奄美大島の思い出

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奄美大島の地図

 私が初めてこの島を訪れたのはスクーバダイビング目的だった。

 1984年、同僚と二人で名瀬空港に到着した時はすでに陽が落ち、すでに暗かった。空港には民宿を経営しながらダイビングの指導からファンダイバーのケアもするというこの業界に長いベテランが待っていてくれた。

  私がこの島に訪れるに当たって知識としてもっていたのは大島紬(おおしまつむぎ)という、通称「ダブルイカット」という縦横に糸を通した面倒な布地を作っているということだけで、その発生の地ははるかインドネシアのバリ島に古くから住むバり・アガ(先住民)によるものの影響だと仄聞していた。

 日本固有のものと思っていた絣(かすり)ですら、インドネシアからフィリピンを経由してきた生地の作り方に倣っているとも聞き、昔から南北の情報が往来していたことを認識した。

 私は同僚が嫌な顔をするのを無視、いきなり夜の海を潜ることを提案。

 ポイントに着く前に同僚は夜のボートに慣れていなかったらしく、はやくも船酔いの様相で、船尾で吐いている。私はポートがポイントに着くや、「潜ってしまえば、船酔いなんか忘れてしまうよ」と励ましつつ、エントリー。

 沖縄本島以南の海では生息の珍しいセミエビを見つけ、イセエビを捉えるときに苦労したことを思いだし、後方から抑えると簡単に捕獲できた。俊敏さという点では、イセエビが勝っていることを知ったが、セミエビは珍味のうちに入っており、後刻刺身にして口にしたときは甘味があって、芳醇な味に納得した。

 ところで、ナイトダイビングにつきあってくれた民宿のオーナーにしても、空港周辺で働く人々にせよ、容貌はもとより言葉や発音には明らかに沖縄と変わらぬ同質のものがあり、奄美大島が旧琉球王国であった歴史的事実を想起させられた。

 また、沖縄諸島固有の種だと思っていた毒蛇「ハブ」が奄美大島にも棲息し、奄美大島のハブのほうが沖縄本島よりむしろ多いのだとは島の人の話だが、初めて知った。

 上記した地図では判らないが、北には屋久島を含む大隈諸島、さらに海浜に温泉が出るというトカラ列島があり、その南に奄美大島諸島があって、沖永良部から与論島に及び、終戦後、ここまでを鹿児島県に編入することが決まった。与論島のすぐ南には沖縄本島が存在する。

 この訪問時、奄美大島を訪れながら南部に位置する加計呂麻島(かけろまじま)を潜れなかったことが心残りになっている。この水域は両島の間隔が多少入り乱れてはいるのの、ストレートには目撃できないという利点にもつながり、戦前は格好の日本海軍の太平洋連合艦隊の集結場所でもあったという。東西いずれにも動けるという利点にも無視できないものがあったであろう。

 奄美大島が時ならぬ豪雨と、引き続く台風の影響で島民みな大変な思いをしていると聞く。早急な復興を願わずにはいられない。


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