世界史・パート2「中南米」

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中南米

「世界史」パート2

中南米

 コロンブスの大陸発見後、スペイン、ポルトガルの南米進出が盛んになり、1494年、カトリック・ローマ教皇は南米を二つに分割すること、つまりスペインとポルトガルの両勢力に分割を認めるという、コーカソイド(白人種)の優越性を誇示、人類への博愛などとは一片の繋がりもない姿勢を打ち出す。(「汝の隣人を愛せよ」などという聖書の言葉は糞くらえという気持ちになる)。

 北米大陸についても、両国の進出はかなり早い時期から始まったが、後進のイギリス、フランスに駆逐され、両国の狙いは中南米へと向かう。

 現実には、当事者不在のまま、太平洋岸をスペインに、大西洋岸をポルトガルに植民地とすることが決められた。ために、現在でも、この地では両国の国語が共通語となっている。具体的にはブラジルがポルトガル語で、他の国はすべてスペイン語。

 近代に入ってからは、キューバのカストロの例を引くまでもなく、収奪に耐えかね、貧窮から脱する目的で左傾する国が増え、各地に蜂起する民兵組織も存在したが、地下資源に恵まれた国はスペイン、ポルトガルよりも、アメリカによる締め付けをより強く受け、大量虐殺さえ行われた。

 過日、国連総会で、ヴェネズエラの大統領が一冊の書籍を手に、アメリカを誹謗したが、その本こそはノーム・チョムスキー(アメリカ人)の著作「覇権か、生存か」であった。本書はこのブログでも採り上げ、書評している。(2006年7月25日)。

 一方、膨大な資金と労力を使い、パナマ運河を完成させたのはルーズベルト大統領の時代であり、それが経済的に有効だったからとはいえ、スエズ運河を開くことに成功した男がパナマ運河だけは途中放棄したほど地形的には山岳の難所だったエリア、それをスエズで成功した平面水域のまま運河創設方式を踏襲したための失敗に加え、風土病対策が疎かだった。アメリカは技術の粋を集め、鉄道を敷き、土砂を運び、山を切り崩しつつも、水面の高低を勘案して全く新しい発想のもとにパナマ運河の開通に成功した。アメリカは利権をパナマに提供しはしたが、毎年、それなりの金をとっている。

 

 この偉業については、アメリカの書店で、確か「The Panama Canal」というタイトルで、ノンフィクションとして販売されていると聞くが、日本ではまだ翻訳の対象になっていない。もし、翻訳されれば、即座に入手したい一書。

 とはいえ、同じパナマで、かつて肩入れしたノリエガ将軍一人を捕獲する目的のために、軍事行動を起こし、パナマの無辜の市民が多数犠牲になったことも事実である。

 なお、写真はメキシコの「チチェンイッツア」。


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