司馬遼太郎が考えたこと(5)/司馬遼太郎著

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司馬遼太郎が考えたこと(5)

「司馬遼太郎が考えたこと」(5) 司馬遼太郎著
1970年2月~1972年4月までのエッセイ65篇
2002年 新潮社より単行本
2005年4月1日 新潮社より文庫化 ¥667+税

 広範な知識をベースに豊かな想像力を駆使しつつ、世上の各分野にわたってものを書く著者の力量には、考えた内容への賛否は別にして、読書を重ねる都度、驚嘆と畏敬の念を禁じ得ない。

 以下は目に止まった点だけ「   」内に列記する。(   )内は私見。

1.「戦国の男色、たとえば信長の寵童趣味は今日の性意識や風俗とは異なり、戦陣での契りに生死を共にするほどの意味とモラルがあった。」

 「戦国時代は人々は明るく陽気で、アクティブだった。江戸時代のほうが社会は暗く陰湿だった」

 「秀吉の朝鮮出兵の陣では、日本の武士およそ5千名が降倭、つまり降参して朝鮮側に下った。捕虜としてではなく、敵のために自身が役立つことが前提で。なかには主人と仰ぐ藩主と肌が合わなくて、嫌いでといった理由もあった。戦後は朝鮮に帰化」

2.「義経が船で逃亡しようと漕ぎ出すと、滅亡した平家の将、平智盛が怨霊となって表れ、逆風が起こって吹き戻されるという筋書きの能が観世小次郎によって創作されたが、これは天才的創作」

 (この国には古来から怨霊を恐怖する心情が強く、ために寺院建設や祈祷に明け暮れる習慣があり、天才的創作は褒めすぎ)。

3.「江戸期、参勤交代のおかげで、江戸に藩邸を構えたため、共通語が普及した。源流は室町時代の言葉だが、日本語は訥弁(とつべん)であり、演説よりも談合に向いた言語」

4.「自分は大阪の猥雑な町で育ったがために、環境が猥雑でないと落ち着かない」

 (とは作者の本音らしいが、日本人は一般的に狭苦しいところでないと落ち着くことができず、だだっぴろいところでは忘我の心地に陥ってしまう。電車に乗っても、できれば端にすわりたがるし、もしトイレの広さが四畳半ほどあったら、排泄困難になるのが平均的日本人)。

5.「日露戦争の実情、史実が正確に報告されず、神国・日本という迷いごとが日本中を席巻したため、結果としてバランス感覚の喪失に繋がり、愚劣な太平洋戦争に突入することになった。太平洋戦争は多方面作戦であり、40か国を敵とするという、世界の戦史に例のない国家的愚挙であった。」

 (全く同感。心情的昂揚感だけで合理性の全く欠けた作戦をもって、国民に途炭の苦しみを与えた罪は許しがたい)。

 「日露戦争は薩長の軍閥による人選によって人事を決めただけで、人材の質による選抜ではなかった。」

 (ロシアと戦を構えるにあたって、戦費がどのように調達されたかについて、著者は全く触れていない)。

6.「徳川は三百諸侯の盟主で、調整的性格のものだった。外様には大封を与えるが、政治にはタッチさせず、譜代には小封しか与えないが、国政の運営権(老中、若年寄など)を与えた、二重構造。」

7.「中国は二千年来の礼の国で、礼儀正しく、蛮性からは遠い」

 (嘘でしょう。市場開放後の中国人によるめちゃくちゃな著作権の侵害も、毒入り餃子も明らかに礼を失している。だいたい、中国人は歩いていて肩がぶつかっても「失礼」とも言わもないし、「ごめんなさい」などという言葉は生涯口にしない。「中国に行ったら、電信柱に手を触れるな」と言われ、その理由を訊いたら、「かれらは電信柱に向かって手鼻をかむから」と言われたこともある。蛮性からではなく、礼から遠い性格は今後とも変わらないだろう)。

 「政治形態ではなく、漢民族がすばらしいからだ」

 (孔子、孟子を輩出し、朱子学、儒教を考案した過去を想定しての判断だと思われるが、こういう偉人や思想が世に出たこと自体、当時の社会の裏面に全く逆の悪辣非道が存在したからではないかと私は推測している。現在、日本に入ってくる麻薬の大半は中国からという実態もあり、すばらしい漢民族が存在したとしても、それは過去の一時期ではないか)。

 「周恩来は抑制力のない日本人社会を恐れた」とは、逆ではないのか。世界は中国の目的の不透明な軍備拡大を恐れている。産業廃棄物の垂れ流しを抑制する意志も力量もないのは現在の中国政府。

8.「飢餓との闘いがあったからこそ、人間は生きつづけてきた。この条件がなくなると、生きることへの執着はかなり希薄になって自殺者が増えるだろう」

 1970年に著者は現在の1年に3万人の自殺者を出す日本社会を予言している。

 著者は「殉死」や「坂の上の雲」で、乃木希典を無能の将とこきおろしたことにより、あちこちからクレームを受けたらしく、それを気にしてか、あるいは配慮してか、本書では再三再四、弁明とも思える記述をしている。

 それにしても、膨大な調査と、調査の深耕ぶりには脱帽のほかはない。

 ただ、同タイトルのもと、(3)、(4)、(5)と読んできて想起されることは、文学者や評論家のなかに、この作者が放つ言葉につきまとう危うさを指摘する人が、著者が物故したあと沈黙を破り、まるで待ってましたといったように多くの批判が噴出したことである。

 おそらくは、私の勝手な推測だが、この著者の考えたことのなかに、独断や偏見が含まれ、それが読者を間違った認識に誘導しかねないことを危惧してのことではなかろうか。資料や文献への渉猟が執拗で、そのうえ現場への踏査も頻繁、調査が全般的に完璧な印象を与えるため、一層、著者の憶測や想像の果てに生まれた「ではなかろうか」といったニュアンスの提議といって悪ければ、提案が一般読者の脳裏に疑義を感じさせない確度をもってインプットされてしまうのではないかといった不安視ではなかろうか。


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