日本はなぜ地球の裏側まで援助するのか/草野厚著

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にほんはなぜちきゅうのうらがわまでえんじょするのか

「日本はなぜ地球の裏側まで援助するのか」 草野厚(1947年生/慶応義塾大学総合政策学部教授)著
帯広告:疑問に答える「国際援助」入門・日本の繁栄はだれのおかげとお思いか
朝日新書  2007年11月 初版  ¥740

 一口に「対外援助」というが、援助は政府によるODA以外に、JICA、JBIC(円借款の実施機関)、NGO法人、IMF、民間企業、青年海外協力隊、個人と色々な在り方がある。別の組織として、UNICEF(国連児童基金)も存在する。

 日本の場合、西欧諸国がキャッシュを供与するのに比べ、円借款で行う場合が多い。つまり、日本がどこの国を援助するかは、自然災害による被害の大きい国へはキャッシュの供与のほか、人的なサービスを併せ行う例がありはするが、基本的には当事国が日本に対し「円借款」を要請してきた場合に、これに応ずるという姿勢を採るケースが多く、借款である以上、利子は破格の定率に抑えるものの、返済を原則とするもので、この手法の方が当事国の自助努力を促すことになり、単純にキャッシュを与える方式よりも現実的な成果に結びついている。欧州からは、日本の手法に対し、「主体性が見えない」との批判があるが、西欧のキャッシュのばら撒きによる方法よりはるかにましな手法である。

 (キャッシュを与えるだけなら、ほとんどの場合、当該国のトップがキャッシュをポケットに入れてしまい、困窮している肝心の人々の手には渡らないケースが多いし、また渡ったにせよ、再び口を開けて待っているという意地の汚い姿勢に貶めるのがおち。日本が借款方式を採用するのは、敗戦後、日本自身が世銀から借款を受け、戦後復興をなし遂げたという実績があるからで、返済という義務を含んだ援助こそが当事国の真の復活に寄与するとの思いがある。西欧の「日本の援助手法には主体性が見えない」という発言の意味が私には解らない)。

 過去に、日本が主に援助した国はアジアに集中し、中国、韓国、インドネシア、シンガポールなどの国のなかには、自助努力が成果を生み、今では援助する側に変身した国もある。

 ただ、中国の場合は、今は自らが援助する側に回っていながら、借款を受け続けてきたことが、「日本の金を使い、中国は自国軍隊の増強を図り、一方で援助とはいいながら、地下資源に恵まれた貧しい国に集中し、ときには武器供与まで行いながら、同時に、日本から長期間にわたって恩恵を受けた事実を国民に報せず、そうした経緯が日本人を不快にしているし、中国人の対日感情に寄与することもなく今に至っている。中国側にとっては、お金を貰ったのではなく、借款を受け、利子を含めて返済してきたという意識が強いため、これを大々的に国民に知らしめる必要を感じなかった。

 中国に対しては、今後、産業廃棄物の処理方法、砂漠化の拡大防止、二酸化炭素の排出を抑止する手法など、支援策は形を変え、技術の面で今後も行われるだろう。

 (ここまで経済発展を遂げ、資源国に武器を含め援助の手を差し伸べている国連の常任理事国の面子もあるだろう。だったら、直面しているシリアスな現実を自らの力で抑制策を打ち出し、自身で急場を凌げばいい。日本としては単に知恵を貸すだけで済む問題ではなかろうか。中国のやっていることは、あらゆる面で不透明感が拭えない。表面と裏面が異常に異質性をもつ例は領海が接する地点にガス田の掘削のための施設を、過去にさんざんお世話になった日本の出方を試すように作り上げたこともそうだし、中国人に一環して日本人を嫌う、場合によっては憎悪するような教育を行っている事実からも判断できる)。

 (鶏、アヒルなど鳥を家庭で飼っている中国、インドネシア、他のイスラム国からの訪日が増えると、「鳥インフルエンザ」の感染により接近することになる。この問題を看過していると、いずれ大変なことになる)。

 日本に援助依頼があっても、政府レベルの援助協力は資金が豊富で規模の大きな支援となるため、実施に至るまで計画、立案、審議と時間がかかる欠点をもっている。

 (日本は「稟議書大国」であり、「衆議制の国」であり、ディシジョン・メイカー不在の国であり、このような環境が賢い官僚の温床を形成し、政治家を好きなように誘導してきたように思われる。そういう国がどうして戦争ができたのはは別の問題)。

 NGOを含むボランティア団体は政府の欠陥を補う存在になっていて、国際協力のためのセンターが日本だけで400も在る。

 西欧先進諸国はキリスト教的な考えに基づき、貧しい人々を救う人道的援助という形を採用、金銭的支援、機械器具の供与を、主にアフリカ諸国を相手に行ってきた。

 (欧州各国がアフリカをメイン・ターゲットとして支援してきたのは、過去の植民地政策の犠牲になった国々への謝罪が含まれているが、日本がアジアをメインとして援助してきた理由が太平洋戦争で迷惑をかけた謝罪が念頭にあっての援助であることと相似している)。

 (とはいえ、現在の南北問題、南北格差の原因をつくったのは明らかに西欧による数世紀にわたる植民地争奪戦で、現地人を殺害したり、強制労働させたり、熱帯のレアメタルや幸を収奪したり、天然痘を持ち込んで大量の現地人を病死させたりした結果によることが多いのだから、アフリカや南米への支援が多いのは当然といえば当然。いわば、過去の悪行のツケが回ってきただけのことではないか。しかも、現金支給を長年行ってきたために、ほとんどの国に自助努力が恒常的に不足しており、あんぐり口を開けて待つという姿勢に随する結果を招いている。持ち込まれた機械器具の使い方を教えても、1、2年後には、錆びついて野原に放置されているケースが多いとは、JICAのメンバーでアフリカに二度、それぞれ数年ずつ駐在した知己から聞いている)。

 日本が赤字財政に苦しみながら、ODAを通しての援助を継続してはきたが、2000年までは日本が供出国として第一位だったが、2001年以降は米国が第一位で、日本が第二位、2006年に至っては第一位が米国、第二位がイギリス、第三位が日本と、段々に落ちてきていて、早番、ドイツ、フランス、中国にも抜かれるのではないかと、一部の諸国から批判を浴びている。他にはイタリア、カナダが援助国としての支出が多い国のなかに入っている。資源に恵まれぬ日本としては国際協調は必然であり、支援を行うことで、国民の文化的生活が確保されている事実を鑑みれば、支援を減らすことは、国民の将来にとって決して良い結果を生まないだろう。

 外務省は2005年になって漸くODAの点検と改善を決め、「戦略性の強化」「効率性の向上」「チェック機能の強化」という三つの柱につき改善策を提示したが、遅きに失している。

 (単に、メディアや国民の批判が高まってきたための反応でしかない。とくに「チェック機能の強化」をどこまで追及できるかには微妙な問題が含まれる。供与するものが、キャッシュであれ、機材、器具であれ、他の物資であれ、インフラであれ、貧窮者の手に届いているか否かをチェックしようとすれば、必然的に当事国の政府の施政を疑うこととなり、当事国の政府の面子の問題となるからだ。たとえ、現実に、当事国政府が外国からの無償支援金をポッポしているにせよ、実態として、支援を受ける側の国にはほとんど例外なく支援国の業者とのあいだに癒着があり賄賂が横行している)。

 「当事国のガバナンス(治世)のあり方を法の支配、透明性、説明責任、市民社会の参加の四つを基本的構成要素とした」とあるが、貧しい国、内戦状態の国ほどガバナンスはいい加減であり、国民へは高圧的な姿勢に終始、自らの保身にみに注力する傾向がある。ために、とくにアフリカ地域では大抵の場合、債務を帳消しにせざるを得ない状況となり、自助努力を期待できない。

 (PKO参加については、日本は諸先進国に比べ、存在感が希薄なのは、憲法の枠内でしか協力できないからで、銃をとっての撃ち合いが前提となる場への自衛隊派遣には国民が納得せず、後方支援が精一杯。イラクでは、サマワに留まり、周囲を他国の兵士に守ってもらいながらの人道支援を行ったが、周囲にミサイルが数回落ちただけで、国民もメディアも仰々しく騒ぎたてた。とくに、メディアは派遣反対の立場、政府を攻撃する立場にあるから、映像は常に切り取りを旨とし、公平の欠けた放映に走る傾向が強い)。

 海外援助の問題は概して複雑な問題を内包している。援助側の国もそれぞれ思惑に違いがあり、支援を受ける国の側にとっても支援して欲しい対象や支援手法が千差万別、日本として個々のケースに相対しながら、支援手法をさぐるしか手はないだろう。


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