マレーシアへの旅

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マレーシア

 「マレーシアへの旅」

 2000年にインドネシアを離れて以来、インドネシア語を使う機会に恵まれず、次第に忘れていく日々が続いていた。

 2004年11月のこと、「マレーシアの観光資源をインスペクション(調査)するボランティアを請け負ったのだが、一緒に行かないか」との要請を受け、喜んで参加した。ひとつには、マレーシアとインドネシアとは言語の70%が共通していて、両者の言語を単に「マレー語」というのだと聞いたことがあり、もうひとつは要請してくれた先方がマレーシアの国立公園を管理する部署だということにあった。

 マレーシア航空に搭乗したのは初めてだったが、アナウンスがインドネシア語と同じであることにすぐ気づき、キャビン・アテンダントとも意思の疎通ができることに狂喜した。

 マレーシアのサバ州(ボルネオ島の北部)の州都、コタ・キナバルに到着すると、国立公園管理者が待っていてくれ、車でホテルに案内。夜は関係者を集めての歓迎会が開かれたが、同行者が英語一本で押し通すところを、私だけはマレー語で押し通し、現地が自然の保護に尽力している様子や手法などを聞いた。

 彼らの目的は私たちに自然保護の実態を見せようということだったから、毎日が移動日となり、カバンを広げる時間さえなく、遠くキナバル山(標高4,100Mを超え、日本人登山者も少なくない)を望みながら、トータル8日間にわたり、2日と同じところに宿泊することはなく、博物館、美術館、熱帯植物保護地区、オランウータン保護地区、ワニ園、タートル・アイランドなどなど、車や飛行機で引き回され、見学、見物を継続させられた。

 そのような日々を送るうち、忘れていた語彙が泉の湧くように噴出、我を忘れて会話に集中した。そして、集中すればするほど、会話はスムーズにもなり、そんな自分にあきれつつも、感動した。

 ある田舎に至ったとき、マレー語をしゃべる日本人に驚く現地人を見て、一層楽しくなり、現地の人に話しかけ続けた。

 写真は保護地にいるオランウータンだが、上にはロープが張ってあり、餌台があって、時間がくると、バナナの束が置かれる。そういう時間に訪れると、一定の区域にドイツ人、アメリカ人、イギリス人、中国人、日本人と、国際色豊かな人種の見物客で埋まる。

 タートルアイランドに案内されたとき、タートルの産卵を邪魔しないよう、夜になると光を消し、懐中電灯を亀の顔に当たらぬように配慮しながら足元を照らしつつ、産卵の現場を見たが、光を失った闇の世界がいかに暗いものかをあらためて実感した。

 と同時に、私たちの興味を惹いたのは、亀の産卵よりも、天蓋を埋める星々だった。亀の産卵はTVで見たのと大差なく、それほど興味を惹かれはしなかったが、灯かりのない南国で仰ぎ見る夜空は圧倒的だった。流れ星がいかに多いかにも気づいた。また、その島に、蛍が多棲していることにも心が動いた。夜空ばかり見上げる私たち日本人に、案内役は怪訝な表情で、「産卵を見てくださいよ」としきりに言いつのった。

 案内役が「蛍はコタ・キナバルから近いところにある川に行けば、数キロにわたって蛍の群生が見られるよ。だが、同じ川にワニも生息していて、暗くなるのを待って行くわけだから、蛍の輝きと、ワニの光る目の両方が見られる」との話には、みな眉をひそめたが、ボルネオのワニはアフリカのナイルワニに匹敵するサイズであり、同じ川周辺の樹林地帯にはテングザルもボルネオ象も生息していると聞く。

 それから、2年が経ったが、使わない言葉をどんどん忘れ、それを使うことでメシを食ったはずの英語ですら、簡単な単語が咄嗟に出ないという状況。「言葉は使わなければ錆びつく」を実感する毎日になっている。


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