世界史・パート3「デンマーク」

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デンマーク
デンマークの地図

「世界史」パート3 (上記、上の写真はデンマークの国章、下は欧州地図で、黒く塗られ小国がデンマーク)

 「デンマーク」

 歴史に登場する最初のデンマーク王は8世紀後半のオンゲンドウス。バイキングの首領だった男。

 10世紀末のハラルド王のころにはデンマークとスウェーデン南部とをほぼ統一。

 

 また、王の弟、カヌートはイングランドへの侵略を試み、1016年、イングランド王となる。兄の死とともに、デンマーク王の継承権も得、以降ノルウェー、スウェーデンにおける土地を力で征服。1030年頃のデンマークは本国のほか、イングランド、ノルウェーを支配下におく北海帝国を樹立、11世紀半ばの衰退期まで継続した。

 デンマークの後退は1066年、イギリスのノルマン朝の成立、台頭によるもので、ノルマンのバイキングの系譜を引く王や貴族が欧州に多かったが、カトリックに帰依することによりゲルマン人と同化した。

 これに対し、北欧では、ノルマン的伝統が強く、デンマーク王は1380年ノルウェー王を兼任し、この状態を400年余り続けた。

 

 14世紀からデンマーク王家はスウェーデンの全面支配にも再び野心をもち、スウェーデン王家に養子を送りこみ、北欧三国はきわめて密接な関係を築いたが、16世紀のはじめ、スウェーデンに反デンマークの立場をとる王家が成立、17世紀末にデンマークはスカンジナビア半島南端の領土をスウェーデンに奪われた。

 以後、デンマークは局外中立の立場をとりつづけ、戦争が他国間で始まると、武器、その他を売る貿易を積極的に行い、利益をむさぼる方策を採る。

 19世紀に入って、ナポレオン戦争で中立が守れず、フランス側に立ったため、大戦後の1818年、ノルウェーを失った。

 以来、プロシア(現ドイツの一部)、オーストリア連合にもいちゃもんをつけられ、国力の衰微と相俟って、欧州の一小国として、乳酸業を主力とする産業国として今日に至っている。

 明治政府成立後に、日本、上海に初めて海底ケーブルを敷設し、電信というインフラを提供したのはデンマーク人である。首都のコペンハーゲンは東西の航空交通の要の一つを担っている。


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