とタクラマカン砂漠探検記」と、1989年に訪問したときの著作「風の国へ・駱駝狩り」との合本で、タイトルは表記にあらためられている。

 著者は1981年にすでにシルクロードを訪れた経験をもつが、ロプノール、楼蘭には行っていず、1988年に朝日新聞社主催のツアーに誘われて参加したもの。

 私がシルクロードを訪れたのは1980年で、そのときのことは本ブログの2007年10月に「その1」「その2」で紹介したが、仕事で海外に出かけるときはカメラ持参を自分に禁じていたため、本書に多数掲載される写真は懐旧の情を、いやがうえにも、高めることとなった。

 同行者は新聞社の記者、カメラマン、テレビのプロデューサー、メカニック担当、考古学者、動物学者、植物学者、医師、通信士などを含む29人。一方、中国側からの同行者はリーダー、案内役、通訳、運転手などトータル60人、途中でさらにサポート隊が合流、総勢150人という大所帯。そのうえ、当時の交通の便を示すように、旅の日程は1か月に及んでいる。

 使った車は日本から予め送っておいた20台のパジェロと、2台の通信車(GPSによる通信を担う)、中国側からはフランスのペルリエ社製のタゴールという8トン積み、六輪駆動車3台プラスアルファ(台数は不明)だったが、タゴールは荒地に入って2日目に早くも2台が故障、使えなくなったという、笑うに笑えない話。

(私が使った車はトヨタの四輪駆動だった)。

 途中、トイレが一つしかない土地での排泄ではドアのないトイレに1人がすわって唸っている前に、あとは行列をつくり、横から入る人を防ぐためそれぞれ腹と背をくっつけあい、足を踏み鳴らしながら待たねばならなかった。また、荒地の平坦な土地では樹木が1本もなく、身を隠す場所がない。そういうところでの朝の排泄は大人数がそれぞれ適当に間隔をとって大きな円をつくり、尻を丸出しにして一斉にことをなすという信じられないような話。

 (1980年に同地を訪れた私でも、このような経験はなく、現地のガイドがうまく按配してくれた。椎名隊が大人数で、移動速度が遅かったため、このようなことが必然となったのであろう)。

 当時は長江下りの船に乗ると、トイレは囲いのない平坦な面に円状の穴があって、そこに一度に3人が尻をくっつけあって排泄するとの紹介もあり、著者はトイレの話がかなり好きらしい。ただ、著者の「こういう排泄を体験すると、世の中に怖いものはなくなる」との言葉は、字義通りの実感で、著者の感性にかかわる逞しさに繋がったように思われる。

 (確か、著者はロシアでもトイレでは大変な経験をしている)。

 一行は村やオアシスに到着する都度、車の点検、修理、各種機器の整備、食料の備蓄、備品の調達を行いながら、荒地や風化した岩盤のようなところを走るとき、状況次第で時速1~2キロという遅速に堪えねばならなかった。

 タクラマカン砂漠もゴビ砂漠も黄砂の発生源ではあるが、観光地として開発されたため、砂漠化現象がむかしの緑地帯にも及んで拡大し、現在では黄砂の降る量も倍加、被害地域も大幅に拡大している。

 砂漠で見る夜空の星のすさまじさを著者は次のように表現する。「茫々たる宇宙空間という概念を視覚の上で保っているのが辛かった。空間は星で埋め尽くされ、星が厚い天井をつくっているようにも思えた。星と星の隙間に辛うじて夜の闇がある」と。夜には、「肉眼で人工衛星すら捉えることができた」とも。

 楼蘭まで20キロというヤルダンの地点からは、日本人25人と中国人20人の合計45人だけが選抜され、道なき凹凸道を徒歩で向かい、残された大勢の人は目的地に向かった45人が帰ってくるまで(3泊4日)荒地で待機するという、いずれを選択しても、過酷なことは否めない。

 徒歩組みの日本人の一人は途中で足をくじき、中国人の若い隊員に背負われることになり、ために行列は1キロ以上に伸びたという。

 楼蘭に近づいたあたりで、中国人隊長から「カメラ撮影禁止、遺物や石などを拾うこと禁止」が言い渡され、朝日のカメラマンも、TV用のカメラマンも突然の指示にがっくり。中国側が撮影するものに依存してしか、日本で放映できないこととなり、果たして中国側の撮影が依存に耐え得るのかどうか不安にかられる。

 (なぜ、中国という国はこういう後進国並みのことを平然とやるのか?)

 著者はこの旅に出かける前、井上靖氏が「楼蘭に着いたら、石を一つ拾ってきてくれ。それから、背を地面につけて天を仰いできてくれ」と依頼されていたため、困惑したが、ころぶ振りをし、石を拾って帰国した。私も「交昌故城」、「交河故城」を訪れたとき、土器と鉄の欠片を数個拾って帰国したものの、今となっては、捨てるわけにもいかず、持てあましているのが本当のところ。

 烽火台では土の中に土器や古銭が埋まっているのが判り、楼蘭古城は「紀元前1500年頃の王国」というのが考古学者の推論。

 著者は「帰国して1か月は魂を奪われた状態に陥り、ぼぅーっと日々を過ごした」という。

 ヘディンの「さまよえる湖」は私にとっても愛読書の一つだった。

 シルクロードの20年前がどのような状態だったのかを知りたい向きには絶好のノンフィクションである。私自身が経験したシルクロードツアーは楼蘭を含んでいなかったために、極端な不便にも遭遇しなかったのだろうと思われる。私が訪問した地には、粗末とはいえ、トイレもあり、部屋には土の上にベッドもあり、とりあえず観光という形を維持しながらの旅だったのと比べ、椎名氏の旅は文字通り「僻地への旅」だった。


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