世界史・パート17「イラン」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

イラン

「世界史」パート17

  「イラン」

 イランの支配層はペルシャ人で、高い誇りをもっている。イラン国内のイラン人は約51%、24%がアゼリー人。ギラキ人、アザンダラ人、クルド人がそれぞれ7-8%を占め、もしアーリア系のコーカソイド(白人)でイラン語を話す人々がイラン人だという定義に従えば、アフガニスタン、タジキスタンもイラン圏に入る。

 ペルシャの言語は古代アケメネス朝が興ったイラン南部のファールス地方にちなむもの。前700年、アケメネス王朝はペルシャ人が築き、前550年にはメデイ王国を倒し、イラン高原の主要部を得、その後、メソポタミアの新バビロニアを滅ぼし、中央アジアにも出兵、前525年にはエジプトを占領して古代オリエント世界を統一。

 アケメネス朝の全盛期には西アジア、メソポタミア、エジプト、東アジア、ヨーロッパの一部にあたるトラキア、マケドニアにまでその勢力がおよんだ。

 アケメネス朝はアレキサンダー大王が前330年に滅ぼすまで続いたが、アレキサンダー没後はギリシャ系のセレウコス朝シリアの支配下に入った。

 前3世紀半ば、北部イランにイラン系パルティアが勃興、3世紀はじめにはササン朝ペルシャがパルティアを倒して、西アジアを統一、400年にわたってゾロアスター教を国教とする異教徒による神聖治政下に置かれたことで、イラン人の民族意識はより強まった。

 ササン朝は結局イスラム帝国に征服されたが、イラン人はササン朝のもとで培った意識を棄てず、他のアラブ諸国とは同じイスラム教徒ではありながら、一線を画した生き方を模索してきたし、現にしている。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ