妖怪/平岩弓枝著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

youkai

「妖怪」 平岩弓枝著  文春文庫刊

 江戸時代、徳川家斉が将軍のころ、「天保の改革」という政事があった。筆頭役の水野忠邦を補佐した鳥居甲斐守忠輝(とりいかひのかみただあき)を主人公とした本で、鳥居は当時「妖怪」とも「鬼」とも呼ばれたが、政権を争うなかで敗北者の側にまわったばかりに、悪者にされ、晩年を厳しい監視下におかれて生きた。ちなみに、鳥居甲斐守は本来漢学者であり詩人であった。

 政争に負けた側は常に勝った側にくそみそに糾弾され、政治の裏側に押し潰されてしまうのが落ちで、本書の主人公も大方は「妖怪」として後世に語り伝えられた。

 著者によれば、歴史とはしばしば真実から遠いところでまとめられてしまうもの、視座を変えることによって、人物の斬新で、これまでの見方とは異なったものが見えるくるとの信念が本書を書かせたモチーフになったらしい。 つまりは、鳥居という男が真に「妖怪」なのか「鬼」なのかをアングルを替えて見直してみようという動機から出発した作品である。

 時は天保、家斉から信任を受けた水野忠邦が鳥居甲斐守を右腕とも頼んで、窮乏ひさしい幕政を回復させるための諸策を打ち出し、行動に出る。 なかでも、忠邦が忠輝を使って、妖しい人物の裏を探るところは、まるでFBIの初代長官フーバー並みの手法。

 付言しておくと、将軍の家斉は希代の女好きで、大奥の22人の女に55人の子を産ませ、半分は夭折したものの、その子女の養子縁組や嫁入りに莫大な支出を余儀なくさせた。幕府から血筋の子を出す以上、受け取ってくれる大名、小名にはそれなりの見返りを与えねばならなかったからだ。それは住む場所の「所替え」であったり、地位の保全、昇格であったりもした。

 その間、日本は全国的に飢饉に遭い、大塩平八郎(大阪奉行所の与力)の乱が起こり、またちょうどそのとき、隣国の中国はイギリスに領土を侵略され、いわゆる「阿片戦争」を仕掛けられていた。 戦端が開かれたのは天保11年2月だが、その情報が江戸に届いたのは半年遅れ。情報の遅れはこの当時としては仕方がない。幕府が知らぬまに、中国は休戦にもちこみ、領土の一部(香港など)を割譲することで戦争を収めた。

 阿片戦争に関して、幕府はイギリスが中国に勝てるわけがないと思っていたらしい。単純に人口や兵士の数を比較しても、問題にならないと短絡した。 それが火力の差、兵士の訓練の差などによって、あっさりとイギリスが勝ってしまったことに、幕府は驚愕、仰天した。と同時に、「清は見かけ倒しで、実態は憶測していたよりもずっと弱い」との観測を得た。

 当然ながら、江戸幕府内では開国すべきか否かの議論が渦巻き、沸騰したが、嘉永6年6月に突如ペリーが江戸湾に来航、江戸市民も江戸幕府も呆気にとられたというより茫然自失した。 同じ年、家慶から家茂が家督を継いだが、ロシア艦が長崎に来て正式に国交条約を結びたいと請願してきたことは、外圧が一層強まったことを示唆している。オランダだけを窓口とする外交手法が有効でなくなったとの認識だ。

 水野忠邦の「天保の改革」を失政と捉えたライバルたちは、世情のことは別にして、政敵憎しの一念から、水野忠邦から二万石、家屋敷、家作などを没収のうえ、隠居命令。下屋敷に謹慎。

 一方、鳥居甲斐守は家禄没収、四国の丸亀藩へお預け、二人の子は改易。

 時代がめまぐるしく変転する時代の江戸幕府を取り巻く官僚たちのあり方から、かねてより現今に至るまで綿々と続くこの国の政権争いと官僚主義を見ているような気がする。

 いつの時代でも同じではあろうが、人の悪事を暴露する側は常に怨嗟の対象となる。陰湿な陰口もきかれる。 許認可事業で権限をもっていた者には多かれ少なかれ思わぬアンダーテーブルがあったりもする。そういう権益を喜んで棄てる人間はいない。この著者がしっかりした視点、視座を守って、この政変を描いたおかげで、登場人物たちの生活がなまなましく活写され、江戸人の風習、癖、好み、男女関係なども窺うことができ、本書に彩りを加えている。そして、今日に至っても変わっていない政、財、官、民の癒着の構造をも白日のもとに曝している。

 政権が長く継続すると、官僚の創造したシステムに重油のカスがたまってくるもの、これを分野ごとに構造改革するのでも大変な労力を必要とするし、権益にぶらさがっている人間の執拗な反対にも遭遇する。

 以下、 学んだこと、感じたことを記す。

 1)たとえば、 主人公は結婚するまえに子供をつくっていたり、妻の連れてきた世話目的でかしずく女にも手を出して子を産ませてしまったりする。 武家は妾をもてば、妻と妾とを同居させざるを得ず(外に妾を囲うことは禁止されていた)、同じ屋敷のなかで、二人の女が同時にみごもってしまい、同じ年に二人の赤子が誕生することもしばしばであったらしい。(二人の女はともに、跡取の男子を産もうと必死だった)。また、当時は栄養不足のため母親に乳の出が悪いことが多く、同時に二人の女に子を産ませることには、片方だけでも乳が出れば、二人の子が助かるという効能もあった。

 2)子福者には違いなかったが、多くの子が夭折の憂き目。(ハリスの日本滞在記が伝えている内容を裏書している=生まれた子が二十歳に達するまで生きるのはわずかな確率だったというが、原因は水疱瘡やハシカの予防接種を知らなかったことにある)。

 3)普段世話になっている関係では贈答は決して手を抜くことのできなかった習慣。こういうもののやりとりが現在の盆暮れの付け届けに繋がっていて、これがときに収賄にもなりえる。こういう風習とはそろそろ縁を切ったほうがよいだろう。

 4)罪人を扱う仕事は不浄の仕事という観念が強く、軽犯の者が牢内外の見回りや食事の世話、面会人の管理などをやっていたから、かれらのあいだにも賄賂、その他の不法行為が頻繁だった。いまでも多発しているいわゆる「役得」である。

 将軍が家慶から家茂に変わったあたりから、日本中で大地震が頻発する。東海道、房州、紀州、土佐が津波の被害も受け、五畿、山陽、南海、西海などにおびただしい被害。江戸大地震では(10月11日)、大名屋敷の倒壊、千代田城も一部倒壊、宇都宮、高崎、行徳、船橋にも禍が及んだ。

 主人公が24年の長きにわたって丸亀で幽閉され、許されて江戸に帰国したときは、幕府そのものがすでに瓦解、消失していた。

 この主人公の生き様を追うことで、このころの江戸時代がすこしは見えてきたし、当時の日本人の官僚体質と今日の官僚体質にほとんど差のないこともあらためて認識できた。

 正直にいうと、この作家の著作は過去に(ずいぶん前に)一冊だけ読んで、感心せずに、そのまま。

 本書に触れたのはほんの偶然、知己に進呈されたために、接する機会を得た。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ