シルクロード体験記「敦煌への旅」

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莫高窟
 (敦煌の莫高窟(ばっこうくつ))

 ウルムチ、トルファンのツアーに次いで「敦煌の旅」を企画したのは、同じ年(1980年)の数か月後である。このツアーへの募集もあっという間に一杯になったが、やはり25名という小さな枠でしか受け容れてもらえなかった。

 現在では専門家の手が入って、至るところが修復されているそうだが、私たちが訪ねた頃はあちこちに傷や凹凸があって、国として敦煌を大切な遺産とは思っていないかのようだった。

 困ったのは、莫高窟には相当数の穴があり、壁画があり、仏像があり、団員のなかには予めそれぞれの特徴を調べ、見てみたい窟(窟には番号がついている)があり、団員の意見が決まらず、結局はガイドに任せることで納得してもらった。

 莫高窟からはかつてイギリス人が壁画を剥ぎ取ってしまった箇所もあり、竹や木辺に書かれた経典も持ち出され、日本人探検家も同じような行為をなしたと聞いた。

 それぞれの窟に特徴があり、壁に掘られた仏像は見ごたえのあるものだった。ことに壁に描かれた天女の図は文字通り優雅そのもの、忘れがたい印象を見る者の脳裡にインプットした。

 敦煌の裏手には鳴砂山(めいさざん)があり、踏み込むと、靴のなかにまで砂が入ってきてしまい、往生した。

鳴砂山
 (鳴砂山)

タクラマカン砂漠
 (タクラマカン砂漠)

 私が新聞社と共同で企画した二つのツアーは当時、旅行業界にとって初のシルクロードへのツアーだったため、あちこちから現地の様子や状態を問う電話が殺到した。

 次はタクラマカン砂漠の西にあるカシュガルを計画していたのだが、そのツアーが実現したときは、私はすでに転勤になっており、憧れの天山山脈を見ることはできなかった。カシュガルもつい最近のNHKテレビ放映で見ることができたが、ここも国境沿いに商売が上向きになっていて、往年のようには寂れた街ではなくなったようだ。

 当時の中国はまだ観光客を迎える態勢が整っていず、コンダクターとして最も配慮したのは、女性用のトイレのことだった。できるだけ水を飲まないように要望したのは当然だが、予めガイドには途中で日本人が利用できるトイレ休憩を必ず何回かとるように指示をしたものの、砂漠にトイレなどあるわけがなく、砂漠に入る前になると、ガイドは「この先は現地に到着するまでトイレがないので、ここですませてください」と執拗に言っていたのが耳に残っている。

 ただ、現在では、ウルムチにしろ、トルファンにしろ、立派な設備をもったホテルがあり、観光客の受け入れ態勢も整って、人々が青い人民服を着て自転車に乗って雲霞の如くに出現するといった風景はない。私としては、施設が不備で、便利の悪い時代だったからこそ、ツアーそのものにも格別の趣があり、不便であることがむしろ旅を特別のものし、エキゾチックな旅情を誘ったのだと思っている。

 現在の上海や北京を見てみたいとは思わない。もし行くのなら、楼蘭、カシュガル、天山山脈、国境を越えたタシュケント、キルギスを見てみたい。

 思い出すのは、ゴビ砂漠を車で走っているとき、参加者の一人、女性だったが、ノートと鉛筆をもって一心に変哲もない景色を眺め、やおらノートに何事かを書きつけた。訊いてみると、「俳句をつくっているんです」との答えに、私は唖然とした。四季感の希薄なこんな荒地で俳句がつくれるわけがないと思ったからだ。それから数年後に、私は仕事で3か月をサイパンで過ごしたのだが、当時、俳句に凝っていた私はその女性を想起、変わり映えのしない海を眺めて苦吟しつつも、数百句をノートに記した。


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2 Responses to “シルクロード体験記「敦煌への旅」”

  1. withyuko より:

     「敦煌」といえば、中学の国語の教科書に載っていた、井上靖さんの小説でしか知りません。
    イギリス人考古学者ヘディンが幻の湖ロプノールを探す、というお話だった気がします。
    あと、砂漠を駱駝の列が行く様子は、平山郁夫さんの絵の世界ですね。

  2. withyuko より:

     井上靖さんの作品には「敦煌」もありますが、
    ヘディンがロプノールを探すのは「楼蘭」でした。
    申し訳ありません。

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