凍/沢木耕太郎著

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凍

「凍」 沢木耕太郎著
新潮社 単行本1600円

 「壇」を上梓して以来、長く雌伏していた著者がいきなりというか唐突にというか、主題のノンフィクションを世に問うた。男らしく、清々しい文体を失わぬまま、文字どおり渾身の力作といっていい。

 書店の一隅に平積みされた「凍(とう)」を手にとるや、あとがきも、帯広告も、むろん中身にも目を通さぬまま、カウンターにもっていったのは、この著者が読者をがっかりさせるような作品を上梓するわけがないという絶対的信頼である。

 舞台はヒマラヤの、8千メートルにちょっと足りないというだけで、あまり人に知られていないギャチュンカンという山(世界で15番目の高峰)。クライミングディスタンス約1300メートル、斜度平均60度から70度、場所によっては90度に近いという岩壁、高度順化しながらとっつき(6500メートル以上のポイント)に達し、夫と妻の二人だけで無酸素で登攀するという、極限にして壮絶な実話。

 主人公がそういったわけでもないし、文中に書かれていたわけでもないのに、言外にも、行間からも、「凍傷にかかって足や手の指が失われる可能性や、岩壁から転落するリスクを恐れていたら、零下30度から40度という、高峰の大岸壁に挑んだりしません」という、クライマーとしての意地と覚悟とが、しきりに匂ってきて、読了と同時に射精直後さながらに虚脱、困憊した。

 結果として、夫は右足の指5本と左右の薬指と小指をそれぞれ失い、妻はかつてマカルー(標高8481M)を登攀したとき凍傷にかかり10本の指をすべて第二関節から先を失っていたが、ギャチュンカンで短く残っていた左右の手指すべてを失い、いわば「手の平」だけになってしまった。 それでも、帰国、入院、手術、退院後の二人に悲惨な蔭が微塵もない。

 そのうえ、夫は2005年にいたり、中国四川省にある標高5,500メートルのポタラ峰北壁、垂直1000メートルの岩壁登頂に残った指と足で成功する。

 夫妻は二人ともに世界のクライマーに名を知られ、オリンピックでならファイナリストだが、日本ではその道の人以外に名は知られていないし、知られようともしない。

 妻が夫より9歳年上という取り合わせにも、奥多摩という地を棲家としていることにも、名状しがたい納得を感ずる。

 このような二人の日本人を、同じ日本人として、どう見るべきか、どう評すべきか、どう声をかけるべきか、その術を知らない。

 本書には登山やクライミングの専門用語が頻発する。著者はあえて全用語を解説しているわけではないが、読後に言葉解説の要、不要は問題でないことが解る。

 著者が10年ぶりにこの作品を手がけた動機、意図、理由も了解したし、どのくらい苦労して、かつ時間をかけて書いたかも想像できた。「いいかげんなノンフィクションは絶対に手がけない」という作者の頑固なまでの意思が読み手の心に伝わってくる。間違いなく、本書に登場する場所へは、作者も足を運んでいるはずで、そのあたりをおくびに出さないところが沢木という男の潔さというべきか、はにかみというべきか、沢木のフアンはそういう沢木を愛し、尽きざる、しかし声にならぬ声援を送っている。

 本作品に触れる機会を与えてくれ、胸を震わせてくれたことに、感謝する。

 私自身も高校生時代、13日間、日本の南北アルプスにこもって縦走したこともあり、友人先輩のなかにはヒマラヤを経験、60代になってなおキリマンジャロの頂きに立ったり、ロシアの最高峰に達したりして帰国した先輩もいる。とはいえ、高所恐怖症の私には垂直の壁を登ったことはないし、登る勇気もない。

 映画「クリフ・ハンガー」や、小説「アイガー北壁」などを想起しながら、読み終えた。


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