世界史・パート16「モンゴル」

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モンゴル

「世界史」パート16

  「モンゴル」

 1206年以降、チンギス・ハーンは周辺支配に成功、ウィグルを落とし、中国の金朝に侵入。中央アジアのホラズム王国を滅ぼし、騎馬戦を得意とした部隊はイランを落とし、戦をすることで敵から学んだ新しい武器の開発や工夫をし、武力に厚みを加え、ウクライナ、ロシアにまで侵攻した。

 チンギス・ハーン没後、息子らは中国の金朝を滅ぼし、南部の南宋と朝鮮半島に圧力を加え、1236年から1242年にかけては孫のバトゥが欧州遠征を断行、ポーランド、フランス、ハンガリーに侵入、行くところ敵なしという状態。プラグは1253年から1258年にかけ、西南アジアへ出兵、バグダッド、ダマスカスを手中に収める。

 13世紀、帝国を五つに分け、統治した。直系のクビライはモンゴル草原と金朝の遺領を合わせて中国を支配、12767年に至り、それまで帰順を肯んしなかった南宋を滅亡させる。

 日本にも二度、朝鮮に造船の労をとらせ、侵略を図るも、たまたまの台風で二度とも、逃げ帰るという結果を導いた。

 (クビライの時代には、インドネシアにも触手を伸ばしたが、これも失敗に帰した。モンゴル勢は騎馬戦には強かったが、海を隔てた島国を攻めることには長けていなかった。さらに、インドの南部にまでは手を出さなかった理由は涼しい高原地帯に生まれ育ったモンゴル人には暑熱と湿気に耐えられなかったのではないかと憶測される。尤も、アレキサンダー大王もインドの北部までは侵略したものの、雨季の泥水、毒蛇などがうようよ存在する地域からは早々に退却せざるを得なかった歴史がある)。

 子孫4人が、オゴタイ・ハン国、チャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン(現ロシア領とカザフスタンを含めた地域)、イロ・ハンコク(イラン、イラク、トルコ)を治めたが、1368年、クビライの治めた元朝が滅びたため、弟らが治世にあずかった国々も次々に衰退。東チャガタイ・ハン国の系譜を引く小勢力だけは17世紀にモンゴル系のジュングル王国に併合されるまで続いた。なかで、特筆すべきはキプチャク・ハン国で、2世紀以上にわたって君臨したものの、最終的にはロシアの公国に滅ぼされた。

 モンゴルが征服した領土は世界最大で、史上最強の帝国だった。ロシアまで攻め入ったことで、スターリン時代、その恨みを晴らすため、チンギス・ハーンの系譜を引く者と判れば、すべて捕らえられ惨殺されたという。

 また、現在でも、ウクライナ、ハンガリーなどではお尻に青い班を持った赤子が生まれるというが、明らかにモンゴロイドの徴(しるし)であり、彼らの長征と君臨とが影響していると推量される。

 本ブログには「草原の覇王チンギス・ハーン」(津本陽作)を2006年8月に書評してある。


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