徒然草/吉田兼好著

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「徒然草」 吉田兼好著
角川ソフィア文庫  2002年1月初版

 「本書の骨子は無常観の克服であり、人生の儚さのなかで生をいとおしみ、命の哀れを知り、一瞬一瞬を大切に生きる価値を捉えなおしたもの」というのが解説者の言葉。

 「元々、兼好には無常観に徹する哲人の面と、恋愛感を記すような風流人の二面性があった」とも。

 総じて、世の中の事象、人の所業に関しての兼好自身の好みを、兼好らしい人生哲学をベースに、あるときは一刀両断し、あるときは単刀直入に批評したり、賞賛したりするエッセイ。700年前の社会を対象とした批評、批判、非難が今日の社会にも通用する部分の多いことは驚嘆に値する。

 考証によれば、兼好は1283年頃に生まれ、1352年頃に死没と推定されている。南北朝の動乱の時代を70余歳まで生きたという。そういう人が「四十ほどにて死なんこそめやすけれべけれ」などと主張したとは。

 「つれづれなるままに日暮らし硯(すずり)に向かひて、心に移りゆく由なしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」と、暇をもてあましているかのような書き出しから、「住み果てぬ世に醜き姿をもち得て何かはせむ。命長ければ恥多し。長くとも、四十に足らぬほどにして死なむこそめやすけれべけれ」との一節が高校時代から脳裡にインプットされ、この一節にこだわってきた。

 今回、再読してみたい思いを漸く実現したのだが、当時の平均寿命が40歳くらいだったとはいえ、誕生と死は自ら決められぬ運命であり、生きるということ自体、例外なく、悪行、欲得,、屈辱、恥など煩悩を積み重ねていくもの、「長命であればあるほど、恥が累積する」のは当たり前のことで、自身の恥をどのあたりで抑制するかはそれぞれの人生観、人間性のレベルにかかっており、「幾つくらいで死を迎えるのが理想」だという議論は兼好の独断、過言にすぎない。

 「世の人の心惑わすこと、色欲には如(し)かず。人の心は愚かなるものかな。物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、久米の仙人が神通力を失い・・・・」は兼好自身の目であり、現在のミニスカートの女性の脚に見惚れる現代の男性と変わるところはない。

 「四十にて余りありぬる人の、色めきたる方、おのずから忍びてあらむにはいかがはせむ。ことにうち出でて、男女のこと、人の上をも言い渡れるこそ、似げなく、見苦しけれ」とは、当時の寿命からいって「老人の色恋沙汰」を指しているわけだが、「秘事を年甲斐もなく口に出して言うのは見苦しい」とおっしゃるが、逆に勿体ぶって紳士ヅラをし、秘かに情事に耽っている方が露見したときさらに見苦しいことになるのではないか。色恋沙汰に年齢は関係ないのでは。

 兼好は聖人君子が好きらしい。

 「よき友に三つあり。一つには物くるる人、二つには医師、三つには知恵ある人」という下りの、医師や知恵者を友として歓迎するとの気持ちは判るが、「物くるる人」というのは、いくら乱世の時代とはいえ、ちょっと意地が汚すぎる。人に物を与えるには、それなりの状況とマナーが必要で、与えることは施すことに通じ、相手を下に見る姿勢が気に入らない。無闇に人に物を与えるのが好きな人間がいるが、それは傲慢のそしりを必然とする。

 「金(こがね)は優れたれども、鉄(くろがね)の益多きに如(し)かざる」は言い得ている。

 「拙(つたな)きを知らば、なんぞやがて退かざる。老いぬと知らば、なんぞ閑(しず)かに身を安んぜざる。行ひ愚かなりと知らば、なんぞこれを思ふことあらざる」は、言葉を少し換えて、「国会に醜きツラ並べて何かはせむ。みずからの過去の癒着、贈収賄などの不正、不法行為、やましさを顧みて、何ぞみずから責任をとり身を退かざる。おのれのアホさ加減を自覚、悔悟して、代議士たるを控え、おのれの欲得づくの、甘い汁を吸わんとする性根を反省し、何ぞ腹をば掻き切って果てなむ」と言ってやりたい。「貪(むさぼ)る心に引かれて、自ら身をは辱(はずか)しむるなり」とは、全くその通り。

 「花は盛りに、月は隅(くま)なきものを見るものかは。雨に対(むか)ひて月を恋い、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し・・・・」の段は、高校の教科書にも出てくるところで、いかにも懐かしい。兼好も花鳥風月に心を動かされ、ものの哀れに心を痛める人物の一人であったということだろう。

 関東人と京の人間とを比較して、「関東人はがむしゃらで鼻柱が強く、思いやりが足らず、頼まれても、出来ないものは出来ないとはっきり口にする。一方、都の人間は頼まれれば、応じてやりたいが、台所の事情がそれを許さない。とはいえ、無下に、はっきりと拒絶しては相手を傷つけてしまう。人の心を慮(おもんぱか)るあまり、白黒を明瞭にはせず、本音をあえて口にしない。それが関東者には優柔不断に見えるのであろうし、逆にそうした応接こそが京では雅につながる」という話が出てくるが、京都人のこうした姿勢は現代にまで繋がっていて、外国人を同伴してビジネス交渉すると、常に即答を避け、いちいち「上司に相談した上で」などと言うものだから、外国人は怒ってしまい、「だったら、初めから意志決定できる人間を出せ」と面罵する。少なくとも、京都的な「曖昧」をベースとする処世術はグローバルには通用しない。

 「人が年老いてなお、世人にへつらひ、物を盗むは、肉親を守ろうとのことで、これを盗人と縛(いまし)め、癖事(ひがごと)をのみ罪せるよりは、世の人の飢えず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人垣の産なきときは恒の心なし。人窮まりて盗みをなす。世治まらずに、凍え飢える苦しみあらば、科(とが)の者、絶ゆべからず、人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはむこと、不便のわざなり。上の奢り費やすところをやめ、民を撫で、農を勧めば、下に利あらむことを疑ひあるべからず。生活に困らぬ立場にある為政者、官僚などが癖事をなさば、それをまことの盗人とはいふべき」は意を得た洞察というほかはない。

 兼好は「どんなにいい女でも、明け暮れ添いては誰だって飽きてくる。時々、通い、住まむこそ、年月経ても絶えぬ仲ともならめ」と、通い婚の美点を強調している。現今の結婚制度は非人間的な制度だと、私も思っている。伴侶をいとおしむ気持ちが失せても、経済的な面を配慮するあまり、忍の一字で、加齢する人生を結婚制度はある意味で強いているように思われる。

 「徒然草」は政治、世事、色恋、結婚など、世間の事象を多岐にわたって触れている書であることを、改めて認識した。


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