愛するコブシの花

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コブシ大
(満開のとき、雪のよう)

コブシ
(可憐の一語)

 私は植栽が好きだった。今は土地のない家に住んでいるから関係ないが、とにかく花が好き、なかんずくコブシの花を愛した。

 コブシの花が好きになったのは、源氏の一党が、平家との戦に負けて九州の国東半島に落ちていったとき、かれらの目にコブシの花が鮮やかに咲く姿が映る。どのような書籍を読んだのか、どのようなタイトルの書籍だったのかも忘れてしまったが、その光景だけがいやに鮮明で、脳裡に深々と刻まれ、以来、この花に憧れた。

 初めて一戸建ての家を所有したとき、187平米の土地の3分の1に庭木を植えた。むろん、コブシの苗木はリビングルームのまん前、アルミのフェンスに沿い、日の当たる南側に植えた。

 面倒見がよかったか、樹木自体が土地に合ったのか、あるいは素質があったのか、コブシはみるみる成長した。

 春を過ぎ、躑躅(つつじ)の花が落ち、サツキが咲き終わった頃、一斉に白い花を広げはじめた。リビングルームの窓を全開にし、好きなマイルス・デイビスのジャズ「死刑台のエレベーター」という映画の首題曲をアメリカ製のJBLというスピーカを使い大音量で流しながら、コブシの咲く景色に感動し、「おれは倖せだ」と、しみじみ思った。

 ところが、バリ島で仕事をしているとき、Ex Wifeから電話が入り、「ねぇ、引っ越してもいいかしら。緑があっても、ネオンサインの見えない田舎は飽きちゃった」という。

 これまでも、それ以後も、転居に継ぐ転居を繰り返し、この時点ですでに25回にはなっている。「いいよ」と即答したのは、環境を変えてみたいという希望が理解でき、転居が嫌いではないという以上に、仕事に追われていたという事情もある。

 一時帰国した際、彼女の選んだ家を見て驚愕。確かに、夜になるとネオンサインは見えたが、土地は以前住んだところに比べたら2分の1にも満たず、庭などといえるスペースはない。ようやく、隣家との境に、山茶花を垣根代わりに植えた状態。

 こういうのを、英語では「Done is done」(やっちまったことはやっちまったことだ)とか、「It’s no use crying over spilt milk」(こぼれたミルクを嘆いてもはじまらない)という。日本語なら、「覆水、盆に返らず」といったところ。

 ちょうどコブシの咲く季節だった。私は車庫に入るなり、いまは人手に渡っている家へと車を飛ばした。

 コブシの樹はさらに数メートルは高く伸び、数えきれぬほどの白い花を満開にさせて、私を迎えてくれた。

 しばらく溜息をつきながら眺望した末に、「元気そうだな。これからも元気でな」とぼそぼそと呟きつつ、車を自宅に向けた。


前後の記事

«  (前の記事)

(次の記事)  »

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ