バリ島駐在記 「通貨ルピアの暴落」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ルピア

 1997年か98年だったと記憶する。

 インドネシアに、時の為政者、スハルトを打倒するために大規模なデモがあり、投石、放火が相次ぎ、「首都のジャカルタは火の海」という報道があった。

 日本の外務省はインドネシアへの渡航を控えるよう旅行業者に勧告、観光で生計を得ている人間の多いバリ島にも閑古鳥が鳴き、通貨であるルピア(写真)は暴落。 ドルでサラリーを貰っていた外国人労働者にとっては、こたえられない状況が招来されたものの、観光客の減少は結局のところ外国人へのサラリーにも影響したし、最終的に馘首(かくしゅ)された外国人もいた。

 とはいえ、そこには時間的な落差があり、いわば過渡期と呼ばれる日々が続きもしたため、私は暴落したルピアを時間をかけて大量に買い込んだ。銀行預金すると、ドルや円には大した利子はつかないが、ルピアには月に10%という信じられないような高利子がついていた。理由はこの時期、土木や建設を中心にルピア需要が高止まりしていたため、ルピア預金には異常とも言える利子がつけられていた。

 暴落する前までは1ドルの換算率が2,700ルピアくらいだったのが夏くらいから落ち始め、翌年春には1ドルに対し16,000ルピアまで暴落。私はそのときホテルに住まわせてもらっていたが、受け取った利子だけで契約料金が支払えたほどだ。半年後、ルピアが戻し始め、1ドルに対し7,000ルピアになったとき、それ以上欲をかくのをうやめ、預金していたルピアをすべてドルに交換したところ、3か月分のサラリーほどの収入となった。

 ルピア預金に高い利子がついていた理由は、暴動が起こる寸前まで建設ラッシュが続いていたことを示唆したが、バリ島では観光客相手のホテル建設が続いていたために、ルピアを借りる業者が多かったという背景があった。

 この体験は「感動した」というよりも「笑いが止まらなかった」といった方が正鵠を得た表現かも知れない。

 インドネシア人の面白いところは、ドルを売買するとき、交換レートがドル紙幣の額によって異なること、と同時に、紙幣の汚れによってレートが下がることで、最上の条件が与えられるのは百ドル紙幣のピン札である。ときには、紙幣にペンで何かが書かれていることもあるが、そういう紙幣は、固定されたレートがあっても、そのレートを適用せずに、低いレートでしか買ってくれない。だいたい、レートそのものが交換所によって異なることに、はじめの頃は当惑したものだ。

 交換所といったが、日本ならば、大蔵省が認可した銀行以外で外貨の売買はできないが、バリ島の外国人がたくさん集まるクタ(過日テロがあったところ)などでは、交換できる店が軒を連ね、それぞれが勝手なレートを看板に記入しているので、だれもが看板に示されたレートを比較、検討したうえで店を選ぶのだが、実際にベースとなるレートは看板とは異なることがしばしば。要するに、看板のレートが囮(おとり)の役目を果たしていると思えば間違いはない。

 当時、ルピアの最高紙幣額は5万ルピアで、ときの大統領スハルトの顔写真が載っていた。現在では、インフレを懸念、10万ルピア札が製造され、出回っている。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ