司馬遼太郎が考えたこと(2)/司馬遼太郎著

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「司馬遼太郎が考えたこと」 (2)
エッセイ(1961.10 ~ 1964.10) 司馬遼太郎著
2005年1月1日 新潮社文庫化初版  ¥705+税

 本書の「1」については、2005年5月27日に本ブログに書評している。

 その間、作品から新しい知見を得て感動もしたが、エッセイのくどくどしさに辟易したりもして、先に進むことを逡巡、4年が経過して、ようやく「2」に手が伸びた。

 エッセイ「2」は1961年10月から1964年10月までの雑誌や週刊誌に掲載されたエッセイを収納したものだが、作者が38歳から41歳までに書いた中篇、小編あわせて122編が収められている。

 偶然のことだが、最近TVで金銀で装飾されたサザエの冑(かぶと)が紹介されたが、その話が本書の冒頭近くにあって、所有者は上杉景勝の家中にあった岡野左内という金持ち武家だったらしく、左内はスペイン人から買ったという。また、左内は拝刀も天下の名刀「正宗」をもち、仙台の伊達政宗との騎乗戦で政宗が振り回していた刀を一撃で根元から折ってしまったという。ただ、このとき左内は相手が伊達政宗とは知らなかったらしい。

 (確かに、司馬さんが言うように、石川啄木が「東海の小島の礒の白砂に、われ泣きぬれて、蟹とたわむる」というのは、いい歳をした大人が何を言ってるのかという感じは拭えない。とはいえ、「荒くれた自然のなかで洪水や熱暑と不毛の人間の生存そのものの危険が恒常的に存在するインドで生まれた『諸行無常』が、日本に輸入されると、鴨長明の『方丈記』のような趣味的な、感傷的な、なよなよとしたものになってしまい、甘い涙に変えられてしまう」という意見には百パーセントそのままには受け取れない気分が残る。

 自然災害の凄まじさは我が国だってインドにひけをとらないものがあるからだし、日本には島国として生きてきた他国とは比較を絶した生活事情、社会事情があったことへの配慮に見向きもしない作者の軸が不可)解。

 「むかしの資料などを面倒を忍んで読むうち、粛然となって、そこに人生を見つけることがある。関連した資料を探して想像の肉づけをするうちに、まるで彼らは私の友人や恋人のような相貌を帯び、さらに来歴や背景などを調べるうちに、もはや私にとって現実の人間以上に現実的になる」

 司馬さんは、さらに、「文献、資料から魅力ある男を引っ張り出すのが、資料漁りの楽しみである」と言い、「悲壮と滑稽とが男性のもつ最大の魅力」であり、男の魅力が最大限に現れるのが戦乱期や混乱期で、魅力的な男ほど平和時にはただの放蕩児になってしまう。現代の男が平和にどっぷり浸かって魅力を失っているから、書く対象にはなり得ない」と言う。つまり、「男は戦乱時には豹にもなるが、平和時には猫になる」と。

 こうした言葉から、私は司馬さんの作品に登場する歴史上の人物に関し、独断、偏見、誇張、決めつけがかなりの頻度で感じられる理由に遭遇した気分になった。尤も、「司馬遼太郎は歴史家ではなく、小説家である」との、某作家の言葉も私の脳裏にはある。

 「むかしから九州人は軍人好きで、今でも自衛隊志願者は九州が第一。戦前、熊本の第六師団は日本一の最強部隊だった」

 「太平洋戦争が始まったばかりの頃、日本の戦車(97式)は列強のなかでも傑出したもので、史上初のディーゼルエンジンを搭載、マレー、シンガポール作戦では無人の野をゆくように突進、イギリス軍を壊滅させたが、その後、米独ソが重装備で強力な砲を備えるようになると、日本の戦車はアメリカのM3軽戦車にも歯がたたなくなるほど劣弱化し、南方のあちこちで全滅した」という話は、司馬さんが戦争中、戦車隊に所属していたことからの造詣の深さを示すもの。

 「Domestic Violence」は「家庭内暴力」であり、「Domestic Airline」は「国内航空路線」を言うことはほとんど常識になっている。

 司馬さんは後者を小学生的認識ならばと断って「家庭的な航空路線になる」と独善的な解釈を行い、ある日飛行機に搭乗中、シートベルト着用のシグナルに気づかぬままトイレに行こうと立ち上がり歩きはじめたとたん、古参のキャビンアテンダントに突き飛ばされ、椅子に戻ってすわらされたことにむかっ腹を立て、「どこが家庭的なんだ?」と憤怒の言葉。

 (そこまで書くのなら、突き飛ばされたとき、歩行路に転倒したのか、数歩よろけたのか、椅子の背にぶつかったのか、被害に関する状況説明が欠落しているため、航空会社に対する非難の姿勢がいまひとつ読む側の了解スポットに落ちてこず、自意識過剰な、思い込みの激しい性格だけが際立ってしまう。JRが日本国有鉄道と呼ばれた時代、国民の税金をわんさと使って経営を維持した時代だが、田中角栄タイプの政治家が新幹線のグリーン車に乗り込んできて、でかい声を出し、大きな態度でふんぞりかえっていた図を思い出す)。

 「若い頃の苦労は薬になるというが、それはたまたま成功した人のことで、苦労はほとんどの場合、人間を小さくするほかは役立たない」と断言するが、恵まれて育った人間は概して人情の機微に疎く、得て勝手で独善的な人間に育ってしまい、他人の心を忖度することがないため、支持者が得られないという理屈のほうに私は賛意を表したい。

 この作家以降、ベストセラーの多さはもとより、その傲岸さ、矜持の強さに比肩できる作家は出ていないように思われるが、「小説家として、盗人が真昼間に歩いているような浅薄な勇猛心が湧いてくることがある」と、本音を漏らしてもいる。

 だから、宮本武蔵を書いた吉川英治を「百年に一人の大才」と褒めちぎっている裏では、「自分はそれ以上の大才」と自画自賛しているような印象をもってしまう。なぜなら、司馬遼太郎の文壇登場が吉川英治の影を薄くしてしまったのだから。

 尤も、「個性を野放図に育てる土壌」などという司馬さん独特の表現は、やはり、私を痺れさせる。

 この作家にはあまりに深くかかわり過ぎ、それが、逆に、私に胡乱(うろん)な気持ちを抱かせ、不信感を煽る結果を招いているのかも知れない。


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