地球(ガイア)のささやき/龍村仁著

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ガイアのささやき

「地球(ガイア)のささやき」
龍村仁著(たつむらじん/1940年生)著
角川ソフィア文庫  2000年10月 初版

 作者は元NHKで、ドキュメンタリー部門を担当し、退職後はドラマ、コマーシャル作品などを手がけ、ガイアシリーズを公開、自然への造詣が深い。

 裏表紙には、「自然との様々な出遭いと交流のなかで得た想いを、生と死、心と身体、人間の一人一人のもつ可能性を、しなやかな感性で綴る『地球のいのちを奏でるエッセイ集』とあり、「しなやかな感性」という言葉に惹かれて入手したが、50数ページ読んだあたりで辟易してギブアップした。

 現代人が自然との繋がりが希薄になり、利器に依存した生活するようになり、自然に対して鈍感、傲慢になってきたことを、きつい調子で語っているが、そのことは誰もが常識的に感じていることであり、学者でもない作者にここでわざわざ教えてもらう必要はない。いまさら江戸時代に戻れるわけのものではないし、作者にしたって、炭酸ガスを大気に放出する利器を100%利用せずに生活しているとは思えない。

 そのうえ、文体、文章いずれにも訓戒を垂れているような雰囲気が強く、「あんた何様なんだ」と言いたくなるし、「偉そうに!」とクレームしたくなる誘惑にも駆られる。感性が繊細だとは思うが、表現がオーバーで、文章に誇張が感じられ、それが疲労を伴い、次第に嫌悪へと替わる。

 樹林の伐採を見て、「生命というものへの豊かな創造力に対して畏敬の念を失っている現代文明の殺伐とした一面」というが、それでは、「あなたはレストランで食事をするとき割り箸を使ったことはないのか、コンビニで弁当を買ったときに割り箸は断っているのか、トイレで紙は使っていないのか」と問いたくなる。

 心に想ったり念じたりすることが人間には伝わらなくても、動植物には伝わるというのは、アメリカの先住民インディアンの古老の詩にあるし、古代人になると、念力で遠隔地にいる家族、友人、知己と伝達が可能だったという話も聞いており、それが仮令(たとえ)真実だとしても、珍奇にも、奇妙にも、まして奇蹟的なことだとも思えない。

 ブッシュマンが昆虫毒を矢の先に塗って、射った動物は即死しないため、かれらが何日もその足跡を追うことを賛美しているが、恐ろしく長い時間を無駄にしているばかりでなく、射られた動物に長時間の苦しみを与えることになり、賞賛の対象とは到底思えない。西欧人がかれらを未開人と蔑視するのも、仕方がないと私は思う。生物を殺すのなら、できるだけ苦しみの時間を短くしてやるのが心がけとしては当たり前だ。

 また狩猟した獲物をどの部分も棄てることなく食べ尽くすのは、なにもブッシュマンの専売特許ではなく、つい最近まで沖縄の人もそうだったし、奥羽地方のプロといわれるマタギだって同じ作法を身にしていたであろう。

 北極海のアリュートのカヤックの話も、他の本に出ているし、この作者が初めて発見したというものは本書には出てこないと踏んで、読書の継続をやめることとしたが、要するに、「しなやかな感性」という言葉とは裏腹に、言っていることが仰々しく、かつ押し付けががましいところが、最近の言葉でいえば「むかつく」のだ。

 自分の仕事に目線を揃えて、直に見たものを素直に誠実に、むしろノンフィクション風にまとめ、かつ淡々と表現すれば、このようないかにも生意気な作品にはならなかったのではないか。

 ただ、最初に出てくる、気温50度下の砂漠では、「人の声も音も翔んでしまう」、「自分が自分であるという意識までが消失してしまったような感覚に陥る」という話には感銘を受けた。こういう体験こそが人の心を打つノンフィクションである。

 せっかくの作品に、言いたい放題のことを書いて申し訳ない気持ちもあるが、本音である。おそらく、自分の位置よりも目線を高嶺に据えたために男性的で気迫に満ちた文章づくりには成功しているが、それがかえって、ある意味で高飛車な、高圧的な、上から下を見下ろすような文章になってしまったのではないかと推量する。


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