世界史・パート9「ドイツ」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ドイツ

 ドイツは基本的に森深き土地、古代から狩猟を生計の糧とする国だった。そのためかどうか、ドイツ人には内省的な人間が多く、哲学者、思想家、観念論者、心理学者を輩出している。

 ローマによる洗礼を受け、文明に覚醒、フランスによる「東フランク」が9世紀に倒れ、以後、貴族が自立、乱立して抗争を繰り返した。962年、オットー1世がローマ教皇の称号を受け、フランスより広い領土を得る。

 ルターが宗教改革を主唱したことで、旧カトリック系とプロテスタント派に分裂、30年戦争に突入、ために人口が40%減少したといわれる。

 第一次大戦、第二次大戦ともに、連合国に苦杯を舐めさせられたが、オランダ、ポルトガル、スペイン、フランス、イギリスが世界各地に雄飛、植民地を拡張した後の「出遅れ感」が大戦争を惹起させた遠因ともいわれる。

 敗戦後の復興は日本に負けず劣らず、目覚しいものがある。国民性が基本的に勤勉というだけでなく、剛直で質素、物づくりには日本企業のような「使い棄て」によって商売するような気風はなく、長い期間使えるものを造り、かつ適切な補修が可能な仕事を好む。敗戦後、ベルリンを訪れた小澤征爾(指揮者)は猛爆を受けたはずの街に音楽の香りがなお漂う雰囲気に瞠目したという。

 森の国、ドイツでは、樹林が白骨化する酸性雨を経験したことで、環境問題についての配慮は世界水準を上回っている。

 ソ連邦が崩壊し、ベルリンの壁が壊され、大量の東ドイツ人が西に流入したため、工業国として有名を馳せた西ドイツも以来経済的には低迷を余儀なくされている。東からのドイツ人は共産国の影響が著しく、10人に満たない小企業においてすら組合をつくり、資本家との抗争を好む体質から抜け出ていず、分断国家が統一されるときの経済的、精神的な影響の強さを見せ付けることになった。

 ドイツは、日本人のように「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」などという非合理とは無縁の進取の気性に富み、戦後しばらくした時点で、アメリカに押し付けられた憲法を独自に手直し、身の丈に合った内容に改憲している。

 もっとも、ユーゴスラビアに戦火が起こったとき、率先して戦闘機を飛ばし、コソボを爆撃したことは世界を驚愕させた。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ