世界史・パート12「トルコ」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

トルコ

「世界史」パート12

  「トルコ」

 トルコ人は中央アジア、シベリア、西アラブ、北アフリカ、インド北部、東南アジア、ヨーロッパの一部と、広大な範囲に広がっていた。

 現在、小アジアのトルコ共和国ではチュルク語が使われ、トルキスタンと呼ばれる地域に他のトルコ族の大きな集団が居住する。現在では、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンといった国になってはいるが。また、一部はロシアの一員となり、一部は中国の新彊ウィルグ自治区にも居住している。

 6世紀半ばに突厥(とっけつ)(チュルクともいう)国家を中央アジアに建設、中国にしばしば侵入したが、決定的な打撃を加えることはできず、次第に衰退。

 8世紀半ばにはトルコの一部族が立ち、突厥と併合、唐朝と戦ったが、9世紀に滅びると、南や西に移住。

 11世紀、トルコの一部族が中央アジアからイランへ侵入し、イラン北部でセルジュトルコを打ちたて、バグダッドを制覇し、小アジアまで領域を拡げた。東方は北インド、アフガニスタンのガズ二朝と争い、西方では中カリフ国と呼ばれたエジプトのファティス朝と戦った。全盛期は12世紀で尽き、滅んでいく。

 1299年、小アジアのトルコ族のオスマンがオスマントルコ帝国を樹立、14-15世紀にかけて領土拡大に努め、1453年にはビザンツの首都、コンスタンチノーブル(現イスタンブール)を攻略、東ローマ帝国を壊滅させた。

 その後、バルカン半島に進出、16世紀にはエジプトのマルムーク朝がオスマントルコに従属。

 全盛期には、ハンガリー、ブルガリア、アナトリア、メソポタミア、エジプトを手中に収め、その広域支配は第一次大戦まで続いた。

 なかでも、ロシアの南下政策を抑止するために再三にわたって交戦、勝敗を互いにくりかえした歴史から、大国ロシアを相手にした日本には格別の親密感をもっていると仄聞する。ロシアとの戦は、主に通過点であるクリミアを戦場としたため、「クリミア戦争」と呼ばれている。

 トルコにはほとんど全土に遺跡が散在、点在し、日本の好事家が遺跡めぐりのツアーに精を出す姿も少なくない。

 なお、「オスマン帝国」については、本ブログに2005年3月に書評を記載してあるので、参照を請う。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ