ヴェトナム新時代/坪井善明著

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ベトナム新時代

「ヴェトナム新時代」 坪井善明(1948年生/早稲田大学政治経済学術員教授)著
副題:「豊かさ」への模索
2008年8月20日 岩波書店より新書初版
¥780+税

 ヴェトナム戦争が終わったのが1975年、早くも30年近い歳月が流れている。

 その間、1995年に私は主にヴェトナムの海を調査すべくアシスタントを同行し、旧サイゴン、現ホーチミンからヴェトナムの地を踏んだ。そのときの思い出に加え、友人の一人がヴェトナム戦争に参加していたこともあり、そういうあれこれが、この著作に格別の魅力を感じさせた要因といっていい。

 ヴェトナムは元々フランスの植民地であったが、国内の、特に北部を拠点とする共産主義グループによるデモが独立を求め、内戦模様を呈し、宗主国の手に負えなくなり、アメリカは共産主義、社会主義が世界に広がることを怖れ、フランスに替わって、この戦争を引き受ける形となった。

 ヴェトナムは南北に長い国土だが、北と南とでは人種が違うし、国内に少数民族が幾つも存在する。当然ながら、かつてサイゴンと呼ばれた現ホーチミンより共産圏である北はあらゆる面で遅れていた。

 だから、北部からの兵士らが南部に侵攻してくるや、多くの南に住んでいた人がボートピープルになって出国、多くはアメリカに移住したが、結果的にそれまで縁のなかったIT関連産業、金融機関など多くを学ぶ機会を得た。これが帰国後に力を発揮した。

 爆弾に仕込まれた枯葉剤で亡くなったとされる赤子が丸裸のままホルマリン漬けにされているものを含め、ヴェトナム政府は戦争資料館に陳列しているが、観光で訪れた外国人はまずここに案内される。かつて日本でもTVで話題になったドクちゃんベトちゃんも日本で切り離し手術が行なわれたが、一方はややあって死亡、一方は今でも生きている。

 ホーチミン周辺には高層ビルも建ち、風景は大きく変貌しているが、アメリカから帰国した人々はしばらくは反政府運動家と疑われ、監視の的にされた。

 ヴェトナムも戦時には巧く機能した社会主義体制も、終戦後、平和が得られると、機能しなくなる。市場経済のメカニズムを構築するにはインフラが惨憺たる状態であり、かつ、社会主義的計画経済になれた人には貨幣経済が不慣れで、しかも品物が不足していることから貨幣より現物を手にしようとする。これらから脱却したのは日本を初めとする外国からの知的援助とアメリカ帰りのヴェトナム人自身による強い要望と実践であった。

 戦後も長く継続したヴェトナム北部と中国との摩擦も1991年に至ってパリ和平条約が調印され、正常化し、ASEANにも参加した。1994年、20年間続いたアメリカによる経済制裁もヴェトナムの譲歩で解除された。

 (ヴェトナム北部こそが社会主義地域で、中国もだからこそアメリカとの戦争に後方支援を惜しまなかったはずだが、戦後あらためて中国とヴェトナムとのあいだが険悪になったというのはどういうことなのか説明が欲しかった)。

 「絶対的な権力は必ず絶対的な腐敗を生む」というアダム・スミスの言葉は胸に響くし、「一部の人間だけが豊かになるのなら、全員が貧しいほうがましだ」という言葉は、一考に価する。

 敗戦した南部を北部の人間が見たとき、あまりに豊かに繁栄している姿、風景、経済に驚愕し、北部から来た幹部はいいところどりをしたという。旧南解放軍は収容所に入れられ、南部政府関係者の子弟は大学に入る資格がないと否定された。このことがさらなるボートピープルを生み、アメリカへと旅立たせた。それでもなお、南部は北部の6倍の格差をもって発展している。

 戦後、ヴェトナムを知性と経済で援助したのは日本が最大ではあるが、ヴェトナム国内では日本人よりも韓国人のほうがはるかに多く眼にする。(韓国人は賄賂に抵抗感がないからでは?)日本がヴェトナムを援助する背景には、この国の人口がある。最大の危ない国、中国が人口世界一であることはいうまでもないが、周辺でまずまずの人口をもつのはインドネシアに次いでヴェトナムだからで、この発想は悪くない。

 タイが経験したような大洪水などがない限り、ヴェトナムは今後多くの外資を得て、雇用が増え、総生産も総所得も上昇するだろう。ヴェトナムを筆頭とする新しい芽を、「Brics」に対応して、「Vitas」といい、以下の四国をいう。Vietnam(ヴェトナム)、Indonesia〔インドネシア)、Turkey(トルコ)、Arzentina(アルゼンチン)。日本の有名企業、トヨタもホンダもヴェトナムにある。

 本書から学んだことは多いが、なかでも、日本は世界の貧しい国に分け隔てなくODAという形で援助を続けてきたが、一つのODAをGOさせるまで、一件につき10年かかる国だという話には、「この国のチンタラ政治かよ!」と泣きたい気持ちになった。この国は未だに一つの案件を通すまで何十という印鑑で押印されないと通らない国だったことを忘れていた。

 なお、上で1995年のヴェトナムの海の調査について触れたが、結果はさんざんだった。地理的には南シナ海を挟んで向かい側はフィリピンのパラワン島だというのに、まず水温がめちゃくちゃ低い、大陸沿いに長い国土から流れ落ちてくる汚物が半端でないためか透明度、透視度ともに最悪、魚類はほとんど生息していない。場所として選んだのはかつて宗主国だったフランスが日光浴をするビーチとして開発したニャチャン(戦時、アメリカ海兵隊が船をつけた港のあるダナンより南)というところだった。

 このときの私自身のヴェトナム旅行で格別に心に残る風景について語っておく。

 食事を終わって道路に出たところ、一台のスケボーに腰を下ろした男の子がさーっと寄ってきて、いきなり手を指し出した。明らかに「金をめぐんでくれ」という仕草だった。見ると、腰から下は両脚とも欠損してて、それが地雷の影響であることはすぐに読めたが、私は心を鬼にして金は与えなかったが、そのときのこと、そのときの道路の風景などが18年経った今もしばしば思い出す。


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