バリ島駐在記「サンギラン(ジャワ島)」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

サンギラン博物館
(サンギラン博物館内部)

サンギラン風景
(サンギラン周辺の風景)

 これは「ルピア」から始まり「化石」に継ぐ続編「第三編」である。

 さて、キリギリスの店舗でカニの二匹入った化石を包ませて、一歩動いたとたん、

「だんな、うちにだって、化石はいっぱいあるし、牛の角で作った細工物もある」

 と、褐色の肌を剥き出しにした肥満したおばさんが声をかけてくると、

「うちにだって、あるよ。だんな、うちのも見てくださいよ」

「一軒だけに金を落として、ほかの店はほったらかしにするのかい? ミルクに困っているのは、あいつの家ばかりじゃないんだから」

 と、店舗の大部分を仕切っているおばさん方が一斉に声を張り上げるから、姦(かしま)しいことおびただしい。

「よーし、それじゃ、一軒、一軒、見てやる。かといって、買うか買わないはおれの勝手だ」

 結局のところ、私が欲しいのは化石に尽きている。そこらじゅうの店をたたきにたたいて、エビ、魚、アンモナイトなどの化石をそれぞれ適当な数で入手、いいかげんで切り上げようとすると、若くて可愛い女の子が、

「だんなさん、あたしの店では、まだなんにも買ってくれませんよ。あたしの店からも、なにか一つでもいいですから買ってください」

 と、掌を合わせている。

 若い娘は他の店舗を仕切るおばさん方に押されて、前に出てくるチャンスがなかったと見えた。よく見ると、プロポーションはいいし、若いから肌には艶(つや)があって、そのうえ容貌(かんばせ)には二重瞼のぱっちりした瞳が冴え、田舎(ひな)には稀な美形。そういう娘に心を動かされるのは男としては尋常な神経というものだ。

「よし、見てやるよ。あんたの店に連れてってくれ」

 娘は嬉しそうな表情で、私の袖を引っ張る。顔に皺を刻ませたおばさんばかり見てきた私は、その娘が袖に手をかけてくれたことにだけでも金を払ってもいいといった気分に陥った。

 案内された店舗に並んでいる品物はやはり化石がメイン、化石はすでに買いすぎたくらいだから、もう要らない。欲しいものが見当たらず、

「まいったな。あんたの店には欲しい品物がないよ」

 と、謝罪するような気分で言いつつ、娘の愛らしい顔を注視する。

「だんなさん、そんなこといわないで、よく見てください。ほら、これなんか、どうです? ほかの店にはないでしょ?」

 そう必死になって、示したのは板上の隅にあった漆黒の石で、美しくカットされ、カフスにも、指輪にも、ネックレスにも、ブレスレットにも使えそうな光沢を放っている。

「それ、その黒いの、1つ1、000ルピアなら、2つ買ってやる」

「えぇ? 1つ千ルピアですか? いつもは4千ルピアで売ってるんですよ」

 私は返事をしない。

 娘は考え込んでしまい、隣にいたおばさんに相談している。もちろん、彼ら、彼女らの言葉はジャワ語で、私には何をしゃべっているのかは判らない。1千ルピアはこの時期のレートなら、10円にも満たず、申し訳ないような言い値である。

 ややあって、娘は意を決したように、

「だんさなんの言う値段でいいです。2つで、2千ルピアですね。でも、ほかのも買ってください。これだけじゃ、弟や妹にご飯も食べさせられない」

 と、可愛い唇から殊勝な言葉を吐くから、これまでインドネシア人には「騙されるやつが悪い」といわれつつ、散々に、というより「惨々に」やられてきた過去を忘れた。

 そこで、黒石のほかに黄色い石、青い石、赤い石と、適当にピックアップ、娘にお金を渡したところで、オペレーターのボスが用意してきたダンボールの箱は一杯になった。

 さて、「帰るか」とボスに話しかけ、車に歩を運ぶと、おばさんも、おじさんも、ぞろぞろと私たちの後を従いてきて、それぞれの手に化石や骨を握り、「これはどうだ?」「これなら買い得だぜ」と、やかましいだけでなく、私の袖や背中を引っ張って、車に乗せてくれない。

 さすがに、オペレーターのボスも怒りだして、「おまえら、いいかげんにしろ。この人はバリに住んでいる。ここに来る機会はこれから幾らもある。おまえらの生活の足しになることを、この人は今後もやってくれる。今回はこれであきらめろ」

 そう言ってくれはしたが、ようやく車に乗った私への「お願い」は途切れるどころか、車窓から二十本近い手が入ってきて、「これはどうだ?」「あれはどうだ?」と必死の声を張り上げる。生活がかかっている背景、しかも経済的な状況は悪化し続けている。そいういう実態が、手にとるように伝わってくる。

 なかには、「だんな、うちに寄っていきませんか?」

 という男がいて、

「なにか、いいものがあるのか?」

 と、ついスケベ心を出して訊くと、待ってましたとばかりに、

「象牙があるんだよ。しかも、化石のが。でかいぜ。2メートルを超えるやつさ」

 と、にやりと笑う。

「象牙か、象牙は欲しいな。だけど、象牙はワシントン条約で輸出入は禁止されているから、日本に持ち込みができない。見つかれば即没収という羽目になる。魅力的な品物だが、あきらめるしかない」

「でも、だんな、見たら、気持ちが変わるよ、きっと。なにせ、品物がいい。質もいい。欲しくなって、一か八かの勝負に出たくなるような品物だよ」

「一か八かの勝負?」

「そうよ。日本の税関を通過できるかどうかってギャンブルだよ」

「そうはいかないな。おれは旅行を業務とする身だ。もし、見つかったら、没収程度じゃすまない。別室に連れ込まれて、こってり絞られるし、そのうえ、ブラックリストに載って、もし本社に知られたら、ひょっとしたら渡航できなくなるかも知れない」

 帰途、化石と石で一杯に詰まったダンボールを見ながら、「これだけの量の化石をあれっぽっちの金で買えたってのはすごいことだぜ」と私はオペレーターに話しかけながら、一人悦に入り、終始笑みが絶えなかった。

「あぁいうところに行って、怖くないですか」

 帰途、ボスが怪訝な顔をする。

「怖い? なぜ?」

「だって、金をもってる外国人が一人であんなところにいたら、村の連中が大挙して殺しにくるかも知れないじゃないですか」

「そんなことは起こらないさ。そんな事件がもしあったら、ヨーロッパ人だってサンギランに行くことを躊躇するだろ? そうすれば、金蔓(かなづる)が百パーセント消えて失われてしまう。それほどアホじゃないよ、かれらも」

 実際、この日から一年後に再訪しているが、かれらはみな私の顔を覚えていて、「だんな、また、約束通り来てくれたね。どう、元気ですか?」などと、まるで親戚に久しぶりに会ったような挨拶をしてくれたものだ。

 後日、若い娘から買った石をその道のプロに見せたところ、石に触れるなり唖然たる表情。

「あなたねぇ、これはみんなガラスだよ。石には石なりの重さってものがある。よーく、神経を張って、これらを持ってごらんなさいい。いくら小さくて、軽いとはいったって、ガラスはガラスの重さしかない。どれもこれも、石よりはずっと軽い。明らかにただのガラスで、あなたは騙されたってことだよ。もし、石を買うのなら、まず石の重さを肌で、あるいは指先で感ずる、そういう神経を養うことだ」

 プロの遠慮のない言葉にくしゅんとしつつ、あの若くてプロポーションのいい、美しい娘の顔が脳裡に浮かんだ。「ま、いいか、袖を引いてくれた料金だと思えば、惜しくない」と、私は秘かに、悔しい思いを説き伏せた。そのうえ、彼女の店で落とした金は円に直せばたかだか300円から400円に過ぎない。

 そして、「よーし、今度は磨かれた石やガラスではなくって、原石を探してやる」といった、新たな欲が胸の底からこんこんと湧き出てくるのを感じた。

 サンギラン周辺の村で、原石が出ることを知っていたということもあるが、5万ルピアで買った原石が、国に帰ったあと専門店に持って行ったら、「百万円で買い取らせて欲しい」と懇望されたという話を、土地のガイドから聞いていたからだ。

 インドネシアでの体験記を綴っていると、次から次へと新たな想いが喚起され、止まらなくなりそうで、当惑している。「人間の欲にはリミットというものがないらしい」とわが身を顧みた。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ