バリ島からカップルを招待

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

桜

 昨年の春、バリ島でかつて私の秘書をしていた女性と同じ職場にいた男性(インドネシアの大学で日本語学科を専攻)した二人が私が帰国したあと結婚した。秘書をしていた女性も元はといえば、日本語ガイド志望だったということもあり、二人とも日本語は達者だった。

 旦那のほうはジャワ島にあるジョグジャカルタの大学で日本語学科を卒業、一度でいいから日本という国をじかに見てみたいという希望を持っていたが、そうした機会に恵まれぬまま私が働いていたトラヴェルエイジェントに入社したものの、私が帰国したあと旅行業界から足を洗って、途中から有名ホテルに転職、日本人相手の接客を主たる業務として仕事をしている。

 成田で迎え、そのまま私の住む周辺に存在する満開の桜並木に同行、とりあえず、来日の第一の目的を達成した上で、自宅に同伴した。

 「学生時代、日本を訪問したかった夢がいま叶いました。桜の花も見られたし、感動です」と、夫のほうは正直に胸のうちを明かした。

 彼らはまず金持ちのはずの日本人が賃貸の物件に居を据えていることに驚愕の面持ではあったが、蒲団を二つ並べて引いてやり、夜はそこで寝てもらった。

 翌日は、二人を東京駅のはとバスに同行、日本語による半日観光を愉しんだ。私としても、東京観光は久しぶりのことだったが、二人が喜んだのは、六本木ヒルズでも、レインボーブリッジでも、フジテレビのビルでもなく、浅草の仲見世だった。その後、東京で起業している息子に東京駅まで来てもらい、紹介がてら、彼に8階の中華店で夕食をおごってもらった。

 翌日は車に二人を乗せ、静岡の親戚の家に向かって、高速を走った。さすがに、日本の高速がインドネシアを凌いでいるという実感をもったらしく、左右に展開する景色を堪能、とくに富士山の神々しい光景には、山頂には神が宿るという信仰をもつバリ人のこと、深々と頭を下げ、合掌の姿勢を示した。高速道路の両側にも桜がほぼ満開で、とにかく桜というものへの確たるイメージを把握した様子だった。

 静岡の叔母の家は典型的な団地で、四階まで徒歩で上がるという家だったが、それも難なくこなし、日本人の生活についてはなんらコメントをしなかったが、ここで2泊したとき、静岡清水の名産である生シラスを入手、これを天ぷらにして食べさせたら、二人とも期待以上に美味だと褒めてくれた。生のシラスを入手できる土地は日本でもそう多くはない事実も、むろん、説明した。

 翌日は、叔母を同伴、四人で京都まで足を伸ばし、ビジネスホテルにチェックインしたあと、カップルが見たいというリクエストを優先しつつ、観光タンクシーに乗ったが、金閣、詩仙堂はまだしも、清水寺が込んでいて往生した。驚いたのは、千葉、東京、静岡では満開だった桜が京都ではたまたま前日に雪が降り、開きかけていた花が蕾に戻ってしまい、私たちが到着する日を待っていたかのように満開になっていたことだ。

 京都に1泊したあと、再び静岡に戻り、ここに2泊して、関東に戻り、私の家に最後の2泊を過ごした。かつてバリを訪問したことがあり、私の秘書をしていた彼女には会ったことのある友人が車をもってきて、千葉県の房総にあるマザー牧場訪問を提案、私たちはこれを喜んで受けた。むかしのマザー牧場とは様変わりの景色や様子に驚きつつ、菜の花が一面に咲いている光景に息を呑んだ。

 カップルの旦那の方は趣味で油絵を描いていて、今回も三枚ほどを持参したが、一枚を私が頂き、あとの二枚のうち一枚は藤沢の知人の家まで持参、もう一枚は彼の日本人の知人に私の自宅まで来ていただいた。彼らとの出遭いはあくまでバリのホテルであって、旦那としては日本に来る以上、ぜひとも逢いたい相手だったのであろう。

 二人は100円ショップで迷いながらも、あの人、この人を想定しつつ、土産の選定に苦労していたが、それも旅の楽しさの側面であり、彼女のほうはさいごにどうしてもという要望で自身のために「日本の下駄」を入手し、翌日帰国していった。後日聞いたところでは、彼女の下駄は現地仲間に好評らしく、彼女は下駄をはいてバイクを運転するという。

 旦那の日本語はもともと抜群に上手だったが、留学の機会には恵まれなかったものの、日本にトータルで8日間いたことですっかり日本語に磨きをかけることができたらしく、帰国後に彼と一緒に仕事をしている日本人女性スタッフが彼の日本語の上達に驚いたというメールを寄越した。

 経済的な余裕があれば、また呼んでやりたいと思っているが、いつのことになるかは断定できない。

 上の写真は京都の川の両端に咲く桜。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ