脳のシワ/養老孟司著

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脳の皺

「脳のシワ」 養老孟司著
1998年かまくら春秋より単行本
2006年8月新潮社より文庫化初版

 養老さんの作品がこのところヒットしている点に目をつけて、9年前の出版物を文庫化したものだが、さすがに、読み手として期待した「切れのよさ」も、「妙なる響き」もなく、ややがっかりというのが正直な感想。

 脳について、作者は以下のように解説する:(  )内は私の個人的な意見、感想。

1.これまで脳は不当に隠蔽されてきた。(隠蔽せざるを得ないほど理解されていなかったのではないか)

2.脳のことは、だれもが自分の脳の働きによって、意識している。だれもが脳のことはそれなりに知っている。

3.意識を最もはっきり示すのは言葉で、言葉が社会を繋ぐ。

4.解剖学教室には多いときで50体の遺体が並ぶ。

5.アングロサクソンは単独行動を好む。日本人は「みんなで渡れば怖くない」主義。(「アメリカ人に二人ペアを組ませて仕事をさせると意見対立が生じ、調整時間が避けられないため、仕事としては1.5人分しかできないが、日本人にペアを組ませると2.5人分やりとげる」とはむかしから言われる。日本人は基本的に「内弁慶、外猫」で、蛙のツラに小便的な政治家でも、ピストルを振り回すヤクザでも、白人諸国のどこかにたった一人ぽつんと置かれると、びびりまくる。日本の航空会社の便に搭乗しているときと外国航空会社の便に搭乗しているときとでは、態度が180度違う)。

6.日本の幽霊はほとんど女、イギリスの幽霊はほとんど男。小説一般もイギリス人のものは陰気で、しつこい。

 (世界で幽霊の話が最も多いのはイギリスだが、この作者がホラーもののドラマが好きだという精神は理解しがたい。本書は「脳のシワの話」のはずが「幽霊の話」が多すぎる。もっとも、幽霊も人間が脳でこしらえたものではあるが。自宅の隣に墓場があることまで言及している)。

7.恋はある種必然。しかし、この必然は論理的必然とは違う。恋には計画性がなく、自然に双方の心に芽生えなければ成立せず、成立しても成り行きについてはわからない。

8.結婚は人工的制度。人間は水鳥のカップルのようにおしどり夫婦のように仲良くはいかない。

9.男と女の関わり方は、考えようによっては、無限にあり得る。しかし、結婚という制度がこの世になければ、そうした関わりは一切の物差しを失くしてしまう。基準がわからず、どうしてよいかわからなくなる。(結婚制度というものは男女の拘わりの一つの基準ということか。確かに、基準がないと、右往左往するしかなくなる)。

10.また、結婚制度がなかったら、「不倫」も「同棲」もあり得ない。(結婚制度を初めてつくったのは誰? そして、まるで、世界中が一斉に結婚制度をはじめたかのような印象があるのはなぜ?)

11.世の中の不信を治す薬は唯一、愛情しかない。

12.学ぶ上で、間違えることを恐れると、安全志向に偏って、大胆な次のステップに進めない。

13.泣き笑いには排泄のような絶対必要な必然性はない。一生、泣きも笑いもしない人もいる。むかしの武家にはそういう人がいたであろう。 (アメリカ人はかつて「Japanese smile is enigma」(日本人の笑いは謎だ)と言ったが、文化の違いからくるユーモアや泣き笑いは必然であって、笑いの対象も異なる。お互い様ではないのか。ただ、日本人は外国にあって、相手の発言が理解できないとニヤニヤするという傾向は否めず、これが謎に映る)。

14.老年になると涙もろくなる。男に多い。涙腺を刺激するのは自律神経である。(男が基本的には女より弱いということだろう)。

15.泣き笑いの器官は生きる上で必要なものではないため、学問的にあまり相手にしてもらえない。

16.人生にとって快は不快より短期である。理由は不快は覚えているほうが生存に有利で、役立つから。子供を育て、保護をしなくてはならないという立場にある女性のほうが男性より寿命が長いのもそうしたところに根がある。

17.脳は主観を生み出す器官だから、客観性とは相克する。学習とはそれまで脳になかったものを脳に取り組む作業だが、そこで大きく効いてくるのは五感から入力する社会的な現実感である。社会における実習が重要視される所以(ゆえん)。

18.神経細胞は130億個とかいう。それなら100年でやっと無くなるだけのことで、驚いたり恐れたりするにはあたらない。

19.老齢者の脳の神経細胞をみると、なかに幾つも特徴的な粒が見える。これは、いわば細胞のゴミタメ、死骸である。

20.神経細胞が減る理由はほかにもある。血液がいかない。そうすると、神経細胞が死ぬ。動脈硬化である。

21.「遺伝子」を古典的な「親の因果が子に報い」という言葉に引っ掛けると印象が悪い。(1937年生まれの学者の言葉であり、いまどきそんな言葉を口にするやつはいない。ただ、サーカスで、身障者を見世物にした例は戦後しばらくまではあり、そこで「親のインガが子にむくい」と抑揚をつけて紹介されていたが、人間とは残酷な生き物である。それ以前は、「家の恥」という考えから、座敷牢をつくり、そこに終日入れておくという家もあったと聞く。

22.現代人が「超自然的な」という言葉を好むのは、自然の中に暮らしていず、自然への感受性を喪失しているから。(辛辣な言葉だ)。

23.自分は野蛮人の骨と普通人の骨を二つ持っているが、野蛮人の骨のほうが見事である。(当然、野蛮人の骨は太く、頑丈だったはずだし、固いものを噛んで食べていたから、顎などは現代人に比べ、肉食獣と草食獣の違いほどあるだろう)。

24.日本でも地方では、熊、猪、猿、山羊、鹿などが里に降りてきて、畑の実りを失敬したり、道路に出てきて交通事故を起こす話はテレビを通じて知るが、都会に住む人間の足元ではアスファルトの下に何億もの昆虫類の死骸があることを認識していない。(哺乳類と昆虫類の違いはあるが、同じ生物である。そのうえ、これ以上、日本中に道路を作ろうとする神経が判らない。第二東名高速などは誰の懐を潤すのか知らないが、当初からの目論見ではないのか?)

25.作者は子供時代の山河を語っているが、ザリガニを食べたとは書いていない。

26.肝臓は人体でも最大にして、最も重い臓器。たぶん、古い時代の名残があって、食べられるもの、飲めるものを何でも口に入れたから、これらのなかにときにある毒物を解毒、排泄する機能をつかさどっていたのではないか。肝臓は全体的に血の塊である。

27.肺臓に触れ、喫煙に触れ、肺癌に触れながら、(気管支炎や肺気腫に触れないのは片手落ち。さらにいえば、日本のタバコ産業、JTの存在とその悪影響についても触れるべきだ)。

28.網膜は脳の出店。だから、何種類もの神経細胞が含まれている。形、色、空間装置、動きなどを知り、情報が脳に送られ、判断される。(聴覚だって同じような脳機能のもとにある)。

29.嗅覚と味覚は似た点が多い科学受容器。分子によって引き起こされる感覚。いずれも、加齢とともに退化する。

 解説者が「科学が証明し得るものは世界の現象のわずかな部分にすぎない」というが、歴史的に振り返ってみると、ずいぶん多くの混沌が科学によって明らかにされてきたと私は思う。「科学的か否かの論証は理論武装するためのツールであって、根拠はない」というが、「じゃ、なにを信ずればいいんだ?」と言いたくなるし、解説者の言葉は作者への追従のように思える。

 また、「科学的でないものは信じないといいはじめたら宗教になってしまう」はちょっと違うのではないか。「宗教が人間の本質だ」いえるほど、日本人は、厳密な意味で、宗教とは近いところにはいないし、最近では欧州でも神の存在を信じない人が増えている。宗教を嫌う人が日本に多いとすれば、それはキリスト教徒やイスラム教徒が歴史上、幾多の殺戮、戦争をやってきた事実、そのうえに同じ宗教内ですら多くの派閥が存在して、互いに殺し合いをやめないからではないのか。宗教のことを解りもしないくせに、養老さんへの肩入れ目的で簡単に触れて欲しくない。だいたい、歴史上、宗教が科学の発展をどのくらい邪魔したか、宗教が幾多の争いの源をなしたか、そっちのほうを強調すべきだ。

 内容的に、本書は「脳のシワ」というタイトルにふさわしいようには思えない。また、触れている対象が百花繚乱というべきか、手当たり次第というべきか、思いつくままにというべきか、むしろ「人間の体と精神」を扱っているように思われた。

 ことに、「脳の学習力」を読んだ直後だから、養老さんの作品としては緻密度において杜撰な印象が拭えない。私は科学の進歩は著しいと思っているし、現に多くの「脳」に関する書籍が国内外から出ている状況下、このような内容の書物は古いものを引っ張り出して文庫化することには難がある。最近の優れた科学書と比較されやすく、日本を代表する学者の一人として隠れなき人材が損な役回りを演ずることになりかねない。


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