司馬遼太郎が考えたこと(1)/司馬遼太郎著

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「司馬遼太郎が考えたこと」(1) エッセイ
司馬遼太郎著  新潮文庫

 ここに収められたエッセイは昭和29年から同36年までの7年間、つまり著者が30歳から37歳までの記者時代のもの。

 後年、功成り名遂げたあとの文体には、墨をたっぷり含ませた筆をまっさらな和紙に置いていくという印象があり、読者に緊張感を強いるような圧力さえ秘めていた。そうした完成された文体にくらべ、若さがほとばしる稚拙さもときに見られ、著者特異の(独特のというべきか)漢語の選択の萌芽がところどころに窺え、後日にいたって数々の作品を世に問い、あわせて数々の賞をものにする過程のなかで、みずから筆力を高め、文体を確立していった姿が想像された。

 以下、本書から印象深い記述をピックアップする。

1.「大衆とは難儀で、やっかいで、しんどい存在」だという。大衆を「衆愚」ともいうが、だれもが自分が衆愚のなかに含まれるとは思っていない。(司馬さんは衆愚を、というより市井の市民を小説の主人公に選んだことはない)。

2.「大きな組織は、無能ほど、居心地がよい」は鋭い洞察で、心に響く言葉だ。「寄らば大樹の蔭」は「無能者の策」であったことに気づいた。 あわせて、「今日の機会文明社会では人間の個性がすり減ってしまう」も卓言だが、偉人ばかりでは世の中は動かない。

3. 司馬さんの「魚嫌い」は有名だ。 曰く「肉とは異なり、皿の上に魚の死骸が生前そのものの形をとどめている。その死骸を箸で毀損し、皮を剥ぎ、骨を露出させてゆく作業は見ていられない。女がそれをやれば夜叉に見える」。そこで、同じ「魚嫌い」を妻にした。

 (というが、司馬さんは初婚のときの妻は母親とも会わずに離縁し、子供も棄てている。二人ともが「魚嫌い」だったのかどうかまでは書いていない。だいたい、日本人に生まれて、こういう言い方をする人物に遭ったのは初めてのことで、日本人にもここまで魚嫌いな人がいるということに逆に驚愕した)。

 (活き造りされたヒラマサが口をパクパクさせているのや、両サイドの肉を削りとられた魚が骨だけで水槽を泳ぐ姿には、日本の板前の、他国の板前の腕からは想像を絶する凄さを感じはするが、残酷なイメージは否めない)。

4.「薩長は明治維新をつくりはしたが、文化の名に値するものは何も持ち込んではいない」

 (薩長の田舎っぺに新政府をつくらせたのは日本明治の大きな瑕疵であり禍根)。

5.「34歳時に生まれてはじめて富士山を見、東京の銀座を見た」 こういうことが現在でも日本人に起こっているのであろうか。

6.「江戸時代、江戸の人間の2分の1は武士だった。一方、大阪では、3千人に1人くらいの割合だったから、封建時代への感覚がずいぶん違ったものになった。大阪人は身分意識も希薄だし、分限というものを守ろうともしなかった」

 (外国の一流ホテルのロビーで、いきなり、「ちゃうでー」と大声で叫ぶ日本人中年の大阪からと思われるおばさんの声を耳にし、思わず耳をふさぎたくなったことがなんどかある)。

7.フランスとスペインのあいだの山脈地帯にピレネーがあり、そこに「バスク人」と呼ばれる民族が長い期間細々と生きてきた。司馬さんはここにも触れていて「バスク人は西欧のどの白人の容貌とも異なって、むしろ日本人に近いカンバセをもっている。言語に助詞があるのも日本語との近似性を暗示するものだ」というようなことを書いている。EUに参加してから、このエリアが税金が一番安いということで、EU圏内の観光客がバスクに週末の都度やってくるという話は聞いたことがある。バスクの実態はいずれどこかのテレビ会社が特別番組を作製、放映するだろう。

 (バスクが独立国であるかのような印象を与えているが、バスクは国としては認められていず、現時点ではスペインの一部である。また、バスクに行った知己によれば、容貌はスペイン人のそれと変わるところはなかったという。また、バスクで有名なのはビスカヤという名の橋で、この橋が移動し、人々に河を越えさせることが2009年のTVで放映された)。

8.「漢」は「おとこ」と読む。司馬さんは「漢」には野望、野心が似合うと考えたようだ。たとえ、結末として哀れをとどめる死様をしても。このことは、司馬さんが野心も野望ももたぬ男にはなんの関心ももたないことを示唆している。

9.学生時代に「モンゴル語」を学んだのは「青い狼」チン・ギスハーンを書きたかった一心だったらしい。蒙古への想いをもっと激烈に、自爆するほどの気迫で、もっと紙数を費やして欲しかった。想像だが、モンゴル語は文法が日本語と同じだから、発音には苦労しても、机上で学ぶうえでは簡単だったであろう。

 昭和40年代、「梟の城」にはじまって「国盗り物語」「太閤記」「人斬り以蔵」「燃えよ剣」「峠」「坂の上の雲」などなど、知らぬうちに次から次へと読まされてしまったことを思い出す。 まるで降りることのできないコンベアベルトに乗ってしまった感があった。 そのとき「この作家は作家という以上に商人だ」と思った。

 それにしても、往年の練れに練れた文体の完成を予測させる萌芽がいたるところに見えたことは、この著者の天性の文才、明晰な頭脳を認識するに十分であった。ただ、歴史に名を残した人物にのみ目がいき、一般庶民にはまったく関心を示さないという姿勢からは、高慢な自意識を感ずる。と同時に、彼が小説家ではあっても、決して歴史家ではなかったことも感じさせる。彼を歴史家と勘違いしている読者が多いが、彼はあくまでも小説家であり、小説の内容は人物を極端な色で染めることで際立たせる、印象の濃度を高めるという手法を採ったことは知っておいたほうがいい。


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