アルメニアという国と私の友人

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書評:ためいき色のブックレビュー-アルメニア

 

 「アルメニアという国と私の友人」

 アルメニアという国は上記写真にあるように、南はトルコ、北はロシア、東は黒海、西はカスピ海に囲まれ、さらに、アゼルバイジャン、イラン、グルジアなどにも囲まれた領土をもつ国である。

 際立った特徴としては、旧約聖書にある方舟がたどり着いたアララト山はこの国に存在し、標高5千メートルを超える威容を誇っている。

 実は、私は長い間、アルメニアという国は消失し、国はなくなったものとばかり思っていた。

 上記の写真からも判るように、こうした位置にある国は、多くの大国が往来する通過点ともなり、戦乱が絶えないという歴史を宿命的にもつ。

 現に、紀元前にはアッシリア、キンメリア、ペルシャ、ローマ帝国に、紀元後はササーン朝からも攻撃を受け、一時は両国からはさまれた形で孤立、アラブに委任統治され、ビザンツからの干渉を受け、13世紀にはモンゴル帝国に蹂躙され、14世紀以降はロシアとオスマントルコの台頭により、アルメリアが両国の主たる戦場になるなど悲惨を極めた。

 結果、アルメニアの南西はトルコ領に、北東はロシア領に分割、トルコ領に居住していたアルメニア人は追いたてられて、ロシア領の旧自国領に集結せざるを得ない状態となった。むろん、アルメニアという国名そのものは消失し、ロシアとなった国の一地域に住まわせてもらうといった悲惨さのなかで。

 その後、東西の冷戦が始まり、アルメニア人は祖国を持たぬ放浪の民として、ちょうどユダヤ人と同じ扱われた方をした時期にあたる。土地を離れ、他国に移民していった人々も少なくない。

 たまたま、その時期、私はアメリカ企業からのインセンティブツアー(報奨旅行)を受け、ツアーをエスコートしてきた三人のアメリカ人男性に対応する仕事に従事したとき、そのうちの一人の表情や容貌に、いわゆるコーカソイド(白人)とも違い、かといってアジア人とも異なる、さらには中近東の人とも相似でないものを見、二人きりになったとき、「あなたの宗教はなんですか?」と訊いてみた。すると、「自分はクリスチャンです」との即答の後、「実は、自分はアルメニア人で、アメリカに国籍を移しているんです。だって、アルメニアという国はないんですから」と、平均的なアメリカ人に比べ、言葉にせよ、態度にせよ、穏やかで、居丈高といった様子がまったくない。

 以来、時にグリーティング・カード(クリスマス・カードなど)をやりとりする関係になったが、私自身が転勤に転勤を重ねたあいだ、彼との連絡が途切れてしまい、私はというと、「アルメニアという国はないが、アルメニア人はいる」という記憶だけが脳裏に残滓のように残ったまま時間が経過した。

 それが、東西の冷戦が終結した後、ロシア側に残った土地を領土とするアルメニア国の独立がソ連邦から許され、エレバンという都市を首都として、蘇ったことをテレビの放映でつい最近知ることとなった。

 国はキリスト教を国の宗教と定め、かつての領土に比較したら、ほとんど5分の1という狭い土地に押し込められた形で、トルコとの国境はアララト山のある山脈とされた。独立を果たしてまだ18年だが、現在の国内人口の2倍は海外にいるという。

 しかも、平穏の訪れた今も、今度は隣国のアルゼバイジャンとの民族紛争が火を吹き、多くの若者が銃をとって国境に集結していると聞く。長期にわたり島国で過ごしてきた日本人には想像もつかない苦難、呻吟があること、はたして、日本人にこうした葛藤、長期にわたる民族紛争などに堪える素質はあるのだろうかと想いつつも、胸のうちでは既に否定的な結論が渦巻くのを意識する。なにせ、一度の敗戦で戦争はこりごりだというケツの穴の小ささ、チキンハートなのだから。

 テレビでは、アルメニアの世界遺産である大聖堂、エチニアジン(1300年前の建築物)が紹介されていた。それを見ながら、長いこと連絡の途切れたアルメニア人の男性の身の上のことに想いを走らせた。


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