英国王室の女性学/渡辺みどり著

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英国王室の女性学

「英国王室の女性学」 渡辺みどり(東京生まれ/日本TV放送網入社/現文化女子大学客員教授)著
帯広告:高貴なるがゆえの愛と憎しみ、愛と悲惨、血統を守り、人心掌握に尽くす女の一生
朝日新書  2007年10月 新書初版

 本書は最近の王室の事情から古い王室の実態へと遡る書き方をしているが、私がポイントをここに絞って書く上では、逆に古い王室から順に記していく:

1.16世紀:ヘンリー8世、エリザベス1世

 エリザベス1世は1533年生まれで、日本は南北朝から戦国時代の頃。エリザベスの母、アン・ブーりンは第二妃であり、エリザベスを健康体として生んだだけで、あとは早産、死産、夭折と、連続し、ヘンリー王の希望に添えず、斬首という処刑を受けて逝去。ヘンリー王の第一妃もメアリーという女性を産んだだけで離婚。第三妃が男子、エドワードを生んだが、ヘンリーの女性遍歴はやまず、第四妃は半年で離婚、第五妃は姦通罪で処刑。第六妃と結婚した頃はヘンリー王に子を残す体力がなかった。

 ヘンリー8世は1547年に崩御、このとき、エドワードが幼児のまま王位を継ぐ。このとき、エリザベス1世は8歳、姉にあたるメアリー1世は26歳。

 1553年、エドワード1世が幼児のまま王位を継承したが夭折し、メアリー1世が戴冠。メアリーはスペイン王室からの腰入れだったため、宗教はカトリック、イギリスではほとんどの人間がプロテスタントだったことを快く思わず、プロテスタントだったエリザベス1世にもカトリックへの帰依を強要するも、従わなかったため、ロンドン塔に幽閉される。メアリーは身近にいるイギリス人プロテスタントに宗旨替えを強要し、従わなかった男女、283人を火あぶりの刑に処し、世に「ブラディ・メアリー」と呼ばれるようになる。

 幸運にも、1554年、エリザベスは許されてロンドン塔を出され、一般庶民は喜び、翌55年には宮廷への復帰も許可されたが、これらの待遇はメアリー1世の夫であるフェリペ2世の後押しがあったためと言われる。

 1558年、メアリー1世、卵巣癌で死去、1559年、エリザベス1世が25歳時、女王に即位。

 当時、大西洋の制海権はスペインの無敵艦隊(帆船)が掌握しており、イギリスに宣戦布告、大艦隊を北海に向けたが、迎え撃ったイギリス海軍は風にも味方され、スペイン艦隊は敗戦。艦船の半分以上を失う。

 1603年、エリザベス1世は子に恵まれぬまま、息を引き取った。(69歳時) 後継者はスコットランドのジェームズ6世で、イングランド国王を兼ねる形となったため、ジョージ1世と呼称を変え、ここに初めてスコットランドとイングランドとの併呑がなり、統一国家となる。この年、日本では戦国時代が終焉、徳川幕府が江戸に開かれる。

2.ヴィクトリア女王

 18世紀の英国はジョージ3世の治世、産業革命が台頭した時代。1765年、ジェームズ・ワットが蒸気機関車を開発、1769年にはアークライトが水力紡績機を発明、1814年にはスティーブンソンが蒸気機関車を炭鉱で試運転させ、実用化に成功。世界の鉄道は英国人技師が育てた。

 父方の従姉妹にあたるシャーロット妃が出産時に子供とともに逝去した運命がヴィクトリア女王の誕生を可能にした。ケント公、エドワードはドイツのザクセンのニルブルグ公女の四女と、1818年に結婚し、ロンドンのケンジントン宮殿で無事出産した。生後8か月で父のケント公が肺炎で急死、この時点で、ヴィクトリアは王位継承権第三位のプリンセスになった。

 ヴィクトリアの父、国王ジョージ4世が崩御し、伯父ウィリアム4世が即位したが、ウィリアムの配偶者は38歳で死産、早産などで子供を得られず、ケント公妃の夫である国王、ウィリアムはケント妃を信頼しておらず、ヴィクトリアが成人するまでは必死に生きた。彼が71歳で逝去したとき、ヴィクトリアは成年に達しており、1837年に戴冠式が挙行され、正式に英国女王となり、以後63年余にわたる長い治世が続く。ヴィクトリアは1839年に、従兄弟のアルバートと血族結婚。

 ヴィクトリア時代、産業革命が進み、庶民は地方から大都会へと移住する者が増え、治安は悪化、女王夫妻を狙った発砲事件が二度も起こり、王室警備が強化された。

 1841年、ヴィクトリアは第一子、エドワード7世を生む。

 夫、アルバートは有能なアドバイザーで、この人の発案で第一回万国博覧会が開催され、600万人を越す人々が世界中から見学に訪れ、賞賛され、かつ羨望された。アルバートは入場料の利益を美術館や自然史博物館の建設に充てた。

 ヴィクトリアは出産の際、クロロホルムを嗅ぐことによって痛みが和らぐことを知り、二度の出産にこれを用いる。

 1861年、アルバートが腸チフスで死亡。当時、大都会に人口が集中したため、汚水処理が不十分だった。1849年には伝染病で1万5千人が死亡している。安全な水の供給が求められ、公衆衛生運動が進み、排水設備と下水処理が発達した。また、ジェンナーによって種痘ワクチンが開発され、種痘も義務化された。(日本は江戸末期の時代)。

 1901年、ヴィクトリア女王、82歳時、臨終。在位60年、9人の子供をもうけ、それぞれ健やかに育った。子供に対してだけでなく、自分に対しても厳格を極めた強烈な個性。

 ヴィクトリア時代は英国が日の出の勢いにあった時代にマッチし、世界中に植民地を持ち、英国の黄金時代を過ごしたと言える。ヴィクトリアにはスキャンダルもあり、夫アルバートの死後、狩猟番人のブラウンと深い仲になり、子を二人なし、フランスで過ごさせたという証拠がある。真偽のほどは別に、こうした情事を世間がとやかく言わないのは大人の国を窺わせる。

 19世紀の英国では、ハウスパーティに招待されれば、他人の配偶者とベッドを共にすることが暗黙のうちに認められていた。ヴィクトリア女王の息子、エドワード皇太子は若いとき、デンマークの王室から美人の誉れ高いアレクサンドラと結婚したが、生来の放蕩はやまず、人の妻ばかりに手を出し、しかも、その行動を隠そうともしなかった。

 エドワードが王位に就いたとき、彼はすでに60歳であり、それでも正室よりも、人の妻であるアリス・ケッペル夫人を愛し、この夫人が後に現王子であるチャールズの配偶者となったカミラ婦人の曾祖母にあたるというのは、血筋の皮肉というべきかも知れない。

 エドワードは69歳で他界、アレグサンドラ女王は1925年、79歳で生涯を閉じたが、夫の放蕩は見て見ぬふりを貫いたばかりか、夫の臨終時には、夫の女友達を分け隔てなく、その場に立ち会わせるほど忍耐強い性格だった。

3.エリザベス2世(現女王)、マーガレット王女、フィリップ殿下、チャールズ皇太子、ダイアナ妃、カミラ夫人:

 エリザベス2世(1926年生まれ)、夫はエジンバラ公フィリップ殿下、エリザベスにはマーガレットという妹がいた。(来日したこともある)。フィリップに隠し子があるとの噂にも、浮気の現実があっても、エリザベスは王室の伝統である、「見て見ぬふりを貫く」度量があり、ひたすらクイーンとしての矜持とプライドと立場を重く考え、その考えに沿った言動に徹して生きてきた。したがって、息子チャールズの配偶者だったダイアナ妃の姿勢には批判的だった。

 1936年、エドワード8世がアメリカ人女性、ウォリス・シンプソン(二度の離婚経験者)と恋仲になり、王位を譲って、アメリカに居を移したのは前代未聞の事件だった。ために、エリザベスの父、ジョージ6世が国王の座に就任。

 エリザベスがエジンバラ公、フィリップと結婚したのは1947年。1948年、第一子チャールズ王子を出産、1950年にはアン妃を産んだ。

 1952年、ジョージ6世逝去、翌53年、エリザベスが戴冠式を迎え、正式に女性国王となる。

 1955年、マーガレットは16歳年上の侍従武官、ピーター・タウンゼントと恋仲になるが、彼には離婚歴があり、メディアも教会も大衆も二人の結婚に反対の立場をとり、やむなく諦め、1960年、アンソニー・アームストロング・ジョーンズ(スノードン伯)と結婚。

 1975年、サッチャーが初の英国首相(エリザベスと5歳違い)、1978年、マーガレットはスノードン伯と離婚。

また、エリザベスの4人の子供のうち、アン妃が陸軍将校と離婚、次男のアンドリューがセーラ妃と離婚と続き、王室の人気もイメージも大幅にダウンし、支持率は50%を切るという過去になかった凋落ぶりを示した。

 英国王室で、50年以上即位したのはジョージ3世、ヴィクトリア女王、エリザベス2世の3人。

 2002年、マーガレット妃は71歳で逝去、同じ年、エリザベスの母、クイーン・マザーが101歳で逝去。クイーン・マザーはエリザベス女王の母親だが、1900年生まれで、時の国王ジョージ6世妃であり、二度の大戦を生き抜き、「大英帝国」が「英連邦」に縮小されるのを見てきた歴史の生き証人。彼女はカミラが宮廷に出入りすることを快く思っていず、「あの女」と呼んでいたという。

 ダイアナが王女だった時代、チャールズとカミラとの関係はダイアナとの結婚前から30年も続いており、カミラの配偶者も自分の出世に繋がるとのの思いで、口を出さなかった。エリザベスの時代までは、夫の女性関係については無視を決め込むのが習慣化されていたから、ダイアナ妃の採った離婚劇には不快の情をもったであろう。

 子供時代に厳しい女性に育てられた男性はマザコンになると言われるが、典型的な例がチャールズ皇太子で、カミラ夫人のもつ大人の色気と優しさに惚れ込んだのも、ダイアナにない母親的な匂いを好んだためだろう。

 1995年、カミラは前夫と離婚、ダイアナが皇太子と離婚後は、ダイアナ妃の一挙手一投足がパパラッチの注目を集め、追い回される日々となる。

 ダイアナがフランスで交通事故死したあと、チャールズはカミラ夫人との再婚を望んだ。

 本来、王室では、再婚は許されないが、最近では時代の変容のなかで、王室の家族でも離婚、再婚が増え、そうした現状認識から、カンタベリー大司教も公式に、チャールズとカミラとの結婚を祝福する旨、宣言。

 チャールズとダイアナとが離婚後、チャールズがカミラ夫人を離婚させてまで再婚に踏み切ったのは初めての例でもあり、庶民の反応について世論調査の結果はメディア毎に違ってはいるが、総じて冷たい目で見ている点では一致している。(と同時に、ダイアナ妃が人気の高い女性だったこともあり、ダイアナへの同情心は現在でも世界中で継続されている)。

 ここに、「Skip A Generation」という言葉が英国内でささやかれ始めた理由がある。エリザベス女王が亡くなったら、チャールズをスキップして、ダイアナが生んだ長子、ウィリアム(本書執筆時25歳)に王位を継がせるべきだという意見である。

 ただ、日本でも明治天皇には側室はたくさんいたというし、江戸時代には大奥があり、国によってはキングには多くの妻や側室がおり、庶民も正室もそれを認めていた。日本人一般の男性にも浮気する男は数多、可哀想なのは現代の皇室で、天皇にせよ、皇太子にせよ、兄弟にせよ、堂々と浮気するわけにはいかないだろう。

 イギリスの女性は強いという印象。


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One Response to “英国王室の女性学/渡辺みどり著”

  1. withyuko より:

     映画「クィーン」も、面白かったですよ~。
    エリザベス女王のそっくりさんの女優さんが主演で、一般の私たちはダイアナ妃に対して同情的な意見が多いけれども、この映画は、エリザベス女王の立場にたって、ダイアナ妃の交通事故でなくなったという事実を見ると、こんなふうだったのでは?という映画でした。
     あと、「エリザベス」という映画も見ましたが、コレは、今の女王ではなく、Hustlerさんが最初のほうに書かれている、ブラッディ・メアリーの妹で、ロンドン塔に幽閉されていたひとの映画だと思うのですが、現実感のない不思議な映画でよくわかりませんでした。

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