司馬遼太郎が考えたこと(3)/司馬遼太郎著

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司馬遼太郎が考えたこと(3)

「司馬遼太郎が考えたこと」(3)
エッセイ(1964・10-1968・8)
2005年2月1日  新潮社より文庫化初版 ¥743+税

 本書は新聞、雑誌、週刊誌、講演録、談話、対談、鼎談、座談会などに執筆したり、連載したりしたものを纏めたもので、大半はすでに上梓されていた作品を書くにあたってのモチーフや、モチーフの周辺、作者の思い入れについて書き加えたものでもあって、対象は多岐にわたっている。

 なかで読者として疑義を感じたり、唸らされた箇所を拾い書きしつつ、感想や私見を披露しようと思う。

 「自分は変動期を舞台に人間のことを考えたり見たりすることが適しており、だから歴史小説を書く。元禄期や文化文政の泰平の情緒を背景にものを書くことは自分にはできない。そして、俯瞰という上から見下すという角度が自分には適しており、俯瞰することで歴史上の人物がより鮮明に見えてくる」

 (歴史小説を書くとしたら、そういう時期こそ人間が赤裸々になるのだから、誰であれ、変動期、動乱期を対象とするほうが書きやすいのは道理である。俯瞰して見る手法が人物を捉えやすいことを、この作家はしばしば口にしているが、作品に登場する人物はすべて歴史上の著名人であり、そのうえ、人物をはっきり色分けし、性格に関し極端な単純化を図っているため、人物理解に読者を導く上で成功してはいる。ただ、作品上の人物群がそれぞれの性格はもとより、史実の真実を衝いているか否かは別の問題)。

 「人間という、滑稽で悲壮で智恵深く、しかも底抜けに愚鈍で、欲深い生きもの」との洞察は当たっている。

 「日本の政治家にアジア感覚が不足している」のは事実だが、それは作者が言う「東京の地理的な位置に原因がある」のではなく、アジアのそれぞれの国や地域が欧州とは比較を絶した多様性に満ち満ちているからで、日本の政治家はそうした実態を的確に把握することに怠惰、かつ無知だからであり、たとえば鳩山外交のアジア共同体構想に他国がともに前向きな姿勢を見せないのは、中国や韓国の政治家のほうがアジアをまともに理解しているからだろう。

 「幕末、イギリスだけが時勢を鋭く見通し、幕府を見棄て、雄藩側の支援に動いた」とあるが、イギリスがこうした認識を得ることができた裏には、イギリス以外の領事館が治安の悪さが原因で江戸市内から横浜に居を移したにも拘わらず、イギリスの領事館だけは江戸市内に留まり、幕府の侍、数百人による護衛があって常駐できたため、幕府に関する情報を他国より適切に、且つ多く手中にできたからではないかと思われる。

 「東京や大阪の恐ろしさはエネルギーだけを保った頭脳のない現代という破壊者が絶え間なく、性懲りもなく、無秩序をつくりあげてゆくことであろう。この町に住むには、役人や土建業者にくみして、加害者になるか、それとも神経をひきさかれて悲鳴をあげる被害者になるか、どちらかの立場しかない」

 (納得しかねる独断。大阪のことは知らないが、東京は広く、一律に色づけするには無理がある。丸の内、銀座、新宿、池袋、赤坂、六本木、渋谷、原宿ばかりが東京ではない)。

 (作者が深い思いをもつ京都と京都人に関し、私は仕事を通し全く別の印象をもった。(1)ときの権力者への恒常的なおもねり(2)一見客への侮辱と排他性(3)権力者以外のよそ者への軽蔑(4)日本の中心だという過剰な自負(5)真っ白な白粉を塗りたくった気味の悪い化粧(6)一人よがりの価値基準(7)朝廷の在った土地という意識が自己愛とナルシシズムを生んでいる(8)相手によって態度を変えるカメレオンのような人格)。

 「戦前まであった家意識が戦後は団地の家にとって代わられ、身の毛もよだつ家族制度が消えてしまった代わりに歴史、伝統、精神美も失われてしまった。われわれは、人類史上稀有の一枚張りの大衆社会を混乱から救い、秩序を確立し、秩序美を創造し、精神美にまで高める努力と作業が必要」

 (同感ではあるが、戦後の変質は、そもそも女性の意識革命から始まっており、社会進出から自ら経済力をもったこと、嫁姑間のいざこざを嫌うあまり大家族主義から脱却し、核家族化を推進、ために少子化が必然となり、親による幼児虐待をも招来、格差社会まで現出している。幼児虐待はクッションとなるべき祖父母の不在が大きな原因となっているし、学校での過剰なイジメ問題は家族構成数の減少によってかつては自然に育まれた社会性を奪ってしまったところから出発してもいる)。

 「歴史上の資料は想像を上回って史伝として完全で正確であっては、自分の筆は進まない。資料は書くうえで想像を膨らませる刺激剤であればいい」 (つまりは、想像で書ける余地の有無によって作品にするかしないかが分かれるということのようだ。作者は史実から離れて小説を書いているという結論になる)。

 「この国はブームの国、流行の国、軽薄さが主導して社会秩序をつくってきた国」 (同感)

 「江戸時代、人口3千万の日本人のうち、武士は約百万であり、支配階級にあり、それに伴う誇りと、さまざまな倫理観、死生観をもっていた。明治維新を実現した当時の若者と現代の若者を単純に比較することには無理がある。現代の若者はデモをやり、大学の建造物にこもって闘争を行い、革命を叫び、羽田で一国の首相を襲う計画までたてても、命がかかるわけではないし、若者自身が責任をとって腹を切る覚悟などというものもない。維新を成就した若者たちはそれぞれ自分の言動に責任感をもち、自ら決着をつける覚悟が厳然とあった」

 「太平洋戦争を回避し得たとしても、それは超人的な大仕事だったはずで、だから誰にも止めることができなかったわけだが、おそらく源頼朝でも無理だっただろう。わずかに信長、秀吉、家康なら、回避できたかも知れない」

 (戦国時代と明治期以降の日本社会とではメディアの存在と影響力という面で大きな相違があり、信長であろうが秀吉であろうが、家康であろうが、戦をストップすることはできなかったであろう)。

 「新撰組の近藤勇が二流の人物だったこと、時代が読めなかったこと、単純剄烈で武士になりたいだけの欲望を身にしていただけの人物だった」ことに異論はなく、幕末に咲いた仇花に過ぎなかったと、私は思っている。

 以上は眼に留まったところだけをピックアップし、私見を披露しただけだが、全体の僅かな部分に過ぎない。本書からは多くを学ぶことができ、作者の思い入れがどこにあったのかについても知ることができ、時間はかかったが、存分に楽しむことができたことを記しておく。


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