世界史・パート11「東南アジアの小国・カンボジア」

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アンコールワット

 カンボジアは人口の90%がカンボジア人で占められているという、東南アジアでは珍しい国。かれらは「クメール」という独自の文化を創り、団結した。クメールはアジア系民族と先進文化をもつインド系の居住民との混血ででき、1世紀に扶南(ふなん)という名の国を樹立、中国やインドのクシャナ朝と交流。

 8世紀には分裂、衰退。ジャヤヘルマン2世が800年にクメール朝を再建。12世紀から13世紀にかけて最盛期。この時期にアンコールワットや都城の建設が行われた。

 13世紀からタイのアユタヤ朝の圧迫を受け、14世紀、アンコールが陥落。1432年、都をスレイ・サントールに遷した。その後、さらに都をプノンペンに遷したがシャムとヴェトナムの圧迫に辛苦し、1841年に併合され、1845年にシャム(現在のタイ)の力を借りて独立を回復したが、このころからフランスが介入、カンボジアは1863年、フランスの保護領に入れられた。

 カンボジアのみならず、フランスはヴェトナムを含むインドシナ半島全体を植民地化、収奪を重ねた。一方、当時、インド、マレー半島を争っていたオランダはイギリス、フランスに駆逐され、やむなくインドネシアのスマトラ島、ジャワ島に侵入、ヤシ園、ゴム園をつくらせ、シナモン、ウコン、コーヒー、胡椒などを収奪した。ちなみに、オランダによるインドネシア統治は、太平洋戦後、インドネシアに残った日本兵による助力を得つつ、オランダからの独立まで、3世紀におよんだ。

 カンボジアはその後ポルポト政権が樹立、政権に反旗を翻す人民は悉く殺戮対象となり、数百万人が犠牲になった。

 ポルポトの没落後、1954年、シアヌーク殿下の努力により他地区からの独立分離に成功したものの、世界でも指折りの貧窮に喘ぐ国、少女や少年の売春目的で同地を訪れる変態嗜好の男が跡を絶たない。

 カンボジアには多くの地雷がヴェトナムと同様に地下に眠っていて、これによる被害も後を絶たないし、HIV感染者も後を絶たないが、日本人の看護婦が結婚もせず、この地でひたすらカンボジア人のために尽くしている姿には畏敬を覚える。また、地雷の除去にも手を貸している日本人男性がいる。


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